立嶋泰

全部夢でした。
不幸な、失礼な夢を見るものです。
そうでないにしても、実に生生しい夢を見ることが
度度あります。


例えは出てこないのですが、でも、時に胸を撫で下ろし、
けれど、それによって謝罪しなくてはならないという
こともあり、実に迷惑な脳です。
元気に生きているのでそんなことは建前で、実際には然程
そうは思ってはいませんが。


そんなことを繰り返して生きているので、実際に起こり得た
出来事を生きている最中に、夢の出来事と決めつけて信じない
こともあります。
それで恥をかくような迷惑をかけることはしたことはありませんが、
分からなくなることがあります。

漫画などで昔からよくそんな描写はあるので、誰にでもある
感覚だと思いますが、もし、全て夢の中での出来事だったら
そう思い、全て削除して朝を迎えました。


昨日、ジムを休みにして予約をくれた会員等には申し訳ない
ことをしてしまったなと、でも、夢でよかったなと安堵しました。



安堵したかったのです。
先程、父に連絡したら現実でした。

そういったこともあるので、理解します。



下記、金曜日のテキストです。


昨夜、指導中に父からメールが届きました。


「メール?面倒臭い。電話しろよ。」
20年ちょっと前に携帯電話でのメールが始まった際に、
そういった世代の方です。
知らない方等は勉強してください。
残念な方も多多いらしゃいますが、知らないことが恥ではありません。
知りもしないで誰かを揶揄することが恥ずかしいのです。


そんな父も、メールを覚えて今では連絡しあっています。
多分、LINEもそうでしょう。


「兄が亡くなりました。」


そんな簡潔な文章でした。

今年の夏、和歌山県勝浦にある立嶋家の墓参りに走って
会いに行くつもりでした。
ご高齢の叔父を元気づけにいくつもりでした。


始めて勝浦の地を踏んだのは5歳になった頃です。
父の姉、叔母が亡くなりました。
灯籠流しを始めて見て、寂しく悲しくなりました。
さだまさしの精霊流しはその後に流行ります。
僕の記憶ですが。

19歳の頃、少しだけ注目が集まり始めます。

雑誌といっても専門誌ですが、一般誌や新聞からだけ、
少しだけ依頼受けるようになりました。


僕を連れて、墓参りに行くと父から連絡がありました。
長男ですが、でも、とてもありがたく嬉しく思えました。
名古屋までは早いですが、そこからが時間かかります。

勝浦まで6・7時間でしょうか。
本家に着き、叔父に会いました。

19歳の頃です。
とても喜んでくれました。

那智の滝のある那智大社で働いていて、なので、
そこでの御札などもいただきました。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。