回想録61戦目2001年4月8日還暦

「ざまぁみろ!」にも記しましたが、フェザー級で60戦目、
還暦の試合です。
本当は61戦目なのですが、国内で60戦目になります。
そして記した通り、フェザー級でその回数目です。

今は98戦です。
それも大した自慢にもなりません。
でも、米寿の100戦を人生の目標にしています。
勿論、フェザー級でデビューしたそこからの米寿です。
偉そうに記しているつもりはないので、だからこっそりと
実行して、実現出来たら小さく満足して消えていきたいと
思っています。

訂正加筆した「死にぞこない」にも記しましたが、
まず挑みたい、そう思います。
出来るか出来ないかではなく、やろうとしたかしなかったか
そこが大事とも思います。
僕のような単細胞には特に。
勿論、腐ることもあります。
嫌になることだってあります。
でも、最後まで頑張らないと進めません。


試合一週間前、アルンサックは帰国します。
彼に対し、他意はありません。
いつの時代も、そういうところだけ通じ合うことが出来ません
でした。
日本人とタイ人の違いと思っています。
多少違うのかなとも思いますが、彼には感謝しています。

下記、「ざまぁみろ!」の冒頭の記述を一部記憶で記します。

タイでのデビュー戦は数えてもらえない時代だったので、
当然自分の中では数えているのですが、でも、含めないで
会話することも度度ありました。
連盟がそれを非公式として、含めて公表してくれなかった
からです。
自分の中でも、人との会話でも紛らわしい言葉使いになって
しまうことがあります。

「おれね、今日で60戦目」
試合前、控室で以前はフェザー級で試合していた選手と
話していました。
内田選手です。

控室を出るのには理由があります。
中にいると視線を感じるからです。

彼のことが、ずっと嫌いでした。
内田選手(当時)のことではありません。

内田くんとそれを話したことはあまりありませんが、延藤直樹
同様、彼が新人の頃から目をつけて戦い方を想定していました。
やることはありませんでしたが、でも、彼がフェザー級に
留まることが出来たのなら、凄い存在になれたと思います。

そして、この日以来、その日の対戦相手の彼も、嫌いな存在に
なりました。

対戦した彼ではなく、その彼については辟易しています。
話題にする気もないし、興味を持たないようにしてきました。
十代の頃からです。

2001年のこの日もそうでした。
僕のことが嫌いなのでしょう。
前述した通り、僕も嫌いです。
好きとか嫌いとか人それぞれ自由です。
迷惑をかけなければ。
でも、その彼は違います。

その彼と、対戦相手の彼は勿論、違います。
でも、僕の中ではずっと一緒の気持ちです。
仲間だと思っていたので。

1992年3月28日の回想録にも記した通り、20歳の春、 
対戦相手の彼の師匠である清水隆広と試合しました。
そして、その彼がその試合以前からでしたが、その試合後からも
僕の試合前の控室に訪れるのは、同門の仲間に勝った僕への恨みだと
思ってきました。
恨まれる筋合いがそもそもないと思いますが。

同門の仲間が破れて悔しかったにしても、その気持ちは理解
出来ません。
嫌がらせを仕向けたのだとしたら清水隆広も軽蔑します。

十代の頃から試合当日に会場入りすると、僕の控室に勝手に
入ってきて、扉の付け根に寄りかかり、ずっと僕の様子を
見ているのです。
控室というのは、対戦しない3つ程のジム共同で1室ごとに
分けられています。
その彼と、目が合っても反らしたり、他の選手に話しかけたりして、
まるで他に用事があるかのようにその度ごとに見せかけて、毎回
その場をやり過ごすのです。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。