閉所恐怖症

薄薄気づいてはいました。


でも、冗談ぽくいったり、軽く考えてきました。
そうなのだろうなと考えたのはいつでしょう。
十数年前に仙台へボランティアに足を運んだ時に改めて
気づいたのですが、でも、そう度度あることでもないので
すぐに記憶は薄れていきます。

翌年や、その翌年にやはり思い出したにしても、そうは
続くことでもないですし、なので、思い出してもすぐに忘れてしまう
のです。



狭いところが駄目です。
これは思い出すとか忘れるとかではなく、一貫して口にしてきた
ことですが、

前述したそれは、そこからくるものです。
間違いなく。


小学生の頃、地元ではなかなか強い学校だったと思います。
数人選抜に選ばれる生徒はいましたし、のちに日本代表になる
名良橋もいましたので、他校からの視線はいつも感じていました。
自分に対する卑屈な主観と、そう思わせるだけの客観があって
からこそなのですが。


試合前日、翌日の集合場所が監督である先生から告げられます。
一応レギュラーにはなっているものの、翌朝が心配です。
ワンボックスならまだいいのです。
席は与えられなくとも、みんなの足元に座ることが出来ます。
乗用車2・3台ですと、僕は無条件でトランクになります。
真夏の炎天下、千葉市花見川区からよみうりランドまで
トランクの中は流石に辛いものでした。

暑いし苦しいし、狭いからです。
一番嫌だったのはそれらよりも、ブレーキです。
先生がブレーキを踏むたび、僕はどこかに頭をぶつけます。
車内から笑い声がその度に聞こえます。


本当に嫌でした。

昨年秋に亡くなった友人の母が、夏に最後に僕に会いたいと
人を介して連絡をくれました。
なので、訪ねました。
20年前に亡くなった同級生の母です。

「わたし、いつも上から見てたの。」
見ていたなら云ってくださいよ、とは云えません。
口を挟もうものなら息子の彼がトランクに入る順番になって
いたかもしれないですし、そうでないにしても子供らの中での
立ち位置が変わるでしょうから親でも口を挟めないでしょう。


僕はもう、40年近く経ったことですが未だに精神的苦痛を
持って生活しているので、その一言が凄く嬉しかったのです。


どれだけ眠くても閉じ込められる想像をすると眠れなく
なってしまいます。



冒頭と混ざります。
スペースがあったとしても、なので、そういったことから
狭いところが苦手です。
空間はあっても足を伸ばせないとか、そういったことででも、
大声を出したくなるような切羽詰まった心境に陥ってしまいます。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。