57戦目 2000年4月20日

「引っ越して来い」
会長がそういうので、その少し前に春日部に通いやすい
流山に引っ越しました。

とても不便に感じて居心地が悪かったのを覚えています。
下の階に住む住人とも不仲でした。
上手に歩けない1歳の息子が歩くだけで天井を棒だかで叩き、
床が響くのです。

その2年前から対戦相手の彼のことは知っていました。
合宿で一緒だったので、でも、喋ったことはありません。
1人くらいです。
喋ったり接したのは。
彼と同門のその彼は、階級も違うし僕に対して人懐っこ
かったので。

でも、違う競技に行ってしまったので、交流はそこまでです。
敵対心のようなものはありません。
自分はそちら側ではないし、拒んだ側の人間です。
だから、関心や興味が持てなくなりました。
応援はしていましたが。

今はどうなのでしょう。
自分の頃は、キックボクシング人気を利用しようとした空手団体が
作った便乗競技という視点でしかありませんでした。
ヘビー級という日本人の選手はいない、でも、著名な外国人を上手に
利用した競技、そう思っています。
人気は長続きしないだろうとは思っていました。
どうせ、初めは盛り上がっていてもすぐに大衆の目は越えるのです。
よい選手がほんの数名いたとしても大味すぎるからです。
事実その後、色物に成り下がった感は否めません。
そこに新たな階級のスターを作るべく上手に利用しようとしたのが
彼ではないでしょうか。

それが上手くはまったと解釈しています。
彼にとってそれはよかったと思います。
幾度か過去のブログにも記した通り、その頃の彼は同じ相手と幾度も
試合を繰り返すばかりの層の薄い階級の選手だったからです。


試合する彼は、後にリキジムに移籍してきて同門になるのですが、
でも、僕はその合宿の頃から彼のことを本名でしか呼んだことが
ありません。

自分はリングネームで周りに呼ばせる癖に、人のそれは
本名で呼ぶ奴、この業界にはよくいます。
不思議というか、気持ち悪ささえ覚えます。

応じるか否か、僕は人によりけりです。
彼は会長に勝手につけられて、そういう意味では同情します。
この世界にはそういう選手がよくいます。
選手の親でもある会長が、氏名であるリングネームを遊び半分で
名付けるという感覚、理解できたことが一度もありません。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。