チャンピオン伝説とか、
スポーツ雑誌Numberは中学生の頃からよく
覗いていました。
覗いて、というのは書店で見かけてボクシング
が掲載されているようならば買い、ないならば
見送るということを行っていたからです。
日本人の世界戦特集や本場アメリカの試合、
マイク・タイソン出現以来更に熱を加えて
報じられるそれは、専門誌以上の興味を感じる
ものでした。
1990年、時を経て、こんな僕でも18歳に
なることが出来ました。
その頃、後楽園ホールの小さい大会ではメインを
張れるようになっていました。
試合して減量して試合して、の繰り返しでした。
常にモチベーションを探し求めていました。
頑張る切っ掛けが欲しかったのです。
ふと立ち寄った書店で、それを手に取りました。
スポーツ雑誌「Number」からビデオテープが
販売されていました。
それについては「映画な話」のマガジンに保存して
あります。
当時、映画のビデオは1本16800円でした。
誰も知らないような超B級作品や、ノイズが入って
しまったレンタルからの降格ビデオが3800円
の時代です。
新品ですが、定価3980円程度のそのビデオを
購入しました。
「チャンピオン伝説」出演するその面子に惹かれた
のです。
生きのいい無鉄砲な若手も好きでしたが、中学生の
頃からベテランに惹かれる変わった子供でした。
中学3年生の頃にジョージ・フォアマンが
再起しました。
ちょうどその頃、阿部譲二が出版した「殴り殴られ」を
毎日学校に持って通学していました。
受験当日も、持参して入試前、休憩時間に開いて
モチベーションを上げていました。
マイク・タイソンは勿論、前述したフォアマンや
他名選手が出てきます。
結局卒業後タイにも持って行きました。
「フォアマンはもう一度チャンピオンになれるか?」
タイ人は皆、首を振りました。
ライトヘビー級のホリフィールドはいつか、
タイソンに勝つ時が来るんじゃないか、そんな
気がしていたので、それも告げると嘲笑され
ました。
2人共なれたため、ホリフィールドはタイソンに
勝つことが出来た為、僕の予感は当たりました。
自分に先見の明があるということが云いたい
訳ではありません。
予感は意外と的中するということです。
タイから帰国後、ボクシングマガジンで
デビュー前の辰吉丈一郎のインタビューを見た時、
「いつか絶対にチャンピオンになるだろうな」
そんな気がしました。
たまたまなのかもしれませんが、そういう
予感、とても大切にしています。
ただ、そんな気がしたことが当たること、なんて
誰にでもあると思いますが。
話が離れましたので、戻します。
「チャンピオン伝説」を買って、一度観てから
夢中になり、毎日練習前に観るようになりました。
モノクロの時代、オリンピックからプロへ転向した
モハメド・アリの当時のインタビューや試合の
映像を振り返りながら今の、といっても30年近く
前になりますが、当時から見たの現在の5人が
それぞれの時を振り返り、それぞれの想いを語る
のです。
モチベーションがとても上がるのです。
学校から帰宅して、それを全部観れたら全部、
そうでなければ好きな部分だけ見て、練習に向かい
ました。
自分にもいつかこういう時が着たらいい、当時思った
それは、引退後にはこうなっていたいという目標の
1つです。
まあ、面白いのです。
「映画な話」のマガジンに記しています。
先日、辰吉丈一郎の出演する番組を見ました。
放送を観終えて、るみ夫人にメールしました。
あれだけの注目度や関心度、そして熱狂らが
風化されてしまうのは寂しいなと思います。
この件については、また別の機会で記します。
日本版の「チャンピオン伝説」なんてどうだろう、
いつからか、そんなことを考えるようになりました。
ヘビー級ではなく、バンタム級で世界を獲った日本人
数人で語り合ってもらうのです。
中心的人物、モハメド・アリの立ち位置は当然
辰吉丈一郎です。
彼が中心的な存在の時代から時代背景を経て、
それぞれの時代へと流れていくのです。
やらないというか実現しないでしょうが、でも、
想像して楽しんでいます。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。