28戦目1993年3月27日

前年に初防衛戦で対決するはずでした。
ジムの団体移籍と彼個人の怪我で2回流れたと思います。
年齢は同い年同学年です。

デビューは僕の方が2年先ですが、でも、同じ階級の
選手は出来るだけ気にしていました。
そんな彼と、タイトルマッチで対決が決まりました。

前年5月の山崎戦の前座で、僕の初防衛の挑戦者決定戦で
彼が前田憲作を破ります。
でも、東京北星ジムの新団体設立だかで、連盟を脱退して
しまい、試合直前に潰れてしまうのです。

その後、新団体は上手くいかずに東京北星ジムは
出戻りをして、でも、対決するはずだった初防衛戦で、
僕が敗けてしまう為、タイトルマッチの挑戦者決定戦と
形を変えて実現に至るのです。

いずれが勝っても再戦になるという面白い構図になりました。
個人的には中島貴志対前田憲作のリターンマッチも見たい
気持ちはありました。
でも、そこを譲る気はありません。

中学生当時から、一般紙の表紙になることも目標の1つに
していました。
試合1週間前に発売される週刊少年チャンピオンの
表紙になりました。
沢村忠氏以来、2人目ということだそうですが、自分が初めて
ではないことがとても悔しかったことを記憶しています。

でも、そんなに大きく扱われておいて、下手な試合は出来ないと
気持ちも入りました。
コンビニを覗くのが楽しみな1週間でした。
減量が苦しい時期、立ち寄ったコンビニで平積みにされた
それらを見て元気づけられました。

彼の知人の父親と、僕の父が偶然仕事場の同僚で、当時の
盛り上がりに、お互い「勝負だな」って職場で盛り上がって
いたといいます。
前年火をつけた、そこからのキックボクシングの盛り上がりが
表に出始める頃でした。

当時の熱気はとても心地よく、プロスポーツっぽい
ものを感じさせてくれていました。
前年から180度変わって、マスコミや世間から注目され始め
たからです。
でも、まだ不満でした。

「もっと」
そういう意欲はありました。
自惚れていました。
でも、それぐらいでないといけないと思います。
自惚れて、自惚れた手前、恥をかきたくないから頑張るし、
頑張れるのです。

ファイトマネーに手売のチケット分が含まれていることが
恥ずかしく、いつも生活できる最小限だけ売って、残りは
捨てていました。
いつからか、ダフ屋が求めるようになってくれて、売れ残った
チケットは父に渡してダフ屋に売ってもらいました。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。