見出し画像

うまい文章は書かない

10代から20代にかけて、とくに明治大正の文豪小説のオタクだったころ、「うまい文章」を書くことにはまっていました。
難しい漢字、美麗な形容詞を連ね、珠のように削って磨いた文章を並べて「私は美しい文章が書ける」と悦に入っていました。振り返ればいわゆる厨二病です。恥ずかしいです。

本当にうまかったのか、と振り返れば、華美な重ね着でしかありませんでした。
美辞麗句が滑っているだけの、中身のない文章になっていたことにも気づかず、魂が入っていなかったように思います。
文章が崩れても下手でも、自分のリズムで書かないと、大切なことはなにも伝わりません。

文章とは道具です。孤独や不安に起因する劣等感を守るための武器にしてはいけません(過去の自分へ)。

当たり前のことに気づいたのは、本も読まない、事務的なビジネス文書を書くようになってからでした。
「あなたの文章はわかりにくい」「ビジネス文書として使えない」「文章が下手だ」
職場の上司や先輩にぼっこぼこにされた厨二病の元文学少女は、生きるために「うまいねと褒められるために書く文章」「自己満足でしかないきれいな文章」への執着を捨てざるをえませんでした。

昔の自分なら真っ赤になるほど校正するひどく荒れた文章は、そのまま私の気質、考え方、生き様でした。自分の文章を他人目線で見直すとき、こんなに雑で荒くれたロクデナシなのか、と絶望的な気持ちになります。
綺麗に直したい、うまい文章にしてしまいたい、という欲求は、私の劣等感に起因する自己顕示欲の醜さであると叩きのめしてきました。

ある時、どうしても伝えなければならない、と思ったことがありました。わかるように、誤解のないように、関係者が不快にならないように、喜んでもらえるように。ちゃんと伝えることで1㎜でも世の中が変わってほしい、という祈りのような思いを込めて、綴った文章がありました。

文字数が限られているので、取材した内容を削って削って詰めて、表現を取捨選択して、1文字も無駄のないようにタイトにしながら、息苦しくならないように抜けを意識して書きました。

伝えるために練りに練った文章は、「まるで珠のような文章」と言われました。一人ではなく、複数の人から同じような意見が聞こえました。

伝えるために練った文章に、美辞麗句に専心した時代の知識と経験が生きたのかもしれません。文章に現れる自己顕示欲や承認欲求を恥じ、個性を封印して道具としての文章だけを書いていた時間が私の心を変えました。亡霊のように取り憑いた「よけいなもの」が削がれて尖ったことで、伝わる力が強まることを知りました。

ここ数年、町おこしなど、イベントのためにプレスリリースや企画書を頼まれることが増えました。
若い頃に文章修行の千本ノックをして仕事で報告書企画書を作っているので、お役に立てるならばとボランティアで原稿を書いています。
発案者が言語化しにくいフワッとした部分を代弁してテーマを絞りこんで書いてあげることで、新聞やテレビでの取材率が抜群に上がるそうです。

歳を重ね、自意識が削げた状態になってから、文章は格段にヘタになりました。
若い頃の私なら赤を入れます。耐えられないヘタさです。しかし、それが「私の言葉」であれば仕方がないのです。心の修行が足りないから、文章が荒れているわけです。あきらめるしかありません。

自分の個性を否定しても変わらないので、魂のエネルギーが強い、という考え方にしました。
穏やかで、上品な文章に憧れますが、ないものねだりなのでしょう。

私が好きな作家は「三島由紀夫」です。高い教養に裏打ちされた息をのむほど華麗な文章に酔いしれますが、美しい文章の下にはマグマが沸騰しています。この熱を包むこむ、冷徹な文章も激しく燃えています。
斜に構えても、世俗的な流行小説を書き飛ばしても、どうしようもなく青くて泥臭く、暑苦しいのです。三島由紀夫は今でいう「セレブ」の醜悪さを徹底的にえぐった作家ですが、本当に美しいもの高貴なもの、理想を追い求めていたように思います。

群馬県太田市にUターンしてから、町おこしに関わりたくて、プレスリリースや企画書を書き、その流れで「太田市民ライター」に参加し、2024年1月から3カ月間「ぐんま観光県民ライター」に応募しました。

ライターの定義はわかりませんが、与えられたお題に対し、取材対象を主役にしてスポットライトを当てつつ、主役が社会に伝えたいこと、伝えるべきことを「代弁する」お仕事ではないかと思っています。

主役への光の当て方が、いやおうなしに私の個性になるのでしょう。心を磨きます。フラットな心持で、素直に対象に向き合って書くべきものを書くだけです。

うまい文章は書きません。