愛知県芸術劇場 ソーシャルインクルージョンワークショップレポート⑶
愛知県芸術劇場実施された『ソーシャルインクルージョンワークショップ2021〜アートとコミュニケーションについて体験し・考え・話す3日間〜』。障害とアートやコミュニケーションについて答えを決めずにいくつかの切り口で考えた時間をレポートとして残す。
3日目 アートとコミュニケーション そもそも障害とは?
最終日にはドキュメンタリー映画『記憶との対話〜マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証』(2016)を上映し、感想をもとに参加者が障害とアートをめぐり考えるプログラムが行われた。
マイノリマジョリテ・トラベルは、2005-6年に作曲家樅山智子さんをはじめとするアーティストらによって、決して自明ではない障害と健常、マイノリティとマジョリティの境界線を疑うべく、立ち上げられたユニットである。様々な境界線を自分たちで確かめていくプロジェクトを経て作られたパフォーマンス公演「東京境界線紀行『ななつの大罪』」は、参加者や鑑賞者のその後のものの見方や生き方さえも変えるインパクトを持つものだったが、当時参加していた演者が亡くなっているなど、様々な制約があり再演は叶わない。
ドキュメンタリー映画は、プロジェクトが終了して10年後の関係者へのインタビューや、プロジェクトの記録映像で構成されている。各地で上映会が行われているが、必ず映画を制作したマイノリマジョリテ・トラベル・クロニクル実行委員会のメンバーが映画制作の経緯や、障害とアートに関わるレクチャーを上演前に行い、上演後には鑑賞者が対話するプログラムを実施している。上演当時の記録映像に映った全ての人に許可が取れないこと、また障害というテーマを見せ、考えるために繊細なサポートが必要とされること、またプロジェクトの記録や記憶から現代に問いを投げかけたいという映画制作の目的に沿って、上映のプログラムが組まれ、全国各地、様々な状況で暮らす人々が映画を見て、そこから障害、アート、境界線など様々なキーワードについて考えてきた。
上映会を前にマイノリティ・マジョリティなど、作品に関わるレクチャーを受ける
実行委員会のメンバーで今回は会場まで来られなかった長津結一郎さんが、まずビデオレターで登場し、マイノリティを包摂しようとする社会でも、マジョリティの枠組みが変わるのか、変わらないままマイノリティを枠組みに押し込めるかで、「包摂(インクルージョン)」は異なる意味を持つことが紹介された。障害と一言で言っても、様々なグラデーションがあるが、新聞報道のなかでは障害のある人の芸術と純粋というキーワードが結びつく傾向が高い調査結果もあるという。
同じく実行委員会メンバーの樅山さんは、障害という言葉が何を意味するのかを確認しないままに、「障害のある人とともに作品を作る」といった文言が助成の趣旨などに使われる違和感を紹介した。「東京境界線紀行」プロジェクトでは「自らの特徴や背景が社会の構造から排除されているが故に、生活において〈障害〉を経験したことがある人。そして、その〈障害〉を自己認識し、魅力と捉えてカムアウトした上で表現活動を行える人」を公募したところ、身体、セクシュアリティ、精神、様々な障害を持つ人たちが集まった。ある障害があるからといって、別の障害のある他者と分かり合えるわけではなく、障害に伴う生きづらさ、ケア、コミュニティのあり方などは異なってくる。そこで、互いの境界線を確かめたり境界線を越えたりするような「旅」がプロジェクトのコンセプトとなり、参加者のライフストーリーを共有し、当事者団体や自助グループへの訪問をし合うことになった。出演者らが境界線を体験した紀行をなぞるように上演された作品では、朝のバスツアー、昼の街歩き、夕方劇場での演劇作品鑑賞という行程が組まれたという。
映画を見て感じたことを言葉にして聞き合う
1時間ほどの映画の鑑賞後は、筆者が進行に入り、てつがくカフェのスタイルで映画の感想を共有しながら参加者みなで対話を行った。まずこの時間は、樅山さんが先のレクチャーで「障害という言葉が何を意味するか確かめることなく使う」ことに疑問を投げかけたように、「てつがく」の一つの作業として、それぞれの話す言葉やその言葉の違いを確認することに丁寧に時間をかけたいということを共有した。そのためには自分自身や他の人が参加しにくくないかを確かめたり、わからない場合はそれを言うことができたりする環境をみなで作り、誰も置いてけぼりせずに進めたい。この場で使う名前と、何をしていると人に言いたいかを紹介し合った後に、一人ずつ感想や印象に残ったシーンから話を始めることができた。
今回の対話では、障害の経験の共有可能性、映画が描かく様々な苦しみの深さ、障害のある人が出演するステージの衣装で示されるメッセージ、映画には登場しない障害のある人たちをケアする人たちの存在、境界線(物理的な壁)があると思って無視していても乗り越えてくるある種のスピーチがある現状、障害や障害とアートについて語るときに感じる偽善的な不自由さ、などがテーマになった。
締めくくりには、対話に参加する人々の考えに触れて改めて考えたいと思う問いを一人ずつ出してもらった。「出演者の皆さんは互いの境界を行ったり来たりしたのではないか?」「いい感じで適当に障害について話すには?」「人や物に対する自分の見方、心の在り方を自分で決めていいのでは?」「障害者とは」「境界線は障害以外にもあてはまるのではないか」「Chanceが平等にあるために必要なことは?」「「開いちゃったね」は「僕たちの失敗」なのか?」「自分らしく生きるとは?」「本当の意味でマイノリティは存在しないのではないか?」「境界線がゆるやかにぼんやりとしたものになる日はやってくるのか」「この先の対話と表現の場をどうつくっていけるか?」などの問いが生まれた。
参加者の様子や、ワークショップの振り返りで出された感想によれば、映画の上映と対話の時間は、様々なアートの実践、障害のある人のケア、マイノリティ、地域性などについて参加者それぞれが日常の中で感じていたことに接続し、考えを深める機会になったようだ。三日目の上映と対話のワークショップに惹かれて初めて劇場に足を踏み入れた人もいたという。
三日間のソーシャルインクルージョンワークショップで実現したこと
三日間のワークショップは、劇場の疑問の投げかけから始まり、参加者個人個人が障害とアートについて考え始めるための問いを持ち帰る形で終了した。障害とアートが文化施設や文化政策の中で語られ始めたのは、オリンピック・パラリンピックを控えていた国の後押しであった側面もあるだろう。
しかし、障害を持つ当事者はすでに地域で暮らしていたのだし、個別の表現の中で多様な人々に出会い、表現を広げ、新たな表現を作り出そうとしてきたアーティストらもいる。そうしたなかで、今回のワークショップはアーティスト、アートマネージャー、障害やマイノリティのケアに取り組む人々が互いに話す場になった。
日頃からこうした人々との接点を少しずつ結んできた劇場が障害とアートについて私たちが言葉を語るきっかけを作ったと言えるのだろう。自分たちなりに変換された言葉や問いが一参加者としての筆者も含め、今後どのような視点や表現へと発展するかが楽しみである。
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