ムスリム/ムスリマの異教徒からの相続について

はじめに

「非ムスリムの親からムスリムの子への遺産相続がダメというのは本当なのか。別の解釈の余地はないのか」という質問に対する一つの回答とその根拠。

回答

4法学派の法学者の大多数の見解は、「ムスリム(イスラーム信者)はカーフィル(不信心者)から相続しないし、カーフィルもムスリムを相続しない」というものです。そこでは宗教共同体あるいは宗教の違いが相続の阻却事由の一つとなります。その根拠は、『ムスリムはカーフィルを相続しないし、カーフィルもムスリムを相続しない』というハディースで一致しています。

しかしながら、その一方で、「カーフィルからの相続は許容される」という有力な見解がイスラームの草創期から存在していました。その後、偽善者や庇護民(イスラームの統治下に暮らす異教徒)からの相続が許容されるルールとして受け継がれ、今日においては、ムスリムがマイノリティーでしかない国や地域におけるムスリムからの質問に答える形で、「カーフィルからの相続が認められる」という判断が示されています。

判断の根拠

① イスラームの初期の世代が伝える歴史的事実

ムスリムのカーフィルからの相続を肯定する論者は、「とはいえ、ムスリムはカーフィルから相続している。その逆はないが」と主張した。これは、ムアーズ・ブン・ジャバル、ムアーウィヤ・ブン・アビー・スフヤーン、ムハンマド・ブン・ハナフィーヤ、ムハンマド・ブン・アリー・イブン・フサイン、そして、サイード・ブン・ムサイヤブ、マスルーク・ブン・アジュダア、アブドゥッラー・ブン・ムグファラ、ヤヒヤー・ブン・ヤアムル、イスハーク・ブン・ラーハウィーヤ。この彼はシェイフ=ル=イスラーム、イブン・タイミーヤの選択である。彼らは言う。「我々は彼らを相続するが、彼らはわれわれを相続しない。それは、われわれが彼らの女性と結婚するが、彼らはわれわれの女性から結婚しないのと同じである」(イブン・カイイム・ジャウズィーヤ『庇護民の諸法規』328頁)

 

② ムスリム以外を被相続人とする相続を可能にするハディース

不信心者ではなく、偽善者、棄教者、庇護民の相続に関するハディースが根拠になる。

 

ⅰ)偽善者について

「太い伝承の経路を持つスンナによって確定されるのは、アッラーの御使いが、偽善者たちに対し、ムスリムたちに適用されているのと同じ明らかな法規を適用し、したがって、偽善者たちは、相続したし、相続されもしていたということである。現に、アブドゥッラー・ブン・ウバイーや、彼以外の偽善によってクルアーンを証言した者たちが死んだ際、彼のために祈ることや赦しを請うことは禁じられていたが、イスラームの信者たちは彼らから相続したし、相続されもした。ムハンマド自身は、偽善者から相続したり、戦利品にしたりということはなかったが、彼らの相続人たちに与えた。そしてこのことは、至上の確実さによって周知の事柄である」(イブン・カイイム・ジャウズィーヤ『庇護民の諸法規』329頁)

 

ⅱ)棄教者について

「アリーやイブン・マスウードのような教友たちからの(言葉として)周知のことだが、その財産は、彼のムスリムの相続人のものでもあり、「ムスリムは不信心者を相続しない」というアッラーの御使いの言葉(正伝)はこれに当たらない」とされる。(ユースフ・カラダーウィー『現代のファトワー』第3巻、677頁)

 

ⅲ)庇護民について

「ムアーズとムアーウィヤ、そして彼ら二人に同意する者たちの言葉によって主張する者は言う。『ムスリムはカーフィルを相続しない』という預言者の言葉が意図するのは、戦争圏の民なのであって、偽善者でも棄教者でも庇護民でもない」((ユースフ・カラダーウィー『現代のファトワー』第3巻、677頁)

 

③相続の対象から外れるのは戦争圏の異教徒のみ

「ウサーマのハディース「ムスリムは不信心者を相続しない」は、戦争圏の不信心者に限定される。なぜならば、ムスリムとの間の相続を禁じているからである。協約の民、庇護民、査証を保持している者たちとの間では相続が行なわれていた。」(欧州委員会「ファトワー:4057番」)

「イブン・カイイムは言う。「実に彼らの多くの者たちが、イスラームへの入信を拒むであろう。自分たちの親族に財産があっても相続できないのだから死ぬのを恐れて(入信を拒む)。そのことをひとりならぬ人々から口頭で聞いた」。 彼はそれに続けてこう言っている。「これは彼らに対する規定としては十分すぎるもの。これより弱いものを与える。これはイスラームの法が彼らに証明できる、見てわかる福利である。恐らく、その福利は、啓典の民の婚姻の福利より大きい。」(イブン・カイイム・ジャウズィーヤ『庇護民の諸法規』331頁)」(欧州委員会、同上)。

 

④相続財産の本質

「偽善者は、相続するし相続される。たとえ腹の中では偽善者であることを知っていたとしても。(中略)なぜならば、相続の基礎は、表向きの友好・支援(ムワーラートゥ)なのであって心の中にある愛情ではないから。…」(イブン・タイミーヤ『ファトワー集成』第7巻210節)

「相続の軸は、表向きの支援(ナスラ)なのであって、心の中の信仰でも内面的な友好・支援でもない。偽善者たちは、表向きにはムスリムたちを彼らの敵との戦いで助けるのであるし、たとえ、その逆を働いたとしても、相続の基礎は、表向きの事柄であって、心の中のことではない」。(イブン・カイイム・ジャウズィーヤ『庇護民の諸法規』329頁)

「イスラームは、ムスリムにもたらされる財や益の獲得の道における障害にはならない。それは、至高なるアッラーの統一(タウヒード)とその遵守そして真の宗教の支援のために助けを求める。そもそも財産とは、至高なるアッラーへの服従のために蓄えられるべきものであって、(それを備えることは)不服従のためではない。それに最もふさわしいのが、彼ら信者たちなのである。したがって、もしも財産や相続に関する実定法の秩序が許すのであれば、われわれは彼らの不信心者からの相続を禁じるべきではない。われわれは、不信心者たちがわれわれを害するためにそれを蓄えたり、禁じたりなど様々な方法で享受するのを阻止するべきである。」(カラダーウィー『現代のファトワー』第3巻676頁以下)

また伝えられるところによれば、ヤヒヤー・ブン・ヤアムルのところに二人の兄弟がやってきて口論になったという。ユダヤ人とムスリム。不信心者の兄の相続についてである。ヤヒヤーは、ムスリムに相続をさせ、不信心者からムスリムへの相続を主張して、次のように言った。「アブー・アスワドは、アッラーの御使いが『イスラームは増えるが、減らない』(つまり、イスラームは、その信奉者とって財を増やす要因にはなっても、禁じたり減らしたりする要因にはならない)と言ったとムアーズが話したある男が自分(ヤヒヤー)に語った」と。(ユースフ・カラダーウィー『現代のファトワー』第3巻、675頁)

 

⑤マスラハ(福利)の実現

非ムスリムからのムスリムの相続は、ムスリム全体のマスラハ(福利)の実現の観点からも求められる。

「「シャリーアの目的の保持の基礎をなすイスラームの福利が、ムスリムの非ムスリムからの相続を求める。イスラーム内部の者たちの諸権利を守り、彼らを勇気づける。彼らを強化するためでもある。さもなければ、イスラームは彼らの目の前で止まってしまう。自分たちの権利を守り、相続財産が損なわれ、禁じられるのを恐れて、誰もイスラームへの入信を考えなくなる」(欧州委員会、同上)。「イブン・カイイム・ジャウズィーヤは言う「ムスリムが彼らから相続できれば、庇護民たちの中でイスラームへの入信を望む者たちに対するイスラームへの強力な勧めになる」(イブン・カイイム・ジャウズィーヤ『庇護民の諸法規』331頁)(欧州委員会、同上)」。

 

私見

これらの見解の背景には、既存のイスラームの法秩序への絶対的な信頼がある。つまり、イスラームの盤石の統治下へムスリムとして暮らす信者が増え、その財産も増えることが、疑いようのない善であるという前提である。

イブン・タイミーヤは13世紀、イブン・カイイム・ジャウジーヤは、14世紀のイスラーム世界を代表する大学者であり、当時の通説的見解に対して、時代的状況や同時代の人々の意見を取り入れながら、新しい法解釈を提示した。そのことによって、この時代においてなお新しい解釈を探究する手掛かりが示されている。

このように、学ぶべきは、新たな法解釈のあくなき探究、つまりイジュティハードを実践する姿勢である。したがって、21世紀に生きる我々には、イスラーム法学解釈を彩るこれらの学者からの引用もさることながら、現代の状況と人々の意見を反映させた法解釈が必要となる。

さらに言えば、それらの解釈以降700年、800年が経っているが、イスラームの統治は、当時の法学者たちが想定していたと思われるような、グローバル大の共同体へと成長をとげたであろうか。ウンマ・イスラーミーヤの実現は、ムスリム内部の対立や抗争に翻弄され、観念上のものとしてすらその存在は怪しく、また自らの中から出てきてしまう原理主義的な暴力対してさえ十分な対応ができないというのが現状ではなかろうか。

たとえば、日本の現行法の規定のムスリムに対する適用が、ムスリムにとって、ムスリムであるという理由で、不利益をもたらさない限り、そしてそれがムスリム全体としてではなく個人のレベルであったとしても福利の増進につながるものであるならば、これを積極的に取り入れる余地があるはずだ。

イスラーム法における「福利」という法源は、恣意的になりうるとの理由から必ずしも法学派が一致して認めてはいない。しかし、「福利」に依拠することによって、個人の福利が、ひいてはムスリム全体の福利が実現する事例も十分に考えられうる。

その際、最優先で考えるべきが、これまで不信心者というレッテルを貼って敵視してきた人々との慈しみ、いたわり合いによる、共存共栄の発想とその実現だ。国家であれ個人であれ、良好な隣人関係があってはじめてグローバル大の福利が実現される。アッラーはムスリムの主である前に万有の主であり、人間に100%の天使も100%の悪魔も存在しないのだから。

 

参考文献・URL

ファトワーと探究の欧州委員会『ファトワー:「ムスリムの非ムスリム親族からの相続について」4057番』2018年11月7日 https://www.e-cfr.org/blog/2018/11/07/%d8%aa%d9%88%d8%b1%d9%8a%d8%ab-%d8%a7%d9%84%d9%85%d8%b3%d9%84%d9%85-%d8%a3%d9%82%d8%a7%d8%b1%d8%a8%d9%87-%d8%ba%d9%8a%d8%b1-%d8%a7%d9%84%d9%85%d8%b3%d9%84%d9%85%d9%8a%d9%86/

مجموعة الفتاوى لشيخ الإسلام ابن تيمية - ج 7

https://www.noor-book.com/%D9%83%D8%AA%D8%A7%D8%A8-%D9%85%D8%AC%D9%85%D9%88%D8%B9-%D9%81%D8%AA%D8%A7%D9%88%D9%8A-%D8%B4%D9%8A%D8%AE-%D8%A7%D9%84%D8%A7%D8%B3%D9%84%D8%A7%D9%85-%D8%A7%D8%AD%D9%85%D8%AF-%D8%A7%D8%A8%D9%86-%D8%AA%D9%8A%D9%85%D9%8A%D9%87-%D8%AC7-pdf

(イブン・タイミーヤ『ファトワー集成』第7巻210節)

أحكام أهل الذمة، للشيخ ابن قيم الجوزية، الجزء الأول، بيروت: دار الكتب العلمية، 1995، ص 328-.

(イブン・カイイム・ジャウズィーヤ『庇護民の諸法規』)

فتاوى معاصرة، للدكتور يوسف القرضاوي، الجزء الثالث، الكويت: دار القلم للنشر والتوزيع، 2003

(ユースフ・カラダーウィー『現代のファトワー』第3巻、675頁)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?