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バンディエラという生き方

2016/2017シーズンを目前に夏のカルチョ・メルカートは大きく動いた。

ユヴェントスが悲願のチャンピオンズリーグ制覇に向けて、直接のライバルであるローマからピャニッチ、そしてナポリからはイグアインと、次々に主力を引き抜いたのだ。それ自体は違法ではないし、売却したクラブも潤う。しかし、ファンが傷ついたことの慰めにはならない。

このニュースを聞いたフランチェスコ・トッティはこう語った。

カピターノ「いまどきのサッカー選手はまるで流れ者さ。彼らは自分の心に従う事ができない。それが俺との違いだ。自分のハートよりもビジネスを選んでるんだ。もし俺が金を選んでいたなら、10年前にローマから去っていたよ。でも俺にとってはこれは情熱の話さ。ジャッロロッソが好きで、このユニフォームを着続けたかった。確かにある時期、アメリカのクラブがかなりチラついたよ。でも本当に俺、一生懸命考えてここに残った。それが心に耳を傾けるってことなんだ。ファンはいつだって馴染みの選手にはチームに残って欲しいに決まってる。だからスタジアムに駆けつけるんじゃないか。イグアインのユーヴェ移籍?ユーヴェもナポリもどっちも得したんじゃないの?ただ、ナポリファンからすれば、間違いなく大ダメージさ。イタリアまでお金を稼ぎに来てるんだから移籍は自然の成り行きかもしれない。外国人選手が全員マラドーナみたいに振る舞えないのもわかってる。ま、助っ人外国人が今後も活躍するってのなら、俺はベンチに座るってだけだよ。それでも俺は最後まで頂点を目指す。そして重要なタイトルを手にする。もしプレーできない時間が続いても、俺はチームを助けられると思ってるんだ。もちろん、新しいトッティを披露したいって思ってるけどね」

相変わらず痺れる発言してくれる!

しかしこの発言に痺れたのはロマニスタだけで、ユヴェンティーノからすれば、ナポリに3年しか在籍していないイグアインにハートで残留しろなんて発言は身勝手で無責任らしい。トッティ得意のライバルチームに対する挑発なのかもしれないが、マラドーナのキャリアを引き合いに出していることに、この発言の真意がある。

1984年。マラドーナはバルセロナを離れて、降格圏を彷徨うナポリにやってきた。その後6シーズンほとんど休みなくプレーし続けた話は、ナポリで暮らす人たちの誇りであり、今日(こんにち)まで語り継がれる伝説である。

トッティはその美談を自身のキャリアと重ねて語っただけだ。
単純に移籍がダメだと言っているのではなく、それは美しいのか、美しくないのか、そうぼくには聞こえた。1つの道を長く歩み続けた人のみが到達する境地に、合理的か、一般的か、儲かるのか、楽しいのかは関係ない。尊く美しい行為かどうかが重要な男の美学だ。

そもそも美とは、個人の感覚によってかなり差があるわけで、カピターノやマラドーナは、彼らが到達した高みからサッカーを見て発言をしているのである。繰り返すが、単にユーヴェの強奪がどうのこうのとご意見したわけではない。

美学の話をもう一つ。

かつてイタリアには多くのバンディエラがいた。
ローマのトッティだけではなく、ユヴェントスならば、セリエBに落ちても移籍しなかったデルピエロ。ミランには、親子二代の強烈なキャプテンシーでチームをけん引したマルディーニ。インテルにはそのチーム名の由来通りの外国人サネッティなど、様々なリーダーが旗を振っていたのである。

そして、セリエAセヴンシスターズの1つ、フィオレンティーナにもアンジェロ・ディリーヴィオというバンディエラがいた。

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フィオレンティーナは2002年、ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリの放漫経営より破産。空中分解してしまう。そして、名前をはく奪された状態でセリエC2(4部)からの再出発を余儀なくされた。ほとんどの選手が出て行った。当たり前だ。彼らには家族がいて、ローンがあった。そして多くがイタリアへ働きにきた外国人だった。
しかしディリーヴィオは沈みゆく船を選んだ。国内外、幾つかのチームからオファーが届いた。しかし彼は「人生にはお金より大事なものがある」と、それらを全て断ってアマチュアリーグでキャプテンマークを巻いたのだ。子供はまだ5才になったばかりだった。ローマで生まれ、ローマでデビューしたディリーヴィオに対して、当然ローマからも救済のオファーを出している。それでも彼は首を縦には振らなかった。

いまローマにトッティだけでなく、デロッシがいて、フロレンツィがいるのは偶然ではない。ローマっ子は子供の頃からバンディエラを見て育ち、憧れ、目指す。ぼくはこれまでバンディエラをそういう生まれながらの人種だと書いてきた。でもそれはどうやら違うみたいだ。彼らは、意地を貫き通す生き方を選んだ1人の男なのだ。

アンジェロ・ディリーヴィオは引退後、アッズーリW杯チャンピオンチームのテクニカルスタッフを経て、下部組織のコーチとしてローマに帰ってきた。現在はテレビコメンテータやコラムニストとして芸能界で活躍しているのだとか。
そして時代は移り変わり、当時5才だった彼の息子、ロレンツォ・ディリーヴィオは、ローマのプリマヴェーラで背番号10のユニフォームを着た。その背番号をつけて、2016年にプリマヴェーラのスクデットを獲得したことはロマニスタの記憶に新しいだろう。

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同シーズン、トップデビューを果たしたその試合では、アンジェロはトップチームに怪我人が多いしそろそろ出番かも・・・と、奥さんと一緒にテレビにかじりつき、息子の出場を今か今かと待っていたという。試合後には「うちの坊主は俺より才能あるし、俺が18の時より成熟してるね」と、親バカコメントを残している。温かく微笑ましいエピソードだ。そして、父から子へ何かが受け継がれた瞬間でもある。

バンディエラは、快進撃の旗手となり、逆境においてはチームに耐える事を教える。時折、監督や会長以上の影響力を持ってしまうのは困りものだが、そんなバンディエラの美学と、ローマの風土がトッティを生んだ。欲しい選手には幾らでもお金を積み上げ、小切手の数字次第では、どんな選手だって売却してしまうクラブには永遠に判らないだろう。


・・・と、唐突にバンディエラの話をしたわけですが、これは如月が2017ローマ年に電子書籍で発表したローマ速報offlineの前書きです。この本は当初ローマに無断で写真も使って販売したのだけれども(ちょっとだけね)、後にローマのデジタルコンテンツ最高責任者になる友人とお茶を飲んだ時に恐る恐る切り出したら、こっちが拍子抜けするくらい快く容認してくれたことで現在も発売を継続している。

その友人がローマを去ると聞いて、当時を思い出し、昨日一冊買い求めて読み返してみた。自分の文章力は拙く、背のびというか、肩ひじを張った感じだけど、トッティの為に何かしたいと思ってがんばったことを思い出してちょっと微笑ましい。それでいて、こんな素敵な文章はもう2度と書けそうにない。

本当はこのnoteは宣伝で書いていたんだけど、当時の気持ちを思い出して、ほんわかしたのでもう宣伝はいいやって感じもしますね。だからリンクなど貼らずにここで話を終えておきたい。優しい気持ちはそのままにしておこう。

発表から3年経ちましたが、たった3年なのにされど3年、ローマは大きく変化しました。でもぼくたちロマニスタにとってバンディエラは変わらずに大きな意味を持つ。そこにいるならば象徴であり、いないのなら新たな誕生を待つ。それがロマニスタにとってバンディエラという存在なのです。

ロマニスタのキミたちならわかってくれるだろうか。

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