大学教員公募と大学教員に思う事①

このnoteでは公募を勝ち抜いた今現在とここに至るまでに大学教員という存在について考えたことを書き記すつもりである。

早速本題に入ろう。

現在私は大学教員として中部地方の国立大学に勤めている。

年齢等は伏せるが、他者と比較的して早い時期に安定的な職(テニュア)を得られたと思う。じゃあだからと言って私がその分野で非常に優秀な人材であったかというとそうではない。

論文数も人並、発表数も人並、学歴も人並、はっきり言って何か突出して良かったわけではない(かといって何かが悪かったわけではないと信じたい)。

ではなぜそんな私が早い段階でパーマネントを得ることができたのか、これは明らかにマッチングであると考えている。採用側の求める人材と私の持つ条件がぴったり一致した。ただ、先に書いたように決して私は突出して優秀な人材ではない。

そこを念頭において、もし興味のある人がいればお読みいただければと思う。

現任校も合わせて2校に在籍をした。

1.前任校

(1)前任校での待遇など

地方のいわゆるFラン大学。

初めての赴任校で、採用が決まったときは驚くほど飛び跳ねたことを覚えている。

任期は5年で、再任ありという条件だった。

はっきり言って経営状態は悪く(もちろん赴任するまではそこまで悪くないと思っていた)、給料も他大に勤務する人からすればかなり低いほうだった。採用当初は若さもあり、また運よく採用されたということもあって、不満には感じなかった。

学生の質も良くなく、講義中の居眠り、徘徊、遅刻、欠席などは日常茶飯事。挙句遅刻や欠席の多い学生の親に連絡を取らされ、出席を促すよう話さなければいけないなど、とても大学とは思えない教育環境だった。

(2)採用決定までの経緯

公募サイト(jrec)に出ていたのを見て応募。

当時面接すら呼ばれず、書類だけで15連敗していた自分にしてみれば、下手な鉄砲数打ちゃあたる的な気持ちになっていたのを覚えている。

書類提出締め切り後、1週間でメールでの面接通知。

その一週間後に面接。

採用の内定は教授会での承認の後、面接から1週間後にメールで連絡があった。

比較的年度末に近かったせいか、非常に短期間で事が進んだ。

また、「もし採用となった場合は〇〇日の教授会あとすぐに連絡します」と事務から伝えられていたのである意味でもやもやせずに待てたのは精神衛生上よかった。

(3)採用された理由

主に3つの理由があると考えている

①雑務をこなす能力

Fラン大ということもあり、基本的に様々な雑務(国公立や有名私立では考えられない学生指導や高校回りなど)が数多く降ってくる。それらをこなせる能力を買われたと思う。業績などは並みだが、そのほかの雑務に関しては院生時代に数多くこなしてきた。そのことを応募書類にも書き、面接でもアピールをした。

実際に赴任してから「なんでこんなことを?」という雑務が降ってきたのを覚えている。

②業績のちょうどよさ

これはどこでも言われていることだが、Fラン大は基本的に教育や雑務のウエイトが大きい。そのため、大学側からすれば、研究をするなとは言わないが、できるだけ研究は最低限にして教育と雑務の方を頑張ってほしいのである。

私は前にも書いたように、業績は並みだったし、雑務も多くこなしてきた。だからこそ、大学側は「こいつなら研究だけに偏ることなく、教育・雑務もこなすだろうな」と考えたのだと思う。

この辺りはバランスだと思うが、確かにその当時の自分は院における雑務に忙殺されながらも、研究を細々と進めている状況だった。

そのあたりの雰囲気が評価されたのだろう。

③学長や理事に逆らいそうかそうでないか

これは地方のFラン小規模私大にありがちだが、学長や理事が無駄に権力をふるっているケースがある。その場合、自分たちに逆らいそうな人をわざわざ採用することは少ない。淡々と与えられた仕事をこなす人が彼らの理想なのである。

自分はその点に関してもはまったのだと思う。

私の性格的に頼まれごとを断ることはしないし、争い事も好きではない。そのため、面接でも特に尖った発言もしなかった。様々な人に話を聞いていると、Fラン大(特に小規模)の面接に呼ばれて落ちる人はどこかで尖った発言をしていることが多い。

(4)他大に異動しようと思ったきっかけ

長くなったので、次の記事に書きます。


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