第85回フリーワンライ 消しゴムじゃ消せない

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負

お題:消しゴムじゃ消せない

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風に揺られる前髪を見上げ、そっと手でおさえる。
しかし手を離せば、また前髪は舞い上がる。
風の入り口となる窓が目の前にあるのだから、当たり前のことだ。


私は窓を閉めたくはないのだけれど、同乗者が寒そうに顔をしかめるものだから、仕方なしに窓を閉めた。

「そんなに寒い?」

私の問いに彼は首を縦にふった。

「春っていってもまだ三月だよ。京都なんて夏と冬しか季節がないようなものだからね」

京都は地形のせいか、暑さと寒さが偏ると聞く。
彼は特に寒がりだから、余計に敏感なのだろう。
私は住んでいるわけじゃないからよく分からない。

ただ、彼と二人きりの車内はなんだかとてもあつかった。


「次はどこに行くの?」

「そうだなあ。円山公園とかどうかな」

いいながら、車が祇園の方向へと向かうのがわかる。
円山公園、というのは八坂神社の近くにあるもので花見客が多いと聞いた。―もちろん、彼からであるが。


「お花見?」

「ああ。でも少し早いかもしれないな」

「だったら、コンビニに寄っていこうよ」

「そうだな」


私の提案に賛成した彼はうなずいて、駐車場のあるコンビニを探し始めた。

彼とこうして春を迎えるのは何回目だろう。
おそらく三回目だ。つまり三年は一緒にいる。
我ながら、長く付き合えているとおもう。
それも、物理的にちょっとだけ離れた距離を保ちながら。


私はペットボトルのお茶やお弁当、小さなお菓子なんかを適当に選んで、車に戻った。
彼の好物である唐揚げももちろん忘れずに。

「ここで食べたいくらい……」

「コンビニに寄ったのは花を見ながら食べるためでしょ!」

「はーい」

子供のように無邪気な笑顔を見せると、車のエンジンをかけた。

車の中から見る街中は、この三年間変わっていない。
変わらないのが当たり前なのかもしれない。
しかし、車の中はちょっとずつ、少しずつ、変わっていっている。

「そういえばさ」

「うん」

なんとなしに彼はしゃべりだす。
私は相槌をうったり、時々は驚いたり笑ったりしながら話を聞く。

それはいつものことだった。変わらないこと。

「どこで言おうか悩んだんだけどここでいい?」

信号が赤になり、車が止まる。
何をいうのかと不思議に思いながらも、

「うん」

と促した。

隣の彼は横目で私を見た後、いきなり左手で私の右手をつかんだ。

「同棲、しよう」

「……え?」

「だってさ! 京都と兵庫だよ! 遠い! やだ!」

「やだって言われても……」

「俺と一緒に暮らすのは嫌? もう三年目だよ。そろそろ結婚の準備に入ってもいいと思う。というか結婚の準備したい」

結婚、という言葉に頭の中はぐるぐると混乱しはじめた。
こういういきなりなことには慣れていない。
慣れるはずがない。

彼は真剣そのもので、もしかしたら今朝からずっというタイミングを考えていたのかもしれない。
それなら最初の方珍しく無口だったのもうなずける。

「……嫌じゃ」

ない、と言おうとしたところで後ろからクラクションが鳴らされた。

見れば青信号だ。
彼は慌てて私の右手を離し、ハンドルを握った。
車がゆるやかに前進する。

少し気まずい空気が流れる中、私は一言くちにした。

「嫌じゃない」

それだけで、彼の顔がほころぶのがわかる。
横からだけど、笑っている。
それを見て私も笑ってしまった。

車の中は、ちょっとずつ、少しずつ、変わっていっている。
消しゴムじゃ消せない、私達の思い出と共に少しずつ。


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