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ひとり深く潜る

ここ数年同じことを何度も繰り返し考えている。最初から分かってはいたものの、あまりにも長い時間がかかるので、本当は考えてる“ふり“をしているだけじゃないかと思うこともある。そう、自分のことは自分が一番わからないという例のアレである。

ひとつ前の記事に就職活動のことをちらと書いたが、この時期からどうやって生きるか、どんな風にありたいか、そもそも自分ってどんな生き物だったけ、とぐるぐるしている。タロットで言えばハーミット。底の見えない海を下へと泳ぐように、あるいは地球の中心を見るべく穴を掘るように、深さも知らずに自分のなかにひたすら潜ることを続けている。もしかすると、人生自体がひとつの長い探究の旅なのかもしれないけれど、とにかくそういうことに意識が向く日々が続いている。

さあ、じゃあどうやって自分の底まで潜ろうかという話。
わたしの場合は「書く」「話す」で進んでいる。
18歳くらいの頃に自分の感情がわからないと思ったことがあって、それからなんとなく続いている作業。思ったことを紙に書き出して、目で見て、声にして、音になって耳に届く。そうして心の内と外とを行き来するまあるい軌道を俯瞰で見たりするとなんとなく現在地や輪郭が見えそうになる。
その道中に「聴く」「読む」も加えると、自分とは異なるものに出会える。
本でも映画でも友だちの話でも、誰かや何かのフィルターを通すと、「ここはこうじゃん」とか「これは違うな」とか心の揺れに出会う。それをまた書いて、眺めて、言葉にする。その繰り返しで少しずつ深いところまで潜っていく。

途方もないし、そこからすぐに何かが生まれるわけもなく何をしているのかという気持ちになることもあるけれど、これを楽しんでいるところもあって。同じように潜っている誰かとそこで見つけたものを見せ合いたい。その道中の話を聞きたい、交換したいなどと思っている。自分のためにしていることだけれど、誰かのためにもならないかなと思っている。本当にどうしようもないのだけれど。

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