「知的障がい者に学ぶ感情表現」
(2007年に書いたコラムです。)
現在、僕は知的障害を持つ方(施設を利用している人という意味で、ここでは彼らを「利用者さん」と呼びます)の施設で働いています。
僕は利用者さんをサポートするために働いているのですが、実は彼らから教えられることもとても多いんですね。
今回はそんな点に着目してコラムを書いてみます。
僕が利用者さん達を見ていて思うのは、彼らはとにかく純粋で正直ですね。
楽しかったら笑うし、腹が立ったら怒る。
悲しければ泣くし、嬉しかったら喜ぶ。
本当にシンプルなことですが、これができていない方も案外多いんじゃないかなぁ、と思います。大人になればなるほど、社会に適応するためにこういった喜怒哀楽の感情を抑えがちになりますよね。
例えば、身近な人が亡くなってしまった場合を考えてみます。
そういった場合、現代を生きる僕達はどのくらいの時間悲しむことができるでしょう?泣き続けることができるでしょう?
大切な人が亡くなってしまったのに、数時間後にはお葬式などの準備を始めなくてはならないかもしれない。とても忙しいお葬式が終わる頃には会社や学校に復帰しなくてはならない・・・。
そう考えると、純粋に泣くことができる時間はとても少ないように思います。
ここで、利用者さん達の話になります。今から一年程前、僕が飼っていた犬(名前はハナといいます)が死んでしまったときのことです。利用者さん達もハナに会ったことがあったのですが、彼らは「ハナちゃんなんで死んじゃったの?」と何度も何度も僕に聞いてきました。そのときは大切な愛犬が死んでしまった直後だったので、僕は正直嫌な気持ちになりました。「どうしてそんなことを聞くんだよ」と思いました。
でも、ハナが死んでしまってから一年が過ぎた今、「そうじゃない」と気づきました。人間は本当は、大切なもの(人、ペットなど)を失ったとき、「なんで死んじゃったの?」と言いたいのではないでしょうか。だって、生きていてほしかったでしょう。もっと一緒にいたかったでしょう。
僕も本当は、他の人やハナ自身に「なんで死んじゃったの?」と聞きたい気持ちを持っていたように思います。聞きたかったけど、そんなことをしても彼らは答えられないし、なにより彼らを悲しませることになるかもしれないと思ってその気持ちを押し殺したのだと思います。
その点で利用者さん達は本当に自分の気持ちに素直で正直ですから、自分の心に生まれた感情にフィルターをかけず、そのまま口にしたのでしょう。
その言葉を受けとめる相手が傷つく可能性がある以上、それをそのまま僕達が取り入れるのは良くないかもしれません。しかし、僕のように自分の悲しみを抑制してしまう(「なんで死んじゃったの?」と言いたい気持ちを押し殺す)のはもっと良くないと思います。
では、一番良い方法はどういったものでしょう。僕は、「なんで死んじゃったの?」と聞きたい自分の気持ちに気づきつつ、口には出さないというのがベストなように思います。
「なんで死んじゃったの?」と聞きたい程に悲しんでいる自分の気持ちに気づいてあげるのが一番重要なことです。
大切な人が亡くなってしまったときも同じです。お葬式の準備中も、お葬式の最中も、仕事や学校に復帰してからも、「自分が悲しんでいる」ということを忘れないでください。しっかり悲しんでください。
人はあなたに「早く元気出してね」とか、「いつまでもクヨクヨしていたらダメだよ」と言うでしょう。でも、悲しみを隠すことは元気が出たということでもクヨクヨしていないということでもありません。
このような場合は、しっかり悲しんで、悲しみ切って、本当の意味で元気を出してください。
今回は喜怒哀楽のうち、特に「悲しみ(哀)」について例を挙げて説明しましたが、喜び方も怒り方も、楽しみ方も、知的障害を持つ方は僕達よりもずっと上手です。彼らからヒントを得て少しだけ応用することで、「社会に適応した喜怒哀楽の表現方法」を身につけることができるでしょう。
今後も利用者さん達に教えてもらったことをお伝えしていければと思います。
参考文献
小比木啓吾著『対象喪失』中公新書,1979
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