「卒業式」について、ちょっとだけ深く考えてみた…

noteのホームページを開く。

2020年に入ってからの日課の一つだ。仕事終わりの夜のルーティーンになっている。

一昨日も同じ。noteのホームページへ。

すると、「#みんなの卒業式」の企画が上がっていた。

とてもとても素敵な企画だなと思った。

全国一斉休校という緊急事態だからこそ、ピンチをチャンスに。

こんな時にしか出来ない卒業式の形があるのだと思う。

キングコングの西野亮廣さんの著書に書いてあった言葉を思い出した。

「ヨット理論」

  「追い風」でもヨットは進む。

  「向かい風」でも、帆の傾け具合でヨット進む。

  「無風」じゃ進まない。

西野さんの本で一番手軽に読めるのは、「新・魔法のコンパス」。

「新・魔法のコンパス」西野亮廣 角川文庫(2019)

1時間もかからず一瞬で読み終われるし、何といっても具体的でめちゃめちゃ分かりやすい。

今の公教育に関してとてつもなく大きな疑問を持ち続けているけど、公教育には無限の可能性が広がっていると考えている、とってもややこしくて面倒くさい教員がおすすめする一冊。

この本が卒業生へのメッセージの代わりでもいいんじゃないかなと思ってるくらい。

卒業生のみなさん、まだ読んでない人は、ぜひ一度読んでみてくださいね。

少し話はそれたけど、NHKが企画して、いろんなメディアが協力している「#みんなの卒業式」。

これも、「全国一斉休校」という歴史的な逆境をチャンスにとらえて、1人1人の卒業に対する具体的な想いを結び、みんなでシェアしていこうと企画されている。

何度も言うけど、とっても素敵な企画。この機会を利用してどんどんと拡がってほしいし、ぜひオンラインの活用の幅を広げてほしい。

でも、現場に携わっている教員として、卒業式の挙行が難しくなってるこの事態だからこそ、

「オンラインでの卒業式が大成功した!!これでもいいじゃん!!」

で終わるのではなく…

改めて…

「卒業式はアナログでしか成り立たないものであること」

を大事にしてほしいなと思ってる。

というのも、毎年当たり前にある卒業式を、この機会にちょっと深く、どういった行事なのかを問い直してみた。

こんな時だから、いつもより少しだけ深く考えるんだろうなと思った。だから、noteをひらき、記録に残しておこうと思った。

僕が所属している中学校では、卒業式は縮小形式で行われる。そこで会議の議題の中心になったのが、どこまで縮小するか。

縮小することについて、「合唱をするか」などいくつかのテーマが議題になったが、その中の1つとして「誰を呼ぶか」も議題に上がった。

卒業式の参加者は、通常なら「生徒(卒業生)(在校生)」「保護者(ご家族)」「教師」「地域の方々(議員さん、教育委員会などなど)」くらいかな。これをどこまで縮小するかが、議論になった。

僕も目の前で行われている議論を聞きながら、自問自答していた。

「卒業式は誰がつくるものか…?」

生徒…?   保護者…?   教師…?  地域の方々…?

どう考えても全員…  

いや、これは教師と生徒か… うーん、教師か…

「卒業式は誰のためにあるものなのか…?」

生徒…?   保護者…?   教師…?  地域の方々…?

これは、どう考えても全員だよな…

もうちょっと深く考えなくちゃいけないな…

「卒業式はどうしたら成立していると言える行事なんだ?」

生徒の存在…? 保護者の存在…? 教師の存在…? 地域の方々の存在…?

うーん、何かしっくり来ない…

でも何でしっくり来ないのか分からない…


だから、ちょっと視点を変えてみた…

卒業式は、「人(参加者)」で成り立っているものなのか…


そう考え始めると、少し世界が広がりはじめた。


思い出…? 場所…? 空間…、雰囲気…?


僕は中学校教師なので、中学校で考えてみる。


思い出…

保護者(ご家族)の方の中にある15年間の思い出。

生徒たちには、3年間ともに過ごしてきた思い出。

関係性によっては、ずっと幼馴染の子もいれば、保育園が一緒で中学校で再開した友だちがいたり、個々の関係性からくる思い出の種類は数えきれないだろう。

教師も同じ。たった3年間といえど、されど3年間。教師界でよく言われる言葉がある。

「卒業式は麻薬と同じだ」

教師のエゴであると言えばそれまでだが、教師は卒業式の日、3年間のストーリーに浸りきる。その依存性といったら、半端なもんじゃない。ちょっと極端な言葉を使うと、教師にとって、「卒業式」は最大にして最高のエンターテイメントなのかもしれない…(笑)


場所…

毎日毎日過ごしてきた家。

3年間日常生活を送っていた教室、校舎。

3年間部活動にいそしんできた教室、体育館、グランド。


空間…、雰囲気…

その日の、一人一人の子どもたちの表情

なんともいえない緊張感と温かさが入り混じった笑顔や涙

それを温かい眼差しで見る保護者の顔

そして、3年間のストーリーに浸りきっている教師

その年の気候によって変わる桜の木の表情

教室の掲示物… 体育館の掲示物… 歩きなれた廊下や階段…


そういえば、卒業式の感動はどこから来るのだろう…

あのゆっくりと、ジワジワと、押し寄せてくる感じの感動…


いつもより少しだけ深く考えてみるとなんとなく見えてきた。


「卒業式」の1日は非日常の1日となる。でも、その非日常の1日の中に、これまでの日常をリアルに重ね合わせることで、初めて生まれてくる感動がある。

その感動があるのは、日常をともに過ごしてきたメンバーだけ。

そして、それぞれのメンバーの「卒業式」の日の表情の意味を分かる人だけ。

卒業式は、そんな人たちがいることで初めて成り立ち、そんな人たちのためにある行事である。

それ以外の人たちが作ってしまうと、単なる感動で終わってしまう。

卒業式は、外部の人たちだけで、完全に再現できるものではない。

ある一定のところまでは可能かもしれないけど、完全には再現できない。


だから、公教育を担うヒラ教員が、今年中学校を卒業するけど卒業式を行えないみなさんへ、メッセージを送ろうと思います。

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卒業式を行えない卒業生のみなさんへ

全国一斉休校。

一生に一度の卒業式が、正式な形で行えないこの事態に、卒業生のみなさんは、本当に悔しい思いがあるかもしれません。

でも、こんな時だからこそ改めて強く感じてほしいことがあります。

なぜ、その悔しさは来るのでしょうか?

なぜ、卒業式という行事を、そこまで大切に思っていたのでしょうか?

毎年当たり前にある行事で、今年も例年通り行われていたとしたら、きっと深く考えることができていないと思います。

「卒業式が例年通り行えない」

これは、みんなにとって、とってもとっても悔しいことです。

先生たちにとっても、保護者の方にとっても、

とってもとっても悔しいことです。

でも…、見方を変えればチャンスです。

「#みんなの卒業式」。こうやって、オンラインでもなんとかつながっていこう、想いを共有していこうする機会が出来ました。

そして、卒業式が行えないからこそ、

いつもより余計に、

隣にいる仲間、家族について考えることができ、

ともに過ごした思い出、場所、空間に想いをはせることができます。

みんなの頭の中に浮かぶ、一人一人の顔、表情、一つ一つの思い出、場所、空間を大切にしてください。

「卒業式が行えなかった…つまんねぇ…」

ではなく、前向きに積極的にとらえて、次の人生へとステップアップしていってください。

最後に、

これから、みなさんは、それぞれの人生のストーリーを作っていきます。

そのストーリーも含めて、

いつかのタイミングで母校で卒業式をし直しましょう。

本当の卒業式は、

その場所で、そのメンバーでしか出来ない。

アナログでしか出来ないんです。

きっと、学校の先生方は喜んで卒業式を挙行してくれると思います。

というか、教師もしたいんです。自分たちの人生のストーリーと重ねて。

必ず、必ず、卒業式は決行できると思いますよ。

その時に、みんなと再会できることを、先生方はきっと楽しみに待っています。

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まだまだ、すきまだらけの意見だけど、卒業式について、ちょっとだけ深く考えることができた。

中学校教師として、卒業式がちゃんと行えないことに対しては、とてもとても悔しい。

けど、こうやって考える機会が得られた「全国一斉休校」に感謝したい。

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