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【調査結果】子どもがいない人はどんな体験をしているか?~アンコンシャス・バイアスとマイクロアグレッション

「職場における子どものいないへの調査」をそもそも始めたのは、先行調査で報告された多くの「肩身の狭さを感じている人」が、具体的にはどんな体験からそう感じるようになったかを明らかにしたいと思ったからです。

そこで、「不快な」「不利益な」の二種類に分けて、実際に体験した出来事について答えていただきました。

本調査の対象者を、「不快、不利益な経験のある人」と置いたので、当然といえば当然ですが、回答者のほとんどは「不快」もしくは「不利益」な経験がありました。例外的に、「不利益を被ったが不快ではない」という方もいましたが…。

ではまず、「不快な」出来事についての結果をみてみましょう。(選択式、複数回答可)。

不快な経験グラフ

不快なの相手

出来事についてみると、「子どもがいることが、いかに素晴らしいかを聞かされた」「子どもがいることが、いかに大変か聞かされた」と、相反する内容の回答が上位3位までにランクインしています。

そしてそういったことを投げかけてくる相手として、上司や同僚など、職場のメンバーが上位に挙げられています。

この結果を見て、「子どもがいることで味わえる幸せについて語ってはいけないのか?」と疑問を抱く方もいるのではないでしょうか。実際、記者発表の席でも同様の質問がありました。

不快な気持ちの本質は言されたことそのものではないといえます。そうではなくて、「決めつけられた」「自分のことを貶められた」という感覚だと思います。「決めつけられた」感覚は、「子どもがいないと幸せになれないような言い方」「こちらの話を聞いてくれない雰囲気」から生まれます。

子どもによって幸せを感じるのは事実でしょう。それを否定しているわけではありません。だからといって、子どもがいないと幸せになれないわけではありません。

しかし、あたかも「子どもがいないと幸せではない」というニュアンスの言葉を投げかけられることがあります。
たとえば
「子どもは、いた方がいいよ」
「生んでみたらわかるよ」
といったような言葉です。

相手を貶めようとする意図がないのはわかりますが、「~方が」はもう片方の選択肢を否定しているように聞こえます。「生んでみたら」は、その体験をしていない(場合によってはできない)人が、その体験がないことで「わかっていない」と評価しているニュアンスを含んでいます。

こうした言葉は「マイクロアグレッション(小さな攻撃)」と呼ばれます。決定的に傷つくわけではないが、まるで指に刺さったトゲのように、チクチクと気になってしまう言葉です。

こうした「マイクロアグレッション」は、明確な差別意識がないだけにやっかいです。「不快だ」と伝えても、小さなものだけに、「気にしすぎだ」と否定され、なかなか認めてもらいにくいものだからです。

回答結果をもう一度見てみましょう。「結婚して早く子供を作るようせかされた」「子供がいないことで人より劣ったものとして扱われた」です。

前者は、「子どもがいない人生は改めるべき」という前提での発言です。まさに、子どもがいない人生は、いる人生と比べて問題があるといっているに等しいですね。後者は、子どもがいない人が現実に「低い評価を受けた」という感じたことを示しています。

「子どもがいるほうが幸せ」「子どもがいて一人前」といった、人々が無意識に持つ規範や価値観を「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」と呼びます。最近、市民権を得つつある言葉です。前述した「マイクロアグレッション」は、こうした無意識の偏見がベースにあります。

次の項では、この「アンコンシャス・バイアス」がどういったものかを考えたいと思います。

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