黒い車と雨の朝
小学校は小さな丘の向こうにあるので、彩たちは毎朝丘の上に集まってから登校する。
丘から学校へ向かう緩やかな坂道の両側には、昔からこの辺りで暮らすお金持ちの住む大きな家が並んでいて、立派な門の前にはそれぞれお迎えの黒い車が止まっていた。
どの車の運転手さんたちもフワフワしたハタキのようなもので車のあちらこちらを拭いているのだけれども、車はいつだってピカピカだったから、いったいどこが汚れているのか彩にはさっぱりわからなかった。
坂を下りる子どもたちが通りかかると、運転手さんたちはニコニコしながら手を振ってくれるから、
「おはようございます」
と、子どもたちも運転手さんたちに挨拶をした。
子どもたちは、ときおり家の中から人が出てくる場面に出くわすこともあった。ほとんどがでっぷりと太ったオジサンで、なぜかいつもほんの少しだけ顔を上にむけて、運転手さんたちを見下ろすように見ていた。
キーッと音を立てて門が開くと、どの運転手さんも体を大きく曲げたお辞儀をしてから素早く車の後ろ側のドアを開け、オジサンが乗り込むまで、再びずっとお辞儀をしていた。
「あれって社長だよな」
「会長は? 会長だってえらいんだよ」
「政治家かもしれない」
オジサンを見かけるたびに子どもたちは、そのオジサンが何者なのかと想像して、いつも最後には
「とにかく偉い人でお金持ち」
という結論に達した。
本当のことを言うと、彩はみんなと一緒にその坂道を下るのが嫌だった。嫌でもいっしょに歩かなきゃならないから平気な顔をしていたけれども、端から七軒目の家の前を通るときだけは、できるだけ車から離れて歩くようにしていた。
七軒目の前に止まっている車の運転手さんは、いつもほかの運転手さんたちよりもっと深いお辞儀をしていて、頭が地面につきそうなほどだった。
ほかの家のオジサンたちは、運転手さんに
「おはよう」
とか
「よろしく」
なんて声をかけるのに、七軒目に住むオジサンはどこか偉そうで、運転手さんに対してひとことも言葉をかけることがなかった。彩はそんなオジサンと運転手さんのやりとりをあまり見たくなかった。
「やっぱり運転手ってなんかダサいよな」
坂道を下りきって学校の正門に近づいたところで男の子が言った。
「ええ? だってお前、車の運転がしたいって言ってたじゃん」
「でもさ、さっきの運転手さんみたいにペコペコしたくないもん。あんなの嫌だろ。な?」
「あの人、尺取り虫みたいに曲がってたよな」
みんなも同意する。
「どうせなら社長のほうがいいじゃん」
男の子はなぜか得意そうな顔になった。どうやら社長になるつもりらしい。
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