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乗車

illustrated by スミタ2024 @good_god_gold

 ノルマを達成した記念ともあって営業部の飲み会はいつも以上に盛り上がり、ほろ酔い気分で店を出たのは深夜近かった。もう終電は終わっている。
「みんなはどうやって帰る?」
 輪になった部下たちを見回しながら聞いたのは二課長の古庄だ。
「なんなら朝までカラオケでもいいぞ。歌うか」
 そう言ってから、何がおかしいのか古庄はぐぐぐと一人で笑った。 
「俺は帰るよ。車だから」
 甲斐寺がひょいと手を上げた。
 酒を飲まない甲斐寺が、こうした飲み会に最後まで付き合うのは珍しかったが、今回のノルマ達成に一番貢献したのは甲斐寺率いる営業三課だとみんな知っている。
「え? 甲斐寺って、車なの?」
 古庄の目が丸くなった。
「いつもそうだろ」
 だから一口も酒を飲まないのかと何人かが納得した顔になる。
「でさァ、カラオケはどうするのォ?」
 顔を真っ赤にした井塚が甲斐寺の腕を絡め取るように掴んだ。妙に体をくねらせながら聞く。
「だから帰るよ」
「なんでだよォ。終電ないんだぞォ。どうやって帰るんだよォ」
「だから俺は車だってさっきから言ってるだろ」
「ああ、そうか。すまん。ごめん。この通りだ。たいへん申しわけありませんでした」
 井塚は体をくねらせながら深々と頭を下げた。謝罪のプロと言われる井塚である。頭を下げたままの格好で固まったのは、そのまま眠りかけているのだろうか。
 と、井塚がガバと上半身を起こした。
「だけどさァ、甲斐寺は車なんだろ」
 甲斐寺は苦笑した。酔っ払いは何度も同じことを言うだけでなく、何度も同じことを聞く。
「そうだよ」
「なんだ、お前車なのかよォ」
 井塚が甲斐寺の前ですっくと体を伸ばし、腰に手を当てた。仁王立ちである。片方の手首からはカバンがぶら下がっている。
「じゃあ、乗ってもいいか?」
「まあ、いいけど」
「課長、私も乗っていいですか?」
 横から体をぐいと差し入れた三葉が、両手を合わせて拝むような格好になった。
「いいよ」
「じゃあ、遠慮なく」
 井塚はふらつく足取りで甲斐寺の横に立つと、片手を伸ばして脇腹をぎゅっと掴んだ。そのまま勢いよく引っ張ると、ガチャリと音を立てて甲斐寺の後部ドアが開く。
「先に乗りなさい」
 ドアノブを持ったまま、もう片方の手で三葉を促す。
「ありがとうございます。おじゃまします」
 三葉が甲斐寺に乗ると、続いて井塚も乗り込んだ。
「いやあ、お前が車でよかったよ。助かるなあ」
「いつも乗せるわけじゃないからな」
 甲斐寺は後部座席の二人にそう言ってから、腹に力を込めた。ぶるんとエンジンの振動が全身にみなぎる。
「それじゃ、お先。おつかれさまでした」
 カラオケに行こうと歩き始めたみんなに軽く会釈をして、甲斐寺は夜の道を走り始めた。

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