志 四 志 市 子 師 士 史 子 私 神話的ナラティブ

詩は、うた UTA  PHUTA

謳う
謡う
詠う
歌う



唄い




その人(PHUEITO) ふうひいとおう
吹き福
事吹く
事福く
事白く

祈祷の


長命祈願とかあるが
生命の永遠の保持を希求して止まない意図がある

事実としては

長命とは
そして
永久をいいたいのです
できるだけ長く生きてなんとか過ごしたいというのではあるでしょう

しかし
遺伝子の情報そのものはあるのです
そこで他の素粒子の相互作用がどうかです

から

予見など出来ない次第だ



卜部とは
実際は
REALの事象を
詳しく観察して
得た知識(もの事の情報)を
分析する事です

また
その者は
卜部となるとき
帝など優位な貴族としている者たちへ
操作できる主体となる次第だ



側線であるが実は主線という
オブリガードの二重らせん構造で
一つという
三位の統合化の具現ですね




比類なくとは
他にその者は存在して居無い
と云っているだけです

優秀でもいいし
不優秀でもいい
存在はそのまま
そのもの

そのものだ

それ以外無いのです

いいそれで
誰かに居無く成れと言われても
関係無い
そんな言は
愚かしい言だ
その人のマインド形成の結節の問題
クラストしてきた知識の嗜好性の問題があるのです

人としてどうかなと
いう疑問をその者自身が自分から醸すだけです

そして
GOODNESS

欠如を露呈してしまうだけ
その者は

迷惑と云う事は
その人自身の内実の事

迷い人で
惑い人なので
迷惑なのです
実際にはね!





他人に気を配れとか
いいますけども

そして中心者となっている事を常に希望する者はある
いつでも
人気者でいないと自分で自分をゆるしたくない者とか

尊敬は自分に得たいが
他人の事はどこまでも蹴落として貶す者もある

けなす

毛を失くす

毛とはそもそも
生命のその発意のようなSYMBOLなので


毛人


いかにも人を見下す言い方だか

蘇我毛人(えみす、えみし)

海老は虫
人ではないので

中華の夏の殷の人など
また
商など

外周をみて
四角
八角の組み合わせで

全部
あの者は獣(けだもの、)
毛の者の心しかない

から
処断していい


真人では無いからと
そういう

飼う事
子飼いにしてしまうことを強制したり
饗応するとか

遭遇した時の態度

おとろし
おそろしい
からこそ

見下しをして
威丈振る

武器
腕力をふるいたくなる
何かがあるのです

その相手には

一言で🐵事をしない

なにか
非常にゲームにとらわれて

なでも勝てとか命令されてきた者
そして幼少期の子のマインドの形成

親から褒めてもらいたいからこそ
そして
言いなりになる子もある
のでね


そこは
親の前でのその子

その親のいない時の
その子


大部
態度が違いますね


完全に
陰陽五行の様で

物凄い
鬼の面の様になる者は

います
あの顔は
自分でも知らないです

嫌な顔をするとかではない


そのものに成る者もあるから

恐怖とはその人の
内陣にあるので

何をするかが
最重要だ

意図

おもい
ことば
おこない


いちいち
集団
徒党を組まないでもいいのに

何かその集団力動を
媒体にして
組合を
結成する



組織の内容ですね

全体SYSTEMを操作したい人の集まりもあるし


そのために他人を道具にして
「先生」なんて呼称す方もある

虎視眈々

眠れる獅子でしたが


ライオンは
メソポタミアにあっても

陸地から八州に連行し

利用する場合もあったし
また
いま
逆襲もある

帝国の逆襲だ

など
ドラマツルギーの連綿もあるし

それら
酔わないで
解析して
検分してごらんあそぶ



たしなめば

価値は
価値化した品物として
あーー無駄だとはならない事柄ではあるのですよ


人と人は
どうして出会うのか


偶然
ハプニング
意図して出会い




歓び

迎えるか

蓬莱

朋来

宝來
寳來
鳳来

豊来


訪問神のような方はあるものだが


扉は自分で叩くのは鉄則だし
狭い道は自分から
先行きます方のあとをたどる事で
到着するのです


髑髏の丘場には

白き骨の丘です
タツキも
白き枯木だ

そこに
生木を接ぎ木したのです


ROMOMEROUS


多い大なる10の頭の皇帝たちよ

そして
7つの角や
10の角の
生え代わりの時に

いまこそ

その二枚の舌の真っ赤な大口で地を飲み干したいか


という事だ




果実を

そして
どうなるというのか


自分でほんとうは呑みたいものは
何か
知らないのではないか

まだ眠って居る大蛇のようなそのものは

何かそのカルトのマインドセットの種子の為に
操作されているだけだ


その大蛇の頭を
小さな小さなはだしが
踏みつける時は
今だからです


南山堂浄漣院












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