エッセイでは無いのです、リポートなのです、自分の生活環境の観察をしているART作品です

2024-03-24 13:47:15記録時間


エッセイでは無いのです、リポートなのです、自分の生活環境の観察をしているART作品です。

行為は観察し

対象は自由設定で

自分でセレクトしチョイスするだけ

なぜなら

学問とは

正に

自由のそれそのものです

いちいち

学校で

お勉強とは

そもそも違うからです

それは

SYSTEMとしてのエデュケーションです

Politic

の範囲

国家運営政策論

とか

地域社会運営構築論とか

まあなんでも適当な名称でいいのですけども

いわゆる

公共の福祉の構築行為の範囲ですので

具体化の実践は当然必要ですよ

取り組むは

生活と同じことなのでね

公共の福祉とは

自分は違いますと

どこまでも主張している方も

当然

包括するのは

予め設定が既にされているので

公共の福祉は

全体を範囲に設定しているのは

当然です

一部の人を排除したり

除外したりはしません

どんなに福祉に反対だとか

意見をどこまでもアグレシブにいい

革命だ

体制反対とか

宣べている人でも

マニフェストの青い若者志向者

であっても

です

その個人の意図は

自由に表明できる事自体が

福祉の社会構成の必須です

であるので

身体の機能の支障を抱えている人があっても

関係無いのです

なんでも自由に自己のコトバで主張しても

OK

GOOD

こうあるべし

とか

こうあるべき

という従来価値の捕囚者でもOKGOOD

なんでも

いう事をゆるされている次第が

公共の福祉を構築するための土台形成の仕事の一つです

排斥の意図はどうか

特定に相手を死ねという事を

表明した場合は?

思う事は

あいつ死んでしまえ

念慮がある人がある時

その人は

その社会では生活を保障されるでしょうか

排除されますか

そう思った者こそ死ね

なんて

云う事もある

目には目

歯には歯だ

いう事

これでは

いつでも

殺し合いの土台を形成してしまうのでしょうし

そしてきた人々が大勢しましたね

なぜ

死ね

発意し

発言したのか

その理由は

何でしょうか

動機

MOTIVE

それを

検分しないと

不明のまま

ただ

断罪しても

まったく

メリットが無いのです

対話をしようとしない限りは

その人の根源を知る事は無い

お互いに

対話

Themeは

なぜ

あいつは死ねといいはなってしまったのか

Themeを設定し

人生のライフヒストリーを

共に

辿る

セッションと

その為の

ミッションを

実践し

実行しようと

PROGRAMを設計する事ですね

メリットは

それは

操作する事である

PROGRAMでないのです

人と人の対話の為に必要なメソッドとその為に必要なプログラムなのです

設計は

南山堂

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