短編と詩by田中遊子

新潟出身、ニューヨーク在住。「不思議」「奇妙」「懐かしい」「ちょっとこわい」「あったか…

短編と詩by田中遊子

新潟出身、ニューヨーク在住。「不思議」「奇妙」「懐かしい」「ちょっとこわい」「あったかい」を調味料にしてます。

最近の記事

雨が好き

サワサワサワ シャトシャトシャト・・・・ はじいてるのに すいこまれる はじかれながら すいこまれてる インクがおちていく 血が流れていく 重く重く 下へ下へ なのに どんどん軽くなる 暗く暗く そして ともる灯り ため息で吸い込む 地面の匂い 水、大気、インク、血、 流れる流れる 溢れる 清まる さよなら さよなら さっきまでの晴れ ここにあるのは 疑念の優しさ ただそれだけ 灰色のパール 雨が好き

    • よる が すき

      夜が好き 重くてあったかいから好き 夜の音が好き どこかの階で閉まる扉 誰かがひねる蛇口 たまに通り過ぎる車 窓の下の足音と鼻歌 たまに軋む金属の何か 2時と3時の間が好き 深くて分厚くて好き いつも夜中に明かりのついてる窓が好き 夜が好き 暗くて、賑やかで、重たくて、深くて、あったかくて、ぶあついから好き 2時と3時の間 どこも濁ってない みんなひとりで、みんなつながってる まっくらで、しずかだけど、いろんなお話がながれてるから好き ずっしり

      • プラットフォームとフォリント

        「むせび泣く」が、ようやく浮かんだ。 むせびなく むせびなく むせびなく む・・・・む・・・・・M・・エムの音 そう、これだ。 ああ、思い出せてよかった。 電車が来る前に、文章が完結してよかった。 一瞬、これとは違う、Hの音を帯びた何かが思い浮かび、 すんでのところで、そちらを割り込ませてしまうところだった。 H・・H・・・ は・・・・は・・・・ ふ、  ほ 「ほ」だ、首をもたげたのは。 「ほ」 ほ  ほ ほ・・・ 「ほころぶ」 そう。 ほ こ ろ ぶ

        • ミケラちゃん 3

          3本足の謎が一つ一つ解明されていくにつれ、私たちは、だんだんとその特異性にも、非日常性にも、神秘性にも慣れていった。ミケラちゃんの足は、タブーではなくなったのだ。それは、例えば、体の前に突き出た足のせいで跳び箱が飛びにくそうなことや、行進のとき、「左、右、左、右・・・」の二拍子にやや窮屈そうに合わせている様子などを、無遠慮にからかう生徒が出てきたことなどによく表れていた。 そうした悪ふざけにも、ミケラちゃんはニコニコしながら、「そうだよねえ」などと呑気に構えていた。そんな彼

          ミケラちゃん 2

          とうとうこの時が来た。 ぼんやり想像してきた「その時」は、唐突に、でも、あっけなく広がった。 やっと、誰かがミケラちゃん本人に向かって、足に対する疑問を口にした。これで、少なくともここにいる全員は、それまでの見て見ぬ振りという葛藤からは解放される。 でも、それからどうなる? 「その瞬間」が来たら、自分もそこにいるであることを、想像の中では疑いもしなかった。漠然と思い描く情景の中で、口火を切るのはわたしではない誰かだった。そして実際そうなった。しかし、どの程度のマグニ

          ミケラちゃん 1

          遠くの街の大学に行くことになった。 合格通知を確認した後、ひとしきりはしゃいだが、その数日後に送られてきた入学手続きの書類の入った封筒の分厚さは、卒業と合格と進学が合わさったお祭り気分ですら、一瞬、気圧されてしまうほどだった。しかし、すぐに、その封筒にある書類の一枚一枚こそが、歓喜を現実たらしめているということを実感し、そうなると、今度は、合格通知を開封した直後の瞬発的でヒステリックな興奮とは違った、重厚な感動が内臓を振動させた。 そうか、わたし、この村を出るんだ。 そ

          骨壺 3

          2004年に起きたマグニチュード6.8の直下型地震で、祖母の家はかなり揺れたらしい。無事を確認すべく、わたしは、生後8ヶ月の二人目を小脇に抱えながら、ニューヨークから祖母に電話した。泊まりで様子を見に来ていたとみられる近居の叔母が電話をとった。全員の無事と、そのエリアは揺れた以外には特に何もなかったことを確認した後、祖母の様子を尋ねると、叔母は、呆れたように「真っ先に、すごい勢いで外に飛び出そうとすっけさ、慌てて止めたんて」。 何十年にもわたり繰り返してきた、「おれぁ、来年

          骨壺 2

          8歳の夏は、ほぼ丸一月、祖母の家で過ごした。 母がわたしの弟を7月の初旬に出産したため、わたしは実家に預けられたのだった。暑い盛りだった。夏休みの宿題をしたり、地元のラジオ体操に行って、そこで近所の子と仲良くなったりした。わたしの街とは車で小1時間しか離れていないのに、そのお友達は、単語だけでなく、間やスピード感までも違う言葉を話していた。それまで、その地方の方言は、祖父母、叔父叔母、里帰り中の母、祖父の会社の従業員や出入りの業者など、大人と年寄りからしか聞いたことがなかっ

          骨壺 1

          「ユウコの”ゆう”は、”遊ぶ”と書きます」 病院の窓口でわたしの名前を告げる際、そう言い添える祖母の横顔を、わたしは左斜め下から見上げていた。小学校に入るか入らないかの頃。祖母との原風景の一つだ。今も時々何の前触れもなく、残像のごとく浮かび上がってくる。なぜ、祖母の街の医者に、自分がかかることになったのかは忘れた。6歳くらいの頃、叔父と叔母と、居間でふざけあっているうちに、テーブルの角に後頭部を強打したのを覚えているが、それと無関係でないような気はする。 数回の流産死産