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Part 3『ASOBOiSM誕生と確立』

ルーツを振り返る『I am ASOBOiSM』パート3。
心機一転ラップ・ユニットとしての再始動と、初めて手応えを実感できるようになるまで。

聞き手・原稿◎高木“JET”晋一郎

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“「本当にどうしたいのかわからない」って毎日泣いて”

 2017年に本格的に「ラップ・ユニットとしてのASOBOiSM」をプロジェクトとして立ち上げました。当初は私はMCたなま、もしくはMCたなまざふぁっかーって名乗ってて(笑)、大学の時に出会ったイギリス人の友達がDJをして、二人組のユニットとしてスタートしたんですよね。その時点で「こういうコンセプトで、こういう目標地点を持って、どういった曲を作って、どこにターゲットを絞るか」っていう、事業内容みたいなことをiPhoneのメモ帳に書き出して。それはたなま時代の経験とノウハウから、自分のやりたいことを好き放題にやっても、人には届かないっていうことを理解してたんで、どういった方向性や目標を持ってるかを、自分でもちゃんと考える必要性があるなって。だから、それはいまでもある部分ではそうなんですけど、ASOBOiSMをプロジェクトとして俯瞰して観てる部分がありますね。特に最初の段階では、ビジュアルやアートワーク、歌詞もトラックも、「ASOBOiSMが何をやったら面白いのか」っていうのを、すごく客観的に捉えながら制作してて。だから自己表現ではありつつも、「ASOBOiSMは本名の自分が作る商品」だという意識はありましたね。
 それで作品作りを始めるんですけど、2017年3月にある会社のオーディションライブがあって、それがASOBOiSMとしての初ライヴだったんですけど、オーディションは不合格で、その次の日にDJの子と全く連絡がつかなくなっちゃって(笑)。一週間後にはYouTubeでのアップに向けて「DWBH」のミュージックビデオを撮る予定で、その予算も折半するつもりだったのに、そのお金も全部自分で払わなくちゃいけなくなって「うわ……マジか……」みたいな。そのMVはハイエースの中でスモーク炊いて撮るっていうのが監督からのアイディアだったんですけど、吸っても大丈夫なスモークを買う予算もないから、花火の煙で代用したら、当然ですけどハイエースの中に煙が充満して、監督と二人で一酸化中毒みたいになっちゃって(笑)。帰りに「なにが“Don't Worry Be Happy”だよ……」って言いながらラーメン食べたのはめちゃくちゃ覚えてます(笑)。

 だからDJはいなくなる、MV撮影では死にかける、オーディションも上手くいかない、って、ASOBOiSMは完全に出鼻を挫かれましたね。「大人は怖いな」とか「音楽業界で仕事するってのは大変だな」ってことが多くて“たなま”を辞めて、心機一転、自分で新しいプロジェクトを立ち上げて、いろんなことを考えて方向性も決まって、さあここからっていう時に、そんな目に遭ったんで、完全にメンタルが病んじゃって。長崎のおばあちゃんちで療養する時間が必要だったぐらい、本当に傷心してました。「ここから本当にどうしたいのかわからない」って毎日泣いてて。周りは結構成功して行く人も多かったから、そういう人たちと自分を比較しちゃったりもして。自尊心が最高だった分、あまりにも失敗とか傷つくことが多くてその落差に、心が耐えられなくなっちゃったんだと思う。
 ただ、そんな状況でも、ASOBOiSMをライヴに誘ってくれる人もいて。”たなま”時代からお世話になってた「Milky Way」のスタッフさんが私がASOBOiSMを始めたって知ってて、そこから春ねむりちゃんにつなげてくれて、ライヴに出させて貰ったり。

“「格好いい女性になれるんだ」っていう気づきがあった”

 そして2017年の7月に、初のEPとして4曲入りの「DWBH」をリリースしました。自分一人で活動してたんで、CDのプレスはどうしたらいいか、誰に告知をお願いすればいいか、タワレコに置いてもらうには、みたいなことも全部自分で仕切って。おかげさまで、“たなま”時代からのファンの方が手にとってくれることも多くて。ただ、内容的には聴いて貰えると分かると思うんですけど、いまとはちょっとスタイルが違うと思いますね。もっとポップな感じだし、衣装もいまよりもフリフリな感じで、いわゆる「女の子ラッパー」っていう感じだったと思う。

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 そういう動きと並行して、色んなオーディションにも出てたんですが、その中でも「出れんの!?サマソニ!?」に出たことは大きかったですね。最終選考まで残ったときには、ここまで行けるんだっていう自信にもなったし、自尊心を回復するポイントでもあって。「DWBH」がタワレコの未流通コーナーで一位を取れたのと併せて、ASOBOiSMはそこまでセンスが無いわけじゃないんだな、と思いましたね(笑)。そのオーディションをキッカケにいまのASOBOiSMに繋がる体制が出来ていったんですよね。
 ASOBOiSMとして楽曲を制作する時に一番大事にしているのは、やっぱり「自分自身の言葉」ですね。「本名の自分が、ASOBOiSMという女性を通して歌う」というのがASOBOiSMのテーマなんですけど、そこには本名の自分が感じている日々の鬱憤だったり、感情だったりを、日記のように込めたいなって。その意味でも「日常の歌」を書きたいんですね。
 シンガーソングライター“たなま”の時は、「みんなが元気になる歌」みたいなことを考えて曲を考えてたんですよね。だから自分の思ってることを書くんじゃなくて、誰かに評価されるために書いてたんだと思う。だけど、それよりももっとリアルな自分自身の状況や感情を曲に落としこんで、それに対してリスナーの方がフィールしてくれたり、共感してくれるのが、自分にとってはベスト。だから「逢えなくて辛い」とか「勇気を出して」みたいな内容じゃなくて、「仕事が辛い」とか「いま自分はどう考えてる」って、自分自身の日常や考えを打ち出して、そこにリスナーにはリアリティを感じて欲しいんですよね。そして、それはラップっていう情報量の多い表現だから出来ることだとも思うし、自分の音楽スタイルじゃないと表現できないことだと思う。自分の感じる気持ちと状況をしっかり書いて、そこに現実味を生み出して、リスナーに伝えたい。それがASOBOiSMのコンセプトでもあるし、大事にしていることですね。
 それに近づけたなと思ったのが「DRAMA QUEEN」。「DWBH」の約一年後の2018年6月にリリースした曲です。もちろん弾き語り時代も、「DWBH」の時も、その内容は等身大だったことは変わらないし、その部分はやってきたことはブレてないんですよ。でも、その見せ方や表現が、もっと本名の自分自身に近づいたり、理想とするような「強さのある女性」に、「DRAMA QUEEN」で接近できたと思う。

それもあって、デビュー当時のフリフリした感じじゃなくて、もっと自分が本当にしたいスタイルにビジュアル面も変えていって。そこでの変化によって、自分も「格好いい女性になれるんだ」っていう気づきがあったし、そうなれた自分にびっくりしたんですよね。だから完成させたときは「やりたかったのはこれだ!」っていう手応えがしっかりあったし、自分が作詞作曲をして、トラックに関してはアレンジャーさんにブラッシュアップして貰うっていう作業の進め方も、ここで固まっていって。そこから1stアルバム「OOTD」にも収録された「スクランブルメンタル」のように、いまの自分に直接つながる曲がどんどん生まれていきました。

(Part 4へ続く...)

アルバム「OOTD」はこちら

"PRIDE" Music Video


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