わたしについて①

 人口4000人の長野県青木村に生まれ育つ。今でも合併していない独自性が強い自治体で、私は相手を知らなくても、祖父や父の名前を出せばどこの誰だかが特定できる、狭いが地域で子どもを育てるとてもあたたかいコミュニティでもあった。

 小学2年のときに、8歳下の弟が生まれたことをきっかけに、子どもの世話をすることが好きになる。今でも弟が家に来た日のことを思い出すと涙が出てくるくらい、人生の大きなよろこびだった。

 進路を決める18歳のとき、悩みに悩んで絞り出した人生観が「やりがいを働きがいに、働きがいを生きがいに」と決まる。私のやりがいは人(老若男女)によろこんでもらうこと。私は人(とくに子ども)が好き。
(ちなみに起業前の2021年、行き詰まりを感じて人生の棚卸しをしたのですが、まったく変わらない人生観であることを確認しました)

 東京の短大に進学し、保育士資格・幼稚園教諭二種免許取得。

 「都会のお受験幼稚園のようなところよりも、自然いっぱいの中で五感を生かした保育がしたい」と、地元への就職先を探していたときに、JAに出会う。
 世の中は資本主義社会だと思っていた私に、株式会社でない相互扶助の精神がある組織が存在することに衝撃を受けたこと、理念が「4つのよろこびを追求する」に自分の人生観と近く共感したことから、両方やりたいととても悩むも、保育は資格があればいつでもできると地元JAへ新卒就職。

 広報担当となり、マスコミ対応や取材記事を書く。入組2年目で、最優秀賞記事賞を受賞し、全国一位に輝く。数百人に及ぶ取材活動で、さまざまな人たちの人生観に触れたり、農業政策を通じた社会構造への関心も高まる。


 しかし6年後、取材活動で子どもたちと触れていたことから、「やはり子どもが好き。携わりたい」という気持ちが消えず、保育園への転職活動を開始。

 ちょうどそのタイミングで、新規事業立ち上げへの声がかかったのがNPO法人アイダオという県内東信地区を担当する中間支援組織だった。

 認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人理事長長岡秀貴と、(株)はたらクリエイト代表井上拓磨という長野県のソーシャルビジネス界では先駆者でもあった2人がいたことから、保育分野に着地する前の成長点として転職を決意。社会起業家をはじめ、経営者ら地域のたくさんの老若男女との人脈を築く。


 やるのは3年間と期限を決め、最終的に理事長に就任したが、3年半後に自分との約束通り保育士となった。

 発達障害があってもなくても、肌の色が何色でも関係ない多様的な保育を望んでいた私に、地元青木村の教育長と村長から声がかかる。
 全国的にもインクルーシブ教育の先進的な取り組みをしていた同保育園に、正規職員として5年間の実務経験を積む。


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