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選択肢コマンドに気付かないといけない

おはこんばんにちは!現在Lv.23のゲーミフィケーションくんです。

今日はゲーム思考で生きることの心理的な効果を調べていたのですが、その中で選択肢コマンドについて色々考えたことがあったので、共有しようと思います。

というので今日の研究日誌は「選択肢コマンドに気付かないといけない」ということを書こうと思います。

「LIFE IS STRANGE」というゲーム

芸能人の狩野英孝さんが昨日から「LIFE IS STRANGE」というゲームの実況を始めていらっしゃったのですが・・・。

以下に貼ったのは「LIFE IS STRANGE」の紹介ムービー的なものです。

どういうゲームかというと、公式サイトにはこのようなキャッチコピーが書かれています。

人生は選択肢だらけ。でも、もし、選び直すことができたら。

で、ゲームの説明のところには、

『Life is Strange』 はプレイヤーの選択によって物語の内容が変化するアドベンチャーゲームです。主人公は、オレゴン州の田舎町にある高校で写真を学ぶマックス。突然、時間を巻き戻す力を手に入れた彼女は、5年ぶりに再会した親友のクロエとともに、女子生徒レイチェル・アンバーの失踪事件を調べ始めます。

と書いてあります。僕はこのゲームがすごく好きです。

なんでこのゲームが好きかというと、何気ない場面の選択肢の存在に気付けるからです。

自覚的な選択肢

よくあるものとして、「あの時こうすればよかったのになあ」という後悔があります。

で、この「あの時こうすればよかったのになあ」というのは、選択肢に対して自覚的なのですよね。

たとえば、もっと勉強すればよかったとか、ちゃんと早起きすればよかった、みたいなやつです。

選択肢を選ばなかったことに対する後悔なら、反省してがんばる、というのがあるのですが、問題は選択肢の分岐があったことにすら気づかないパターンです。

これがこのnoteで書きたい部分です。

選択肢があったことに自覚的なら、解決策を講じるだけなので、それほど問題ではないということです。

無自覚的な選択肢

世の中には、定番の選択肢というものがたくさんあります。たとえば、TOEICを頑張るとか、成果が予測できるものです。

他にも、就活をいつ始めるかみたいな選択には誰もが悩むことができるのですが、選択肢があったことに気付かないパターンがたくさんあります。

たとえば、小学生の時に○○コンクールに出るとか、海外の大学に行くとかです。

このようにあまり壮大なものでなくても、近所の施設でやっているイベントに参加するとか、公園で絵を描いている人に話しかけるというものもあったりします。

で、本当に自分がやりたいことをやろうと思ったら、選択肢の存在に気付かないといけないと思っています。

選択肢の存在に気付かなかったら、自分がやりたいと思ったはずのものを失っていくイメージでしょうか。

「別にやりたいことなんてなかった」というのは、結果論になってしまうのですよね。

たとえば、大学の先生にメールすれば喜んで研究室に招待されたであろうことに、気づかず通り過ぎてしまったりして、メールをするという選択肢の存在に気付かなかったりします。

その、「メールをする」という選択肢を選んでいれば、その分野の最先端の人と話す機会を得られて、「これがしたい!」と思うタイミングがあったりします。

じゃあこの選択肢を取らなかった人が何を言うかというと、「別にやりたいことなんてなかった」と言ってしまう感じで、順序が逆なのですよね。

無自覚的な選択肢はたくさんあって、その選択肢のコマンドに気付いて選択することで、やりたいことが見つかるということです。

成果が予測不可能な選択肢

ただ、無自覚的な選択肢に気付いても、多くの人は選ばないことが多くあります。

たとえば、「就活に詳しい人に直接メールする」という選択肢に気付いたとすると、案外多くの人がメールします。それがなぜかというと、成果が予測可能だからです。就活がうまくいく何かが得られそうです。

一方で、「ずっと本を読んでる人に何を読んでるか聞く」ということをする人は少ないです。それがなぜかというと、成果が予測不可能だからです。どんな本を読んでるかに興味もないし、聞いたところで何になるか分からないです。

人はどうしても結果が出やすいものに流れてしまいます。

TOEICの勉強を頑張れば数字になって返ってきますし、トライアスロンを頑張れば記録が出ます。筋トレだって見た目が変化して、「成果が出た感」があってすごく楽しいです。

このあたり、情報化社会の問題だったりして、一日パソコンを打って、仕事から帰るときに、「今日何してたんだっけ?」みたいになりがちです。

昔だったら、家を建てようとして木を拾ってくれば、目の前に木が並びます。で、家を建てれば自分で建てた家が目の前に広がり、「成果が可視化」されます。

この「可視化」というのはゲーミフィケーションの要素として数えられているのですが、本来当たり前にあったけど失った「可視化」を取り戻したというようなイメージです。

このあたり、ゲーミフィケーションが何か特殊なもので、工夫を足し算しているようなイメージの微妙な部分です。

人は成果が予測可能なものに流れたくなるけど、成果が予測不可能な選択肢を選ぶといいかも、ということです。

成果が予測不可能なところに宝箱がある

ただ、成果が予測可能なもののほうが確実じゃないか、みたいなところなのですが・・・。

このあたり、成果が予測不可能なところに宝箱があります。

たとえば、僕はこのnoteを書くことで何か成果が得られたりするとは思っていなかったのですが、このnoteを書いていたことで縁につながっていたりします。

他にも、ゲーミフィケーションのコミュニティをとりあえず始めてみたり、その中で雑談ZOOMを開くなどすると、予想しなかったすごい人がZOOMに参加してくださったりします。

このあたり、こういった予測不可能な成果が見えないから始めない、とかだと絶対に得られない経験なのですよね。

スティーブジョブズさんが「点を線でつなげる」というようなことをおっしゃっていますが、これは成果を予測した行動からは生まれないということです。

Appleが成功してPCを作ることを予測して、その時のためにカリグラフィーを学んだわけではないということです。

成果が予測不可能な選択肢から得られるもののほうが大きな価値をもっている可能性が高い、ということです。

自分が選んだ選択肢を正解にする

これ、昨日たくさんのことを僕に教えてくださった方がおっしゃっていたのですが・・・。

僕はゲーミフィケーションについてどういうアプローチをしていくのが正解なんだろう、ということを悩んでいたのですよね。

そこで彼女が、「自分が選んだ選択肢を正解にする」ということを教えてくださいました。

それを聞いたとき、「なるほど!」と思ったのですよね。

どうも選択肢という言葉には、一問一答のような印象がつきまとっていて、どれが正解、不正解というような先入観があります。

先ほど、成果が予測不可能な選択肢から得られるもののほうが大きな価値をもっている可能性が高い、ということを書いたのですが、その選択肢から得られたものをどう活かすかが重要だと思います。

ゲットしたときは宝だとは思っていなかったけど、冒険しているうちに宝だということに気付くようなイメージです。

正解度のようなものがあったとしてもそれはグラデーションで、その正解度も上書き可能だということです。

じゃあどうするのか

今日からnoteを書くごとに自分にクエストを与える指針でやろうと思っています。というので、

【今日のクエスト】直接は役に立たないが、興味のある本を一冊読む

これをやっていこうと思います。

ということで

「LIFE IS STRANGE」というゲームでは、主人公が持っている知識によって選択肢コマンドが増えたりします。

ここが読書をする意味の核心をついていると思っています。

ゲームフルに生きることがすごく大事だと思っているので、本もある種の強化アイテムだと思って読んでいきます。

人生は選択肢だらけ。でも、もし、選び直すことができたら。

「LIFE IS STRANGE」のこの言葉、大好きです。

狩野さんの実況すごく面白いのでオススメです。

では!

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