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永遠のソール・ライター展に行ってきた。

ソール・ライターとの出会い

ソール・ライターはニューヨークで活躍した写真家で、2017年、日本で初めての回顧展が行われた。
わたしがその展覧会を知ったのは、期間が終わってからだった。
確かたまたま美術手帖のサイトか何かでカバー写真を見て一目惚れした。
当時、行けなくて悔しい思いを抱えた私は、すぐにAmazonでソール・ライターの本を買った。
『ソール・ライターのすべて』
http://www.seigensha.com/newbook/2017/03/23111749

今回、2度目の日本での回顧展ということ、また世界で未発表の作品もあるということで、今度こそ”自分の眼(まなこ)で見たい”と思い行ってきたので、そのレポートをしたいと思う。

そもそも、私がソール・ライターのどこに引っ掛かったかと言うと、それは一言でいえば「構図と背景の扱い方がおもしろいな」という点。
例えば傘越しに見える風景を、傘もいれることでそれすらフレーム化して撮影していたり。
対象物と背景のぼかし方のコントラストもハッキリさせたものが多く、それでいてパソコンの図形描画でいうと「背景を最前列」にしていたり。
通常であれば、"見せたいものをクリアにそして鮮明にしたがる"ところを、"敢えてぼかしたり隠したりする"ことで、より凝視させられる。

(なんか自分の中でとっても新鮮だったんだよな)

今回、エキシビションに行くことで、彼の生い立ちやブレイクのきっかけなど歴史的なことも順を追って見ることができて、ようやく全体像が掴めた気がした。
もちろん、作品を生で観られるというのは足を運ぶ理由のひとつであるが、「キャプション」付きという点も私が美術館を訪れる理由のひとつなのだ。
そうやって全体がキュレーションされることで、作品は単体で見るよりもメッセージ性が高くなり、こちらの理解度も増す。
本だと小さなスケールで『閲覧』に留まるところが、訪れることで『体感』に変わるように思う。
だから実際この目で観るという行為を大事にしている。

百聞は一見に如かず。
実際どんな感じかというと、こんな感じ。https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/21048

ソール・ライターの作風に与えたものとは

キャプションによって理解度が増すと先ほど書いたが、私の中で納得したものとして、彼の写真に影響をもたらしたものが、2つのキーワード。
シュルレアリスムとキュビズムである。

ここで私も実はちゃんとは説明できないのでリンクを参照されたい。

◎シュルレアリスム https://www.artpedia.asia/surrealism/

◎キュビズム https://www.artpedia.asia/cubism/

個人の様々な哲学や思想が色濃く反映されやすいのは芸術であり、
その一方でそれすらも俯瞰した視点で捕らえ、作家の主観を押し付けることなく、こちらに委ねるようなものも芸術である。

私は絵が描けない。下手だ。だけど、芸術は好きだ。
作品によって、こちら側の想像力を大いに掻き立ててくれる。
そして作品が媒体となるわけだが、それぞれの解釈そのものに本当のところ正解がないのも芸術という懐の広さ、自由さがある。

それがいい。それでいい。うんうん、ありがとう。そんな気持ち。


観賞後に行うこと

なるほど納得!と観ているときに思っても、
案外すぐに忘れてしまう。
何かを掴んだのに覚えていられないのが私。
なので、だいたい携帯のメモ機能を使い、頭の中にいるキーワードをアウトプットするようにしている。出口を出た瞬間にだ!
急速冷凍しないと鮮度が落ちるのと一緒(笑)

最後にその時殴り書きしたメモの断片を公開しよう。まるで暗号。

興味のある方は、ぜひ会期中に行くべし!

シュルレアリスム、キュビズムのかけ算。
雨、湿度に濡れた窓、鉄格子。
バス、タクシーのフレーム。
ショウウインドウの窓の反射。
色彩はようしょに赤おおめ、黒も。ときどき黄色も。
雪、雨の描写おおめ。ぼかし。
切り口だいたん。構図だいたん。
背景を表にするとか重ねるとか。
動き、わざとブレさす。
絵はロスコ―ような感じも。

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