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言祝ぐ

GWに放置してしまった転職活動を本気入れてやらねば、と思ってエージェントと面談をしたらとんとんとすごい勢いで進んでしまい、仕事と生活(特に食事とジム通い)に食い込み始めたのがストレスになりつつある。
キャパりはじめるとまず食事に影響が出る。すでに今週時点で自炊ができなくなって、週末に作り置きしたキーマカレーを週半ばに食べきり、そこから10分で作れるものしか作れなくなって、使いそびれた鶏むね肉を一週間も放置してしまった(さらにPMSなのかストレスなのか、食欲が落ちた)。
最近気づいたことだけど、もう一つキャパりはじめたサインは「LINEを返せなくなること」だと思う。
何度でも引用してしまうが、違国日記の槇生ちゃんも生活が回らなくなり始めるとLINEを放置するタイプの人間で、「ああ、こういう人って他にもいるんだ」と安心した覚えがある。
というか、ここ半年ぐらい、少しずつ「できないこと」が増えてきたような気がして心がしなびそうになる。
「同じような話、この前だれかとも話したような気がする」「今LINE返せない」「仕事のメールも滞る」
なあなあにしたまま、手のひらから零れ落ちてしまうものが多すぎて、悲しい気持ちになる。

閑話休題。

今日、大学のサークルの同期の結婚式だった。新郎も新婦も同じサークルで、一緒に長い時間を過ごしてきた友人である。コロナ禍で入籍してから1年ぐらい結婚式まで間が空いていたが、きちんと祝える場があるのは嬉しいことだなと思った。

普段はきゃぴきゃぴしている彼女と、動じない彼氏、という感じの二人なのだが、今日はふたりとも終始、少し照れている様子はあったもののニコニコしていて、彼らの嬉しい気持ちが伝わってきた。コロナ禍でみんなには会えないけどLINEで結婚報告するのも違うから会えた人に都度都度報告している…という状況もあって、なかなか大々的にお祝いすることが出来なかったのだけど、きちんとこの佳き日を祝福することができてよかったと思った。自分がもし結婚式をやるとしたら、そこまで前のめりにやりたいと思えないかもな…と思っていたけれど、祝福してくれる人たちがいる限り、大々的に祝える場としての結婚式は意味があるのだと思う。

悪い意味ではなく、25歳と27歳の結婚式は思いのほかままごとのようで、きっと「生活」や「家族」というものも、こんなふうにひとつひとつ手探りで自分たちのものにしていくということなんだろうな、と思った。

ちょうど先週、祖母の法要があって親族で集まったときに、両親や叔父叔母夫婦、従兄弟と奥さんの様子を見ていたこともあり蓄積されていたのだと思うけど、結婚式に参加して、「夫婦、いいなあ」と思った。たぶん正確にわたしが「いいなあ」と思っているのは、人生を連れそえるパートナーがいることだ。
スペインのことわざに「Tú eres mi media naranja.(あなたは私の半分のオレンジだ)」というものがある。米津玄師の「Lemon」が大ヒットしたときに話題になっていたので知っているひともいるかもしれない。

切り分けた果実の片方のように、今でもあなたはわたしの光

米津玄師「Lemon」

「切り分けた果実の片方のように」ぴたりと当てはまる人、つまり生涯愛する人、ベストパートナーを示しているそうだ。
今日結婚式を挙げた二人もそうだし、親族の夫婦をみていても、仲睦まじく、どちらかの不足をどちらかが補うようなコミュニケーションがみてとれて、いいなあと思う。

でも、実際問題でいうと、わたしが相手に与えられるものは何だろう、と思う。そもそも恋をしていない。恋はどちらでもいいけれど、パートナーは欲しい。というか、わたしもフォローし続けてくれる人が欲しいし、わたしの行く末を見守ってくれる人が欲しい。
giveしないでtakeばっかりだな~ だめだな~~~。だからよく「恋人をつくるのを諦めたタイミングで恋人ができる」っていうんだろうな~


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