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祖父の卒寿祝い

私の意識の中で、父方・母方の祖母と母という女たちが与えた影響は大きいように思うが、父や祖父との記憶は薄い傾向がある。このnoteを振り返っても、父や祖父についてほとんど言及がないと思う。

父方の祖父の卒寿の誕生日を迎え、今日、2年ぶりに彼に会ってきた。祖父はわたしが小学校の中学年くらいのころに脳卒中を起こし、体の不自由と発話の問題を抱えながら生きていた。詳しくはよくわからないのだが、記憶や認知には問題がなかったはずで、いわゆる「呆けた」状態でなく、老年性の記憶の曖昧さやはあるもののある程度クリアな意識を持ちながら、アウトプットの不自由さの中生きてきたということになる。
それでも周りの人々の反応を見ていると、そのまなざしや触れあいの中で、どこか一線を引かれているのを感じる。わたしも、祖父と対峙するたびに、別の人の言葉を借りるのであれば「人間であることから滑り落ちた」ひとだと思っていた、と思うのだ。

祖父は地図に強い人だった、のだと思う。わたし自身の記憶の中で、祖父がすごく地理に強かったという記憶はないのだが、長年にわたって傍らで祖父を介護してきた叔母や、両親の発言から朧気にそのような印象がある。
今日は、延々と「端から端までの移動だから、もうよくわからなくなっちゃう」という話をしていた。彼の周りが交わしていた彼抜きの会話にはまったく影響されない彼の頭の中の世界では筋の通った話なのかもしれない。でも、彼の発言の背景や文脈がわからくて、全員が少し困惑していた。しかし困惑するのは慣れっこなので、曖昧な微笑みで受け流す。しかし繰り返される彼のその発言は、どうやら「XXからXXまでなんて、県の端から端だから大変だったでしょう」とねぎらってくれていたのだった。
彼の回らない舌で繰り出される言葉は、正直なところよく聞かないと聞き取りにくい。しかしよく聞けばある程度は聞き取ることができる。拾った言葉をつないで、根気強く聞いていると、不意に「これのことか」とひらめく瞬間がある。

興味を示すものにもムラがあって、母が選んだユニクロのフリースはあまり興味を示さなかったが、写真を撮ろうとスマホのカメラを向けると「これで写真が撮れるのか」と驚いていた。実際のところスマホで写真が撮れることはもうiphone5が世に出回っていたころから毎度新鮮に驚いているのだが、彼が興味を持ってくれたことが嬉しくて、そうだよ、これで写真も撮れるし、ネットもできるし、電話もかけられるし映画も見れるんだよ、と一つ一つアプリを開いて見せていると、衝撃が走っていた。「進化が早いねえ」。

そうやって、祖父の脳内の「遠いところから来た」ということと、スマホの話をいったり来たりしていたら、少しずつ祖父との会話が盛り上がってきた。みなとみらいにロープウェイができたこと。鎌倉の大仏は相変わらず観光地であること。Google mapで行きたい場所への経路や所要時間を計算できること。

寡黙だと思っていた祖父は、いろんな話の種を持っていたのだ、と気づかされる。彼を寡黙なキャラクターにしていたのは、彼の話を無視してきた私たちの方なのかもしれない。

要介護認定の降りている祖父を障害者たらしめているのは、案外こちら側なのではないか。私たちの態度は、彼の尊厳を傷つけているのではないか?
例えばどうしたら母は、祖父の話を「理解できるもの」として聞く姿勢を持つのだろう。どうしたら父は、祖父に自分から話を自然に振るだろうか。

最近、仕事でエイジングについて考える機会があって、超高齢化社会で、老いや不具合を抱えて生きる人が増えていくのに、身体の変化をフォローする仕組みが少ないのではないかと考えていた。認知が上手くできなくなっても、脳の信号が上手く身体に伝わらなくなっても、体をうまく使いこなせなくなっても、生きていかなくてはならないのだ。
祖父は90になったが、90になった自分のことを全く想像できない。老いることへの解像度が低すぎて、どんな順番でどんなふうに変化をしていくのかブラックボックスになってしまっている。
でも、もし体が動かなくなって、「なにもできないよね」という態で接せられたらつらいんじゃないかなと思う。実際に介護する人のメンタルの問題もあるとは思うが、たまにしか会わない人間くらいは、人として接してほしい。逆に言えば、たまにしか会わない人間でも最低限のふるまいとしてインストールしておけるといいなと思う。


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