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オリジナル曲『戦争』について


①一番に伝えたい部分

 X(旧Twitter)でもお伝えしたのですが、作者本人から作品に対しての解説や言及について、個人的にはあまり良しとしないと言うか、僕の尊敬するアーティスト様方は良しとしていないので、僕もそれに習っていましたが、今回の『戦争』に限り、僕の意図や意志など、お話していきます。

 まず最初に、いきなりですが、一番のテーマをお伝えします。

『 人は、自分自身の人生を生きるしかない 』

 これが全てではないのですが、全ての歌詞が、ここに収束するように作られています。

 最初に、物騒な言葉『人を〇した』と連なり、『で、どうなった?』と続きますが、実際に人を〇していたなら捕まります。
 という、現実直視な部分は置いておいて、誰もが分かる通り、これは例えで、『今もどこかで誰かが〇んでいる中で僕たちは生きている』を訴えている部分になります。

 『で、どうなった?』のアンサーは、当然ですが、「どうにもなっていない」です。これは現実直視になりますが、地球のどこかで誰かが死んでいても、自分の人生が変わるどころか、そもそも『知ることがない』ですよね。

 知るとしても、テレビのニュースなどで、過去の情報を知り得る程度で、戦争のない日本に生きている僕たちからすれば、楽曲内に出てくる『どっかの国の貧しい暮らしの餓死寸前のガキが〇ぬ』とか、『変わらぬ命がどっかで落ちる。祝福を受けない命が堕ちる。名誉も喝采も意味を成さない、どっかの誰かが今日も〇ぬ』とか、特定の仕事に就いていない人以外は、基本的にそんな状況には直面しないですよね。

 でも、僕たち人類は、時に『目に見えない相手』や『自分に関わりのない人たち』に対し、とてつもない慈しみを尊重します。

 そして、『こんな人も居るのに、自分はこんなことで悩んでいる』など、その人たちと自分を比べる場面をよく見掛けます。

 まず、『その人たちの苦しみ』と、『自分自身の苦しみ』というのは、そもそも天秤には掛けられない別物です。
 その人たちがどんなに苦しもうとも、自分の人生に変化はなく、あなたにはあなただけの苦しみがあります。
 だから、自分が苦しい時は、「苦しい」でいいと思っています。

②作詞作曲を始めたタイミング

 2年前、ロシアとウクライナの戦争の報道が、日本でも毎日テレビで映されていた頃に書き始めました。

 その時、月並みですが、「可哀想」だとか、「何か出来ることはないのだろうか」とか、そんなことを考える反面、『何も出来ないんだよな』という無力感に苛まれました。
 そして同時に、「関係がないんだよな」とか、「もし自分がその立場だったとして、知らん国の知らん人たちから、勝手に『可哀想』って思われるのは、どんな気分になるのだろう」とか、色んなことを考えました。

 考えすぎて迷走に迷走を重ねた結果、こんなことも頭に過りました。
 あまり公で吹聴したくないことですが、2019年2月14日

僕が高校1年生の頃、
・カースト上位女子からの陰湿なイジメ。
・他の男子も巻き添えになりたくないことから孤立。
・数週間ですがそれらにより不登校。
・同時にうつ病などの精神疾患も診断。
・学校に行きたくても行けない精神環境の中で、当時『教師になりたい』と思っていた夢を諦める、どころか『そもそもこんな身体じゃ生きていけない』と悟る。

 など、本格的に閉じこもっていた時、僕に「音楽」を与え、「生きていく希望」を与えてくれた、親友の命日です。

 ですが、そんなこと、誰も知らないですよね。
 毎年、バレンタインに皆さんがウキウキとはしゃいでいる間、僕は毎年、墓参りに車を走らせ、花束や線香を買っています。
 彼女がいる時でも、その日にチョコは受け取らない、など決めています。

 ですが、そんなこと、誰も関係ないですよね。
 こういう書き方をして、『その日に〇んだ友人が悪い』とか、『俺の前ではしゃいでんじゃねぇよ』とかを伝えたい訳ではありません。

 歌詞の通り、『今日は誰かのハッピーな誕生日』であり、『今日は知らない誰かの命日』なんだな、と感じました。

 今では、「お前の分まで生きてやる、そして俺が天寿を全うした暁には、一度も交わせなかった酒でも極楽浄土で交わそう」と思っています。


③楽曲に対する本意

 話は逸れたのですが、つまり、僕からすれば『可哀想』なんて思われたくなくて、むしろ「楽しいなら存分に楽しんで欲しい」と考えます。
 『可哀想』なんて思われたところで、『何も変わらない』ですから。

 戦争で亡くなっている人がいる事実、飢えで苦しむ子供がいる事実も、何も変わらない。「無視して楽しく生きよう」という訳ではありません

 僕たち人間は、とても不平等で、同じようには生きられず、『今もどこかで誰かが〇んでいる』という事実を抱えながら、目の前で起きている楽しいことを全力で楽しみ、「幸せだ」と矛盾を抱えながら生きていく

 こうやって書いていても尚、思います。
 ずっと矛盾が続く。『無視して幸せ』と思うべきなのか、『ずっとそれを胸に抱え続ける』べきなのか。

 この、ひたすらに矛盾し続ける思考こそが、この曲の本意です。

 歌詞の通り、ずっと迷走し続けるんです。
 正解なんてなくて、正解なんて誰も分からなくて、この曲のコメント欄で論争が起きるかも知れないとも考えましたが、それだって、その人の人生の一部分であるのだと考えました。

 僕への批判も、楽曲への批判も、曲に対する想いも、賛否両論、バラバラにぶつけ合う意見、それら全てが、この曲への答えだと思っています。


④最後に

 全てを語ってしまっては、本が一冊書けてしまうボリュームになってしまうので、僕の意図や考えはお伝えしました。
 反対意見があっていいし、僕の考えに納得できないという声があって当然だと思っています。
 ですので、今回はこの辺で終わりとさせて頂きます。

 歌詞の中に散りばめられた「何故この言葉を使ったの?」とか、「こんな乱暴な言い回しにする必要ってあった?」とか、まだまだ楽曲の中には疑問に思う点や、不審点、様々あるかと思います。

 一緒に考えていきましょう。
 そして、自分自身を生きましょう。

 同じようには生きられないのだから。


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