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楽しかった日々

 自己実現、自己が自己であると認識するための一貫性の獲得には、過去の人生を、行く道の過程として認識し、自らにとって意味のある唯一性をそこに見出す「振り返り」と、将来の時点から振り返った時に再びそう思えるべく、自ら思う過程へ身を投じる「前進」がある。そして、「前進」のため自らの習慣、思考を変容させることは「超克」と呼ばれる。

 時に物事は理不尽であるからして、僕たちが自らを自らであると位置付けるためには、その理不尽をも要因として認め、今を起点として見つめ返すことが必要である。往々にしてそれは、自らのみによっての実現は難しく、心安らぐ形は往々にして新たな人間関係によってなる。そのためにも、人に対しては善を尽くすべきであるし、自らの精神性は極力美しく保つべきであるし、他方自らを制限したり、傷つけたりする者が極力いないような環境を選択することが肝要である。

 自ら友と認める人間と過ごすことで、そこに至るまでの過程を許容できるのは素晴らしい効果である。僕は友人には恵まれており、分裂し袂を分かった過去も多けれども、人と共に過ごすことで、そこに至るまでの過程が唯一性によって輝き出すことを知っている。僕は人がそう思えるように、僕にあった人へ影響を及ぼしていきたい。

 また無論、一方で、過去を振り返ることによる一貫性の獲得は、受け止める理不尽が多ければ多いほど難しくなる。理不尽を敢えて起こすような輩を許してはならないのは単にこの理由に尽きる。悪意は悪意を連鎖させ、自ら置かれた場所を見つめる視座を汚し、過去の認定を難しくする。だから、物理的に悪意の実現ができないように環境を整える必要がある。

 そして、今日ここで、友と語らい楽しみあった時間を通じて、僕は初めて、過去の一貫性を獲得することと、自ら高みを目指すことの論理的一貫性を獲得した。僕の中にあった論理的葛藤は、理不尽が一貫性の獲得を阻害するものでありながら、しかし一貫性の獲得を目指していくために最高次の努力を貫きたい時、自らは過去に耐えられるかというものであった。然し、未来時点における一貫性の獲得は今からの動作によって獲得できるという希望を持って臨むべきであるし、過去の一貫性については、それに対する解釈を含め唯一性として認めるのが道の一つである。理不尽を抱えながらそのように生きている人たちがいるのだからして、僕が不努力を嘆き過去を否定するなど、以ての外である!

 今日をもう一度迎えられる日がくるならば、という体験は貴重である。そう感じることができる人が1人でも多くなるとよい。社会人間と構造的矛盾があり、そのことを阻害するとすれば、その解明と解決が僕の責務であろうと感じる。

 考えるに尽き、短い散文にて筆を置いてしまうことに呵責を感じつつ、今日の気づきを記すことができた。日々新たに、獲得と解釈を重ねていきたい。

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