自己肯定感と全能感の勘違い

中島輝さんの「自己肯定感の教科書」が飛ぶように売れた様に、「自己肯定感」という用語は悩みを抱える人達を中心とした、民間心理療法界隈では「心の健康」を取り戻すための基礎観念となっている。

自己肯定感を高めれば「多少失敗しても大丈夫と思えるから、失敗に臆する事なく何事にも挑戦出来る」から、「自身をもってやりたいことが出来るから、毎日幸せ」という、ちょっとした救いの物語が、現代の神様だ。


その一方で、「引きこもり」という概念?用語、傾向を生み出した斎藤環さんは「引きこもりという人種は内に全能感を抱えていて、その小さな全能感が社会と触れ合う中で唯の幻想だと気づいてしまう事を恐れて、引きこもっている」という、血も涙もない至言を生み出している。

現実世界で「何もできない」という事を恐れて、頭の中で「何でも出来る自分」作り上げて自分を守っている、という事らしい。


自己肯定感を高めて、毎日を生きる自分を受け入れ、肯定して、日夜頑張る。全能感で何とか自分を肯定して、騙して、引きこもる。

似ている側面が少なからずあると、私は思う。

全能感は‥自尊心が低い時に生まれるものらしい。否定されて、疎外されて、行き場のない感が生み出す空虚感を感じたくない、という現代社会を生きる人々の大多数が抱える根源的な欲求を満たすため、空虚感の原因となり得る身の回り、世界そのものと自分を切り離して、自分の脳内に作り上げた虚構の自分が作り出す世界から満足感を得る、という一連の流れが、全能感であるらしい。

空虚感を覆い隠すための逃避行動という点に関しては、境界性人格障害に似ていない事もない。現実世界に対し、自他のどちらかに直接的な害をなしていないだけで。

対して、世の中に一般的に受けいらられている自己肯定感の「肯定」とは基本的に、自分の至らない部分等、否定的に思える部分を「肯定」する事をさしている。ストレスそのものに対する感じ方を変え、現実の中の自分を更新していくスタンスを指し、自己受容感とも自己効力感とも呼ばれ、ともかく、自分を「肯定」というよりかは、自分を「許す」スタンスを指す。


虚構の自分に浸り得る全能感と、現実と向き合い自分を許す、逆に肯定しない自己肯定感は、文意上肯定という要素で結びついている。


何が言いたいかと云うと、自分の肯定の仕方、方向性を間違えると、自分はなんでもできると思い込む狂人になり得るし、そう思われかねないという事だ。

唯、世の中で上手くいっている大概の人は引きこもらなかった狂人みたいな人達なのだから、別に全能感自体は罪ではなく、全能感に浸って「引きこもる事」が罪というか、自己肯定感的に云えば何事も罪ではないというか‥


唯唯、狂人であると扱われないよう、私達は気を引き締めて生きていかなければ、世知辛いのである、世の中は。

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