β-273 よくきくふじいかぜ

私自身も楽曲を軸にさまざま考えていくシリーズを展開しているけれど、そのなかに藤井風さんの楽曲も入れようかなと検討していて、でも風さんは楽曲の考察をしている方々が多数いらっしゃるし、たぶんこれから私が同様に楽曲紹介を書こうとしても、その方々よりは陳腐になってしまうだろうし、取り上げたい好きな楽曲もそれなりにあるので、今回はシリーズの番外編としては、あっさりと何曲か砂場でスコップ一杯分くらいの内容で感想を書いてみようとは思います。

何なんw

私が藤井風さんを知った一曲、みなさんもきっとそうなんでしょうか?

初めて聴いたとき、クラシックピアノの音がとっても印象的だったのが、とっても気持ちよくって、でもこの楽曲というか藤井風さんの特長って、ふつうであれば、ピアノがメインになる箇所というのは、どうにもイントロかアウトロか、または大サビ前のところかというところなのかなのに、風さんはサビであっても思いっきり主体となってピアノが全面的に出ている楽曲が多いというところがとても素晴らしいところだと思う。

もちろん、ギターやドラムプレイが際立っているのもそれはそれで良いし、むしろそれを売りにしているミュージシャンもいらっしゃるので、良いんだけれど、そうしたバンドはどうしても競争率は高くなってしまう傾向にあり、ちょっと時間をおいて振り返った際に風化してしまう危険性がある、そもそものパイが多いから仕方がないにしても、埋もれてしまうのはとっても惜しい。

けれど、風さんのようにクラシックピアノの音色が全体的に散りばめられている方は、クラシックではよく見られる光景でも、J-POPではなかなか見られない光景なので、その希少性と言い、ピアノで魅せて、そして綺麗に旋律を奏でつつ、歌詞が「涙はなんじゃったん」であったり「肥溜め」であったり、曲名タイトルに「w」とかいう草を生やしてみたり、一人称が「ワシ」であったりと中身を見ると都会には似つかわしくない表現がなされているのに、メロディそのものはおしゃれでどこかの喫茶店で流れてもおかしくなさそうな(それでもそうした喫茶店だったら、インストゥルメンタルのほうがいいかもしれないけれど)雰囲気があるので、都会とそうでないところ(俗に田舎と呼ばれているかもしれない)のハイブリッドソングだなあなんて感じながら。

というと、風さんの出身地である岡山の里庄町を中心とした地域に対する揶揄とも聞こえかねないし、自身もあの辺りはけっこう栄えているけれどと感じている身としては、「あそこが田舎認定されるわけないじゃん」と思いながら、否定していったという苦笑いせざるを得ない記憶があったね・・・(遠い目)

でも、「ワシ」と聞いてしかも岡山と聞くとどうしても千鳥の大悟さんがよぎってしまうんですよね、なんだか個人としては、大悟さんと風さん(相方のノブさんもかな)、無関係なようでなんとなくその一帯で幼少期育った雰囲気に共通項がある気がするので、千鳥と風さんで対談よろしくお願いします・・・!

という、妄想が膨らむ。

そんな妄想をしている私にこの歌を捧げるとしよう・・・

もうええわ

このところ、おんなじ形で説明されて、おんなじような解釈でいろいろ言われて、おんなじような展開に飽き飽きしていて「もうええわ」と思うことも出てきている状況下になっている方々も私含め少なくないし、そういう部分がけっこう共感を得るようになって、あの「報道ステーション」というニュース番組で特集を組まれるようになるくらいにいろんなところで浸透しているんだろうなあとか考えてしまった一曲。

歌詞に即すると、いまの閉塞感溢れる現代社会にもどこかでリンクしているような感じなんですよね、風さんはこのように普遍的な解釈で歌い上げる形態の方ではなく、どこかちょっと位置を変えた地点から、こういうものもあるんじゃないかなという雰囲気をちょっとばかり自虐的で謙虚になりながらも、メロディに乗せて投げかけてくるようなものを沸々と感じてしまっているし、そうしたメッセージが込められたほうが歌詞からも旋律からも音色に残る。

「もうええわ」でも、そうしたメッセージを包み込みながら、聴く者をナビゲートしている雰囲気にさせてくれる楽曲なので、とっても好きな一曲です。

優しさ

Spotifyはこちらより、埋め込みに失敗してしまいました。

"優しさ"というものが、受け取り方によっては、殺られたり震えたりするほど、深く抉っていくこともあるという楽曲でもある。

素直に受け取っていいものだろうか、私もしかして迷惑かけてるんじゃ・・・、目の前でまさに行われた行為、それを"優しさ"と捉えてしまうとこんなにも狂おしくなってしまうものなのか・・・、というように導かれる一曲、受けた"優しさ"に触れ、戸惑い、困惑しながらも置き去りにしてしまった愛情を探しに行き、温もり満ちた感情を呼び覚まそうと試みて・・・というような一曲で。

でも、"優しさ"というより、気遣いというのは大切なことではあるんだけれど、受け取り方にとっては、なんだか申し訳なく、足を引っ張ってしまっているのかな、だとしたら申し訳ないという気持ちもあれば、「・・・なんか裏あるんじゃない」というような感情で疑心暗鬼になってしまう方もいるかもしれない、する側にとっては良かれと思って行った行為でも、受け手の感情は瞬時に素直に片付けられないというのが現状でもある。

このような感情の機微を繊細ながらに表現しているのだから、途轍もない。

へでもねーよ

Spotifyはこちらより。

遥かに詳しく書かれている記事があるので、以下にリンクを貼って、割愛。

これまでのクラシックピアノ主体の動きから、新たな一面を見せるべく、DURANさんを招聘して、エレキギターも取り入れて、というふうに題材が題材なだけに、アップテンポに仕上げている楽曲で、個人的には2020年で最も刺さった一曲となったことは確かです。

なんてったってギターリフが素晴らしい、「へでもねーよ」という想いに一貫したブレなさを際立たせる効果が発動されているので、疲れるまでにずっと聴いていたい、カルシウムは補わないとだめね、まったく。

帰ろう

noteだと、もう詳しく分析なされている方がいらっしゃるので、勝手ながらまたまたすみません。

ヒトの一生には必ず"別れ"というものがあり、MVからしても、お子さんと風船、握っていた手を放したり、踊り終えてふたりが離れたり、持っていた荷物を手放したりというように、希望だった世界がいつしか期待に反する汚らわしきものに覆われていることに気づいたり、惹かれていた相手とのどうしても理解できない不一致な要素をどうしても受け止めきれず別れたり、その他さまざまな場面で嫌なことがあったり、なんにも期待に応えられなかったり、そうしていくなかでいろんなものを手放して、前に進んでいかないといけない。

それが"別れ"というものなのかもしれない。

憎みあって衝突することもあれど、そこにエネルギーを持っていくならば、もう忘れることが先決だし、そのほうがこれからの道が開けるかもしれない、でもそれでこれからどう生きて、どのように歩んでいこうか・・・。

という歌詞に合わせるとそんな感じになるんだろうか、去り際の時にはなんにも持ってけないと思うよ、その思い出の品というものは。

記憶は忘れない範囲で持っていけるかもしれないけど。

別れをテーマにした楽曲は数あれど、全年齢対象の別れをテーマにした一曲はなかなかないような気がする。

どんなものでも別れは必ず、だからこそどう生きていくかが大切。

わかってはいるけれど、生きるってとても難解でもある。

だからこそ、止まることなく走り続けていくことが大切でもあるのかなと言うのがこの一曲。

青春病

青春時代というのは始まりも終わりもきっちりと決まっていないはおろか、必ずしも中高生や学生時代が中心というわけでもないとっても曖昧な時代でもあるけど、その終わりとなるのは歌詞にもあるように「いつの間にか粉になって散るだけ」というのがデフォルトなのかもしれない。

青春は止まることなく走り続けていけるだけの情熱がいくらでもある、それはある意味"病"でもある。

それは夢だったものもあるし、できもしないことを挑戦し続けていったものもあるかもしれない、ただいずれにせよ自分の適性に合わなかったり、実現不能な条件が揃ったり(時間的にも、科学的にも)することで潰えてしまうことが必ず訪れるときもある。

そのとき、やめだと思っていた自分を強くねぇなと感じてみたり、こんなん我慢できへんって思っていたけれど、そうでもないと感じるくらいに自分は弱くはないんじゃないかと度々両方向いろんな意味が交錯してしまう・・・。

青春というのは儚くなってしまうけれど、立ち止まってなだめられて、いろいろ悩んでいくぐらいなら、止まることなく走り続けていけ、これまでの青春にサヨナラを告げて前へ進んでいけというメッセージを感じた一曲。

躊躇したくなる情勢下で、ただ止まって指をくわえて見てるようじゃだめ、熱を持て余しているようではいけない、そういった情熱があるんなら、臆することなく走ってゆけ、早く青春の病から回復してさ。

青春のきらめきはそうそう長くは続かない、わかっていても経験がないもんだから、やらかしてしまうんだよね、私もそうだった。

だから散ったときにどうするか、考え込まずに一進一退になりながらも模索していくことがだいじなんだろうなあと感じた一曲でありました。

個人的には2番のあとの「無常の水面が波立てば~心奪われたことなど一度たりとないのに」というところのリリックが良きと思っております。

どうしてこだわらせる、いつかは消えゆく身、心奪われるはずもないのに、どうして切れど切れどまとわりつくんだ・・・?となっているところが青春真っただ中の人々の心境なのかもしれない、大多数でなくともどこかの誰かは当てはまってるよね?と妄想してみたくもなってしまう。

あと、MVの4:3の映像がなんとなく懐かしくなってしまう、これも青春を表現するには十二分な要素であることは違いないなとは。。

とりあえず、風さんを知るうえで大事な6曲を紹介いたしました。

また紹介するかもしれないけど、それはわからない。

好きなだけ話しておいとましようかなんて無責任なことを考えてしまうあした・の・β<ベータ>ですが、責任は取らないといけないなとも考えてしまっている・・・。。

ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・