β-260 おもしろくない

この基準は、もう私利私欲。

したいことができないときや、あんまり好きになれない人間が自分の上で陣取って踏ん反り返ってるとき、あるいは期待していた作品が思いのほか、自分の思い通りにいかなかったり、脚本そのものがひどかったりしたときにこんなフレーズが出てくるように思う。

面白くないものに遭遇すると、貴重な時間を取られてしまった怨念がどうしても付き纏ってしまう。

以後、近づかなかったり、目を合わせなかったりすればいいのだけれど、そうも行かない場面があるし、目を背けるわけにもいかない場合は、他にやりたいことあるのに、と思いながらそのつまらないことに付き合わないといけない。

嗜好の問題で、角度を変えて、視点を変えてみれば、面白みも引き出せるような惹きつけてくれるようなものもあるとは思うんだけど、そういうのを見出だせる能力を誰しも持っているわけではないし、持っていたとしても、ほかのことを優先するわけだから、その面白さに出会うことは困難なのも知っている。

ただ、他人が面白くないから、つまらないから、という理由で「あーー、おもんないんや、や~めた」っていうのは、取捨選択を強制させられる現代の社会にとっては必要ではあるんだけど、でも、ほんとにそれでいいのかな?

といいながら、具体的解決策も見出だせまま過ごしているあした・の・β<ベータ>でした。

ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・