β-30 いっぽんのおんがく

楽曲を軸にさまざま書いていくシリーズ、第3回は村田和人さんの「一本の音楽」です。

1983年発売、マクセルのCMで使用されたこともあり、村田さんの代表曲の一曲となっております。この楽曲を入口に村田さんの存在を知り、聴き始めた方もきっといるのではないでしょうか。

というより、自分もそのひとりなんですけどね・・・。

でも、本格的に聴き込んだのは、お恥ずかしながら2016年春以降。

そう、62歳という旅立つにはまだ早い段階でこの世を去ってしまったあの冬。

もちろん、哀悼の意を込めて、というのもあるのですが、よりいっそう"なんで、生きてるうちにそれほど聴いてこなかったんだろう?"と感じるようになってしまったできごとがありまして。

ちょうどこの時期、山下達郎さんの"PERFORMANCE 2015-16"が各地で行われておりました、SUGAR BABEから精力的に活動されて40周年の節目、それだけ活動していると、体力的にも年齢的にもいろいろと大変になる時期だと思っておりますが、なんと達郎さんは、この時期に約半年で追加公演を含め66公演を行うというとんでもないことをやっていたという・・・。

ただ廻るだけでなく、約3時間半、歌声や演奏、MCといったところを休めることなくやってのける。それも半年で66回もとなると、ライヴに関するスケジュールや間合いなどをすっかり身に着けていらっしゃるということもあるのだろうと考えますが、いやはやなかなか。。それでいて、クオリティは高いままというのも驚くばかりであり、でもライヴの間は、時間や空間という概念を越えて、達郎さんとメンバーの演奏を純粋に楽しんでいるので、そんなことは全然考えてないのだけれど、振り返ると感心してしまう。

もちろん、"音の職人"である達郎さんとしては、最高の音質を求めてらっしゃると思うので、私が感心している演奏や歌声にも、いろいろ改善点などを考えて、さらに向上させていってるんでしょうけれど。

そのツアー以降も、2019年まで毎年60弱くらいの公演をそのときと変わらずに実施しているので、「おっ、おう・・・」と考えてしまうばかり。

私としても、60代後半になっても趣味などのやりたいことをしっかりやりたいと思うけど、むずかしいでしょうね。そのときが来たら、また改めて感服してしまうのだろうなあなんて。でも気は心、志の灯は消さずに。

さて話を戻しましょう、達郎さんは「一本の音楽」を編曲しておりまして、それもあってか私自身も、達郎さん経由でこの楽曲を知りました。

村田さんも80年代、達郎さんのツアーでコーラスに参加された際に、さまざまなノウハウを学んで、ご自身のライヴも達郎さんに負けず劣らずのパフォーマンスだったと聞いております。

実際に参戦してないので、伝聞になってしまうのがいまとなっては悔しい・・・。

聴き込んだきっかけ、それは達郎さんの"PERFORMANCE 2015-16"のチケットを手に入れたところから始まります。

確か、2015年10月あたりに先行予約がございまして、運よく当たった記憶があります。

2016年2月27日、中野サンプラザホールの公演。

お恥ずかしながら達郎さんのツアーにはじめましてという公演でありました。

中野サンプラザは達郎さんにとっても"聖地"ともおっしゃってた記憶もあり、ここで聴ける、楽しめるというのは、とっても嬉しかったですし、27日の公演も、しっかりとそのときは楽しんでルンルンな気持ちで帰った記憶がいまでも残ってます。

だけど、あとから振り返って、アンコールの最後、"YOUR EYES"の前に演奏されていたのは、なんだっけと振り返ると「一本の音楽」と。そのときのツアーの通算25曲目で、演奏されており、当時のサンプラがどよめいていた記憶も書いてるいまもよみがえってくるほど、鮮烈でした。

そう、村田さんはこの年の2月22日に旅立っていかれました。

達郎さんのスケジュールでいうと、22日にアクトシティ浜松での公演、その次は26日と27日に中野サンプラザ。

浜松を完了させてから、訃報を受け止めたと思うので、村田さんのいない世界線でのライヴは、サンプラザからということになりますでしょうか。

公私で親交もあり、「一本の音楽」を編曲した経緯からしても、ギター一本で弾き語りというのは、既にからだに染みついているのかもしれない、だとしても、そんなわずかな期間で、アンコールに組み込んで、"聖地"で披露した。そのときの衝撃は忘れるに忘れることができない。26日には出向かなかったので、そのときかそれとも27日からかは不明な部分もありますが。

いずれにしても、初出しに近い状態で遭遇した、それが最初のライヴだった。この事実からしても、自身にとっては忘れることのできないものとなっております。

そして、それ以降もアンコールで披露し続けていったというのは、達郎さんにとって、とても思い入れの深い楽曲だったに違いないと感じるようになり、それからというもの、「一本の音楽」をはじめ、"ひとかけらの夏"の楽曲を中心にさまざまと聴き込んだのだろうと思います。。

そんな思い出がありました、そういや。

どうして、ここで紹介したかというと、5月24日の達郎さんの"サンデー・ソングブック"で、この「一本の音楽」のライヴ音源が流れたからです。こんどの日曜日までradikoのタイムフリーで聴けると思いますのでまだとおっしゃる方、ぜひ。

放送では、私が見に行ったライヴではなく、その年の3月24日のNHKホールでの音源でしたが、ほんとにそのあとも披露したんだなあという想いで聴いておりました。

また、そのときのライヴでのナレーションでは、2015年のクリスマス・イヴに「全快したので、来年(2016年)は200本やります!」という旨のメール、それが最期の連絡だったと達郎さんはおっしゃられておりました。

達郎さんは翌12月25日に、盛岡の岩手県民会館での公演が行われたのですが、このときは途中で声が出なくなってしまい、中断。最後のほうに振り替えてもう一回。それが"PERFORMANCE 2015-16"の実質の千秋楽となった記憶があり、書くにあたってもういちど、その記録を確認いたしました。

となると、声が出なくなったのはもしかして・・・、と考えてしまいます。

声が出なくなったのは、達郎さんの経験からして稀有なものからしても、関連性はないとはいえ、いろいろと勘繰ってしまいます、いけないこととわかっていても。

こういったことを"サンデー・ソングブック"で送るのは、長すぎて、個人的な意見が多数組み込まれているので、代わりにこちらで。

詞のなかの、"一本の音楽は僕の旅のパスポート 昨日までのわずらわしさ 破りすててしまえ"と聞くたびに、一種の清涼剤を感じ、すがすがしくさせてくれるのは、安藤芳彦さんの詞と村田さんの歌声、そして達郎さんの編曲があるからでしょうか。

好きな歌をポケットにいれて、音楽というパスポートを肌身離さず持ち続けて、旅立ってしまったのでしょうか。演奏で向こうのひとたちを魅了しているといいなあ・・・と祈願しながら締めてみたいと思います。

私としては「一本の音楽」だけあって、ギターの音色を中心に追っかけてしまう癖があります。みなさんはどうなのでしょうか?

村田さんの楽曲、これからも取り上げると思います。期間は空くかもわかりませんけど、それまでにもういちどまた、聴き込んでみようかな。

今回かなり、達郎さんについてのおはなしが中心になってしまったのは申し訳なく思っているあした・の・β<ベータ>でした。





ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・