β-100 あれから
100回記念が、この日と重なりました。
75年も経ちましたか、徐々にその時から生きてきた方も少なくなっているんだろうなと…。
写真は、ある日の原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)の夜景です。
完成当初は、まさかこんなふうになるとは想像しなかっただろうと考えながら。
75年前のこの日、投下された一発の爆弾、そのたった一発の炸裂によって中心街は機能不全になり、そこに住んでいたり、働いてたりしてた方々が炸裂したその時、あるいはその即日、翌日にかけて数万人以上犠牲になってしまった…。
歴史的経緯やその頃の科学方面の傾向、状況に応じた戦略なども相まってもたらされてしまった行為で、様々な事情を加味すると思わず言葉を失ってしまう出来事だと認識しているけれど、75年経過すると、その当時の面影というものが記念公園周辺以外だと、広島や長崎ともに少なくなっているというのは、ちょっと危機感を感じずにはいられない。
もちろん、それでいい、むしろ残すのは…という方も少なからずいるけれど、個人としては残存可能であるのならば、保存してほしいかなという考えです。
今後のためにも。
私は幼少期より8月6日と8月9日に起きてしまった出来事をそれぞれの思惑や歴史的な経過、科学的な仕組み、被害の規模とその程度などを少しずつ調べていって、それなりに理解はしつつあるけれど、わざわざここで説明するかとなると、けっこうな覚悟がいる。
というよりも、認識としてはしっかりと持っていないといけないけれど、解釈の違いなどでどよめいたり、惑わせたりしてしまうし、単にその経緯を知りたいのであるならば、wikiなどに赴けばより詳しくわかりやすく書かれているので、わざわざ書きます?という感じですわね。
まだ、その覚悟ができていない、というより丁寧に扱わないととんでもないことになってしまうし、丁寧に扱うには相応以上の繊細さを持ち、しっかりと計算をしないといけないと感じると億劫になってしまうので、なにも言わない、でも考えておこうというやり方が現状の自分には当てはまる模様です。
もちろん、被害に遭われてしまった方々に向けて、広島の方角へ8時15分17秒にしっかりと1分間黙祷しました。
被害の状況等を鑑みると、やはり二度とこうしたことをしてほしくない社会でありたいと考えるのが必然だなとは感じます。
それは、全世界のほとんどの方がそう思ってはいるはず、でも行使しなくても保有という防衛をとっている国々も少なからずある。
是々非々考慮すると、そうせざるを得ない事情もあり、でもなんとか数を削減できないかなという…。
それ以上は、私の口からは迂闊にもそのことについての賛否や意見などは発することは難しいし、人生を生き抜くうえでは、どれだけ知っていたとしても言わないほうが真理だとは思っているので、波紋を呼んでしまうものに関してはノータッチというスタンスを取っている。
ただ、今後はそうした兵器を使わないでいただきたいという気持ちは常にある、それは確かなのでここに明記。
あれから学んだことを、これからも未然に防ぎつつ、少しずつでも平和な方向に持って行けることができるのであれば、と願っているβ<ベータ>なのでした。
現実を見ると理想郷ではあるってのは知ってこそはいるのだけど、それでも願いたい。
これから10日程度は、きっと今回のようなことを内々で考えてるんだろうなとは。。
では、またね。
時代の変化を読み解くのは難しいけれど、ちょっとずつ取り入れて、刺激を受けつつ、対応策を考えられるようなそんなひとでありたい。
なれなそうだけど、まずは気概をしっかり持つこと。
3桁突破したので、ちょっと真面目なものも増えてくるとは思いますが、よろしくお願いします。。
ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・