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「僕だけのハードル走」 西原正斗

 4年間の振り返りnoteを務めさせていただきます西原正斗です。

自分が幼稚園の年少から19年間もの間続けてきたサッカー人生、そして大学サッカーがあと少しで終わろうとしていて、仲間達と同じ屋根の下で過ごす事もなくなれば、火曜日から日曜日までサッカーがある生活もなくなる。今まで当たり前のようにあったものが一瞬でなくなると思うと感慨深くなります。

そんな時、このnoteの順番が回ってきて何を書こうかとても迷いました。今まで自分の人生に関わってくれた方々への感謝の気持ちを描こうとしましたが、だれでも書けると思うし皆同じようなことで面白みに欠けると思いました。なので、僕は、ここで夢について語りたいと思います。


まず、「僕だけのハードル走」という題名は、小学6年生の時の卒業文集の題名です。内容を簡単に話すと、ハードルという人生の壁を1つずつ乗り越え1位でもあり最下位でもあるたった1人のハードル走を走り続けるというものだ。このハードル走は、死ぬまで続くものだと思うし誰にでも当てはまる話でもある。このハードル走は、今でも続いていて、特に私が、人間として壁を乗り越え成長できたのは、この亜細亜大学体育会サッカー部で過ごした4年間である。特に成長した部分は、責任感を持つことである。今まで自分は、責任を持つことはあまりなかったし仕事を受け持ったことはなかった。そんな自分が変われたのは、サッカー部の先輩で仲良くさせていただいた2人の先輩のおかげである。自分の曲がった性格を変えてくれ、仕事や私生活の重要性全てを教えてくれた。大学3年生の時、ほぼ全てのリーグ戦に出場させてもらい自覚というものが芽生えました。亜細亜大学のエンブレムを背負って試合にでるということ、応援される選手にならなくてはいけないということ、そういった選手になるために信頼される選手にならなくてはいけないと考え、私は、大学3年時に1番仕事を受け持ち必死にサッカーをしたと思います。4年になりさらにレベルアップしていかなくてはいけないと自分ではわかっていましたが、自分はこれまでやってきたというプライドが邪魔して今では、試合に出ることもできなくなってしまいました。まだまだ自分は弱い人間であると改めて実感しました。でも、そんな時だからこそ、外から見て学べることはあると思うしたくさんの経験が出来たと思います。自分は、試合に出ることもあったし怪我もして苦しい思いもしたし試合に出られず悔しい思いもしてきました。この経験は、誰もしたことがないし唯一無二だとも思っています。こんなたくさんの経験をしてきた自分だからこそ出来る事があると思いサッカープレイヤーではなく指導者としての道に進むことにしました。選手1人1人に向き合い気持ちを理解し一緒に壁を乗り越えていけると思います。自分のこれまでの経験は、チームを必ず強くすると思っています。


また、指導者だけでなく経営者としても今後挑戦していきたいと考えています。今は、なんの知識も経験もありませんが、誰しも初めから優れていることもないし何もわからないことから始めるものである。そこに、失敗と成功を重ねて成長していくものだと思う。だから、人に笑われるくらいの大きな夢をこれからも掲げ常に挑戦していきたい。このnoteを読んでくださった方は、大きな夢を掲げてこれからの人生を歩んでほしい。

「夢なきものに成功なし」

喜び、悔しさ、悲しみ、挫折、成長すべてをサッカーから学んだと思います。だから、これからの人生どんな事があっても乗り越えて成長していけると思う。そして、大きな夢に向かって「僕だけのハードル走」を走り続けていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。気持ちだけでも伝わってくれたら嬉しいです。
 
19年間のサッカー人生閉幕

西原正斗

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