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出来ること 出来ないこと

自分も含めて、今の社会が一定のラインをクリアしている人にだけ優しいと思い、それではいけないということも理解しています。
そして、そのためにどうすればいいのかを模索していることも理解しているつもりです。

仕事をする側として、サービスを受ける側として、矛盾や「どうにかならないものか・・」と思ってしまうこともしばしば。

まず、仕事をする側として・・・

今の仕事内容はどんな会社でも必要な業務というのがあって、法的な義務を負うことや法律で決まっているが故にそこに合わせていくために必要な業務だったりすると思います。
どんな職種だったとしても、日本にいる場合の納税に必要な業務というものがあり、納税というルールを逸脱しないため、もちろん見張り役の方たちもいるけれど、その見張り役の方たちに目を付けられないように、正しく納税することで国内外に自分の会社は正しく事業を行っていると示すためのモノでもあるような気がしています。

そんな業務であっても、会社独自のルールや手順、お作法が決まっていることも多く、それは注意を受けたときや、ルールに引っかかるかもしれないというところから発生するイレギュラー対応が通常対応の中に蔓延っている場合も多いのですが、最初のイレギュラー対応の理由などが分かってないままに継続する作業となってしまって、それをやめることの判断が出来ないことも多くあります。
大きい会社になればなった分だけ、手順化したフローを崩すことが出来ないことも多く発生し、そのため個人属性の業務が発生しているのが現状だと思います。
業務内容が変わることはなく、ただただ、単純にPCで計算させたり、単純なツールを入れたりすることで回避して、怪我の上からばんそうこうをはって、傷がついていても、動けるから大丈夫だと思ってしまうなど、根性論的な業務で動いているのが現状だと思います。

もちろん、業務内容を熟知していれば、不要な作業をやめましょうという声も挙げられますが、誰かの仕事がなくなってしまうことを声高らかにいうのは仕事をしていくうえではとても難しい。
コミュニケーション能力が発達している人でも、「あなたの仕事は不要です」と言い切るミッションは難しい。
そして、長年その仕事をやって来た人に他の仕事をしてもらうこともとても難しいミッションでもあります。

他人を変えるんじゃない、自分が変わるんだ・・・
よく言われている言葉だし、自分自身が変わっていくことで良い方向に行くならその方がいいに決まっているのですが、やはり、そんな人ばかりではなく、自分は変わらず、他人が変わればいいと思っている人も多くいます。
だからこそ、変わっていくことを否定して、業務を継続させたいと願います。
新しいシステム導入、新しい業務への切り替え、新しい職場への転換、仕事をしていれば、そういうことに立ち会うことが多く、色々と足掻いている人もいるのは事実です。
でも「自分が変わる」というマインドを持たない限りはどうしても難しい。視点も変わらないし、感情的なところで仕事をしてしまうから。
「仕事が不用」という言葉に対し、「私の存在が不用」という受け取り方をしてしまう人も多くいて、業務の転換などをお願いすると、やめていく人材も多くいます。

ただ、その時に思うのは「この人はやめてしまうかもなぁ」という最初のイメージ通りになってしまうこと。
それは、通常の業務時から分かるものだと思います。

仕事がすごく出来る
よく気が付く
皆から頼りにされてる

こんな人の多くが「業務転換」=「自分が不用」と考えてしまうことが多くあって、それは伝え方が悪いのかもしれないと何度も思ったけれど、そこが「十人十色」の受け取りかたになるのかなぁと思うのです。
割り切って仕事をする人や、業務の内容を理解していると、業務転換などの打診が来た時に「自分が出来ること」を探すことが出来るのではないかと思います。

次は、サービスを受け取る側として・・・

業界によっては人材不足ということもあり、自動化やロボット活用がありますが、タッチパネルやQRコードを読み込んでオーダーするなどは正直行き過ぎてるような気もしています。
というのも、タッチパネルなどに怖がらず触れるのはPCを使っていた世代で70代くらいまでではないかと思うからです。
タッチパネルというのは、タッチが上手くいかないと前に進むことが出来ないし、オーダーすら出来なくなります。
そのために店員さんと呼びたいのですが、それすらもタッチパネルにあるので、呼ぶことすらも出来ない状況になります。
出来れば、タッチパネルの説明など一声かけてもらえると助かる人もいるのではないでしょうか?
また、タッチパネルだけでは不親切だと思います。
みんなに優しくするためには、色々な方を想像しておく必要があるからです。
とはいえ、十人十色のオーダーを受け止めきれることなど出来ないというのも現実問題だと思います。
ユニバーサルデザインというのがようやく一般的な考え方として浸透してきていると思います。
以前は「ユニバーサルデザイン」とうたって商品をPRしていたものも多くありましたが、いまではそれは当たり前のことで、デザインを検討するとき、物事を考える時に根底にあるような感じになってきたようにも思います。
ただ、このユニバーサルデザインというのが曲者で。

デザイン的なものだけで良かったのかもしれませんが、今はみんなに優しい世界でないといけない。
そんな風潮の中で、あちらを立てればこちらが立たず。
一人の人に対応すると、もう一人の人が不公平だということもあります。
また、ユニバーサルデザインや一人一人に優しい世界は、企業や国などでだいぶ隔たりがあり、どれが良くてどれがいいというわけではないのが現状です。

自分と自分以外。
出来ること、出来ないこと。

自分は働いているので、サービスをする側でもあり、される側でもあるので、誰かと話すとき、誰かを思うとき、必ず考えようと思います。

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