言霊をだいじにしていたはずの私が『わたし〇〇なんです』の口ぐせで自分の可能性を閉じていた話
いつの頃からか相手が話し始めるときの「わたし人見知りなんで」の枕詞が苦手になりました。こちら(私)からコミュニケーション柔らかめに接しないといけないのか、無口でもゆるしてほしいと言われているのか、どういう意味で言われているのか探っちゃうっていうのもあるのですが、この言葉で本人が自分で「自分は人見知りなんだ」って呪縛をかけている気がして仕方ないっていうのが一番大きいかも。
今回の記事は、言霊をだいじにしていたはずのアキが、「わたし〇〇なんです」って口ぐせで自分の可能性を閉じていたことに気づいた話です。
脳は主語の聞き分けができない
言葉って人に聞かせるだけじゃなく、自分自身でも聞いている情報ですよね。自分が発した言葉って自分の脳が一番近くで聞いていると思うのです。そして脳って、主語の聞き分けができないと耳にしたことがあります。
たとえば「Aさんってホントいじわるで好きじゃない」て言ったとすると、脳は、自分が好きじゃないのがAさんなのかわたしなのかは判別できない。逆に「Bさんって雰囲気が柔らかくて、それでいてスマートで本当にすてき」も同じ。つまり、好きじゃない、なのも、本当にすてき、なのもどちらもわたしだと捉えるってこと(とアキは理解しています)。
そこから、それ以前よりももっと言葉のもつ力(言霊)を大切に思うようになりました。人にかける言葉も、自分を振り返る言葉も(できるだけ)肯定的なものを使うようにしています。
参加していたコミュニティや個人的にやっていた振り返り法「勝ち(価値)を祝おう!」もこの考えが原点です。
呪いの言葉と祝いの言葉
ここで思い出すのが、Voicyで山口周さんが話されていた呪いの言葉と祝いの言葉(よく見ると「呪」と「祝」って、偏がちがうだけで真逆になるのですね)。言葉には、人から選択肢をうばう呪いの言葉と人の可能性をあげる祈りの言葉があり、呪いの言葉の共通項としては
①禁止命題(〇〇してはいけない)で書かれて(言われて)いること
②ネガティブな言葉が含まれていること
があると話されています。そして自己規定・他者規定(わたしは〇〇である、あの人は〇〇である、△△人はこうだ)も呪いの言葉の典型だと。
こうやって言葉には大きな力があると信じるようになったアキは、「わたし人見知りなんで」の枕詞が苦手になっていったのです。
なくて七癖
そんなアキが、とある場でゆるっと話をしているときに、一人のメンバーのひと言で気づかされたことがあります。アキが話すときの枕詞に
「わたし、喋りだすとずっと喋っちゃうんです」
「わたし、話すのは得意だけど聴くのは苦手なんです」
がついている。
呪いの言葉が口ぐせになっておる。。。。
気づきをくれたメンバーによると、アキはちゃんと自分のターンと相手のターンとを意識できているし、しっかりと相手の話を聴いて質問の意図をつかみ適切に受け答えができている、と。(聴く専門家に言っていただけて、今でも宝物のようなフィードバック❤️)
なくて七癖、とはよくいったもので、どこかでよく喋るな〜と思われたら嫌だな、聴けてないなって思われる前に言っちゃおう、とexcuseしているわたしに気づいた日。教えてくれたRさん、本当にありがとうございます。こうやって前向きなフィードバックしあえる関係性がとても大切な場です。
みなさんは口ぐせってありますか。あるとしたら、そこにはなにか自分に対する自信のなさだったり、ごめんなさいが含まれているかもしれませんね。
わたしもきっとほかにもあるかもしれない。気づいたらみなさん、また教えてくださいね。
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