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突然ですが、皆さんは「始める勇気」と「終わらせる勇気」があるとしたらどちらを多くお持ちだろうか。これまでほぼ持ち合わせていなかった「終わらせる勇気」が出てみたら、想定以上の効果が出たよってお話。

そもそも「始める勇気」と「終わらせる勇気」って?


広辞苑に載っているわけでもないし、トレンドワードになったわけでもない。ただ私の中で湧いてきた言葉なので納得感ゼロかもしれないけど、なんとなくこんな感じ。

【始める勇気】
何か(勉強、趣味、活動、人間関係、コミュニティ、etc)を始める力、逆に言えば何かを始めることへのハードルの低さ
【終わらせる勇気】
何か(同上)を終わらせる力、何かを終わらせることのハードルの低さ


どっちが多い?強い?


「勇気」を測る形容詞が「多い」なのか「強い」なのか、はたまた違う言葉なのかもわからないまま書いているけど、とにかくどっちが「やりやすい」かということ。それをすることが「エネルギーを費やさなくてもできる」「やりやすい」「ハードルが低い」ほうの勇気をたくさん持っていると考えると、皆さんはどちらだろうか。わたしは断然「始める勇気」をたくさん持っている、と思っている。「始める」ことはそんなにエネルギーを使わなくてもできる。
太極拳にしろ、サウナにしろ、社労士試験にしろ、ゴルフにしろ、standfmにしろ、何かのコミュニティにしろ、ミュージカルにしろ、気になったものややってみたい、入ってみたいと思ったものに飛びつくのは速い。ヒトサマから見るとハードルが高いものでも、飛び込むことができてきた。良くいうと「好奇心旺盛」。(悪くいっても仕方ないので悪くは言わない。)

いっぽう「終わらせる勇気」は持ち合わせていない方だと思う。たぶん。
「終わらせる」にはものすごいエネルギーを消耗する。(だからやりたくない)
人に勧められてなんとなく始めた資格勉強が全然面白くなくて、それでも「やめたい」って言えずにずいぶん(無駄な)時間を費やしたし、
(ずいぶん昔の話だけど)もう好きじゃなくなった人に「これ以上一緒にいられない」って言いだすのに何か月もかかったし、
小さなコミュニティでも自分の意図とずれ始めているのに「抜けたい」って言いだせなかった。

「やめたい」「終わらせたい」って思っても、「とりあえずこのままでいいか」とか「向こうから言ってきたらそうしよう」て動けなかったり、言い出せなかったりする。いや、してた。

「終わらせる勇気」が湧いてきたたった一つの問い


そんな私が一つの問いをキッカケに、いくつかのことを「終わらせる」ことができた。『ここにいても仕方ないと思うのにやめたいって言い出せないSNSグループがある』ってことを知人に話したとき、こう聞かれたのだ。

「それをやめると何か困ることがあるのですか?」

私:「……….」

なにもない…..。いくら考えても困ることが一つも思い浮かばないのだ。
メンバーとはそれぞれつながっているので必要な時には連絡が取れるし、逆もそうだ。メンバーはみんな素敵な方なので、私が「やめたい」と申し出たらきっとすんなり受け入れてくれる。そんな自己信頼と他者信頼に支えられて、まずはそのグループをやめることができた。

そのあとも自分の意思で「終わらせる」ことができたものもあれば、終わらせることが正解なんだろうな、と思って「終わらせた」ものもあるけど、いずれにしろ自分の中の正当な「終わらせる勇気」を使って終わらせることができた。

「終わらせる勇気」が出たら


「終わらせる」ことができたら何が起きたか。

まずは、案の定、なにも困ることは起きなかった。困るどころか嬉しいことが起こった。今までそこに注いでいた(心、体の)エネルギーや(時間、お金、体力などの)リソースを別のものに使えるようになったのだ。当たり前のように見えるけど、この効果は想定以上に大きかった。

自分に力(バイタリティー)がみなぎる感覚がした
「本当は、こんなことしていたくないのにな」「自分がここにいる意味ある?」なんて思いながらだと、どこか穴の空いた桶に水を注いでいるような感じで、その穴から力が抜けていく感覚があったことに(穴が塞がってから)気づいた。その穴が(勝手に)塞がって、自分がやりたいこと・やるべきことのサイクルが回るようになった。すると、アクセスしてくる人が、モノが変わってきた。個人的なオファーも増えたし、仕事も少しずつだけど思い描いていた方向に動き始めている。完全に因果関係を証明することはできないけど、自分から選んだ場にリソースを注ぐと満タンになるのが速いのかもしれない。

「終わらせる勇気」振り絞らなくてもいいけど、自分に聞いてみて


世の中には、私のように「終わらせる」ことにはものすごいエネルギーを必要とする人も少なからずいると思う。そんな人は、騙されたと思って自分がバイタリティーを発揮できないこと、モノ、場を思い浮かべて

「これを終わらせたら何か困ることがある?」

と自分に聞いてみたらどうだろう。

それで「終わらせる」ことを選んだとしても、決してその対象が「悪い」わけじゃなくてあなたが進む方向とは違っただけの話だし、「終わらせた」ことをことさら表明することも必要ない。必要なときにはまたアクセスすればいい。また始めればいい。ただそれだけのことだと思う。

こんなこと書いておきながら、すでに「終わらせた」ことに対してグジグジしている私に出会うことがあるし、いつかまた「終わらせる」ことができずにグジグジする日がくるかもと思っている。それも人生だし、それが人間だとも思う。また立ち戻ればいいと思うし、グジグジした私にこのnoteを贈っている。

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