デジモン After break world   ③break world

 仁の視界が切り替わると見慣れない部屋だった。彼は持ち上げられた勢いのまま、今度は床に落下する。
 着地した彼が周囲を見渡すと部屋の全容が目に入っている。
 奥行は広くはあるが、テーブルと椅子があり壁にはデジモングッズが置いてあるシンプルな部屋だった。そして仁が上を見上げると、天井が高く2階部分が吹き抜けになっていた。
 彼はそのすべてが目の前にいるデュランダモンとの交流に合わせた物だろうという事がすぐに理解できた。
 つまり。
「ごめんね、登録先の一番上にあるのがマイルームだったから」
 アサヒがデュランダモンから降り立って仁に挨拶をしてくる。
「初めまして。私はアサヒ、パートナーはデュランダモン。よろしくね」
 そして彼女は先ほどまでの戦闘が嘘だったような笑顔を仁へと向けた。
 
 仁は挨拶をしてきたアサヒへしどろもどろになりながら返答する。
「……知って、ます」
 その言葉はアサヒへの何の返答にもなっていなかったが。
「あ、そうなの? もしかして結構デジモンバトルとか見てる人?」
 彼女は気にした風もなく言葉を返す。
 そのやり取りで仁の頭の血の巡りもようやく戻って来る。
「僕は、ゲイザーです」
「うん。よろしくゲイザー君」
「それで、説明して、もらえるんですよね? ネガ、……アバドモンの事」
 仁は挨拶もほどほどに、先ほどからずっと疑問に思っていた事を尋ねる。
 アバドモンとは何なのか。一度世界を滅ぼしたとはどういうことなのか。何故2人は急に襲ってきたのか。
 彼の頭の中には尋ねたい事がいくらでもあった。
「うん、もちろん。けど少し待ってね」
「待って、って……」
「先に月虹と合流する。というか、実は知ってるのは私達じゃなくてデュラちゃんとド―君の方なんだよねぇ」
「アサヒ……、しかし」
 デュランダモンがアサヒをたしなめるように声を発した。その視線は仁の様子を伺うように度々向けられている。
 デュランダモンは明らかに仁を警戒していた。
「デュラちゃん、それは無理だよ。特にゲイザー君はアバドモンのパートナーなんだから。知る権利があると、私は思うな」
 しかしアサヒはパートナーの態度を一刀両断する。
 デュランダモンはまっすぐなアサヒの視線に対して目をさ迷わせていたが、すぐに諦めたように肩を落とした。
「えぇ、分かりました……」
「うん。ありがと。じゃ、月光と連絡とるから少しゲイザー君と話してて」
「え!?」
 さらりと告げられた申し出に驚いたのは仁の方だった。
 彼には先ほどのデュランダモンの殺意が身に染みている。何か間違えば切り刻まれるのではないかと恐怖心が彼の心に沸いてくるが。
「先ほどは申し訳ありませんでした、ゲイザー」
 しかしデュランダモンがまず初めにしたのは謝罪だった。
 膝を折り仁に対して誠実に頭を下げてくる。
 その動作に彼は再び面食らってしまう。
「けれど、あれをアバドモンに進化する前に倒せるというのは望外の好機だったのです」
「……ネガーモンの事、ですよね」
 それでもデュランダモンは彼らを襲った事を反省しているわけでは無いようだった。
「はい、しかしその説明はアサヒの言った通りに後――」
 そして、そのまま会話をしようとしてデュランダモンの顔が跳ね上がった。
「――アバドモンめ!!」
 そして険しい声で叫ぶ。その声で仁と、そして月虹と連絡を取り合っていたアサヒも振り返った。
 何が起きたのか、と2人が質問する前に全体通知が彼らの目の前に現れる。
『レイドボスが出現しました』
「レイド、ボス……?」
 仁が聞き慣れない言葉をオウム返しする。オンラインゲームで度々出てくるその名称そのものは彼も知っていた。しかしデジモンアプリ内では初めて表示される通知である。
『攻略対象:アバドモン』
 続けて表示されたのは中央に大口がある巨大な球体だ。名前はアバドモンであるが、その姿は先ほど仁たちが見た姿とは似ても似つかない。
 アサヒがデュランダモンを見上げる。
「デュラちゃん? どういう事?」
「デジモンアプリの緊急事態用のシステムです。手に負えないデジモンが出現した際にレイドボスとして設定して協力して討伐するための物ですが……、あれが相手では……」
 アサヒとデュランダモンの言葉は仁の耳をすり抜けていった。
 アバドモンがデジモンアプリ内でのレイドボスに設定された事も彼にとってショックだったが、続く一文がさらに彼の精神を殴りつける。
『討伐に失敗した場合、デジモンアプリが消滅する恐れがあります』
 アバドモンがデジモンアプリでのラスボスへと設定された瞬間であった。

「急いで討伐しに行くべきだ」
 アサヒ達と合流した月虹が開口一番に告げる。
 アサヒが月虹との合流に選んだのはとある鍵付きのワールドだ。内装はほぼ初期設定に近いシンプルな場所だった。障害物も高低差も無く、広さだけがある空間。仁は時折ここでデジモンバトルの配信がされていたことを思い出す。
 そこはアサヒや月虹たちのバトル用のワールドだった。
「アサヒも見たろ、さっきの通知。こいつには悪いが、今はアバドモンの討伐を優先すべきだ」
 月虹は仁にチラリと視線を向けた後にアサヒへと詰め寄っていく。
 その背後ではブリウエルドラモンもゆっくりと体を動かす。
「俺も同意だな。あいつは今のうちに倒すべきだぜ。さっさとしないと手遅れになる」
「えぇ、その通りですアサヒ。もう一度」
「はいはい、みんなストップ」
 デュランダモンまで加勢してきたが、その全てをアサヒは食い止めた。
「状況が分からないのに動いちゃだめだよ。まずは情報の共有と目的を決める。そうしないと勝てる物も勝てないよ?」
 そして続けられたアサヒの揺るぎない言葉で3人の威勢がそがれた。
 1人と2体の言葉と勢いが止まる。
 そしてアサヒは仁も含めた全員を見やった。
「正直分からない事が多い。アバドモンの姿にしろ、レイドバトルにしろ。まずはデュラちゃん達が知っている事を全部確認したいね。そして、ゲイザー君」
「……え? は、はい」
「私達が知っている事は話す。代わりに貴方もアバドモンの情報を教えてほしい。情報交換ってことで、どう?」
 アサヒはしっかりと彼の顔を見て告げて来た。彼女の言葉に合わせて月虹やデジモンたちの視線も仁に集中する。
 彼は向けられた視線に怖気づいてしまいそうになるが。
「……分かりました。代わりに教えてください。アバドモンの事」
 仁はアサヒにそう返事をした。

 仁はアサヒ達にデジモンアプリをインストールしてからの事を話す。
 最初に生まれたのがネガーモンだったこと。しかし一向に進化しなかった事。先ほどのバトルの際に急に通知が現れて、操作する間も無く進化した事。
「おまっ、何年も幼年期から進化しなくておかしいと思わなかったのか!?」
 返ってきたのは月虹のそんな言葉だった。
 言葉には蔑みよりも驚愕の方が多分に含まれている。本当に信じられないと驚いているようだった。
 言われてみれば、と仁もその異様さに思い至るが、そもそも最初のデジモンだったのだから比較対象が存在していなかったのだ。
「……そんな事言われても、取り換えるわけにもいかないじゃ無いですか」
「それは、まぁ、そうだが……」
「なぁ、坊主。その間に奇妙な事は起きなかったか? 勝手にスマホのデータが消えてたり、ネットの不具合だったり」
 ブリウエルドラモンが口を挟んできた。その質問の意図はネガーモンがデータをどれだけ蓄えているかの確認だったのあろう。察した仁は反論するように答える。
「……いえ、ネガーモンは僕の与えたデータしか食べていないはずです」
 仁の記憶にもそんな事は無かった。
「慎重に潜伏していたようですね、厄介な事です」
「だな。しかしなら、蓄えたデータもそうは多くないだろう」
 デュランダモンとブリウエルドラモンはその情報からアバドモンの戦力分析をしていく。
 仁はその事に不快感を覚えたが、口を挟むことが出来る言葉が思いつかなかった。
「ねぇ、ゲイザー君。少しお願いがあるんだけどさ」
 次に仁に話しかけたのはアサヒだ。
「君のパートナー情報を見せてもらう事って出来る?」
「……ちょっと待ってください」
 それは仁もアサヒに言われるまで忘れていた事だった。
 たしかに、仁は自分のパートナーが今どうなっているのかまだ確認していなかった。
 メニュー画面からステータスを開く。そこには二つのデジモンのデータが表示されていた。
「え? あの、2つ、あります……」
「2つ?」
 アサヒが怪訝そうに尋ねる。仁はまず一番上に表示されているデジモンから読み上げる。
「アバドモン。究極体、ネットワークに溢れる負のデータを、極限以上に吸収して巨大に成長した謎のデジモン……」
 一つ目は球体と触手のデジモンだった。こちらは先ほどのレイドボスとして出ていた姿だ。
 球体の方に大口が、触手には無数の目と口がある。大きさを比較する物が無いため分からないが、ブラックホールの様なデジモンだ。
 そしてもう一体。
「……アバドモンコア、究極体、アバドモンの内部に存在する本体であり、アバドモンの真の姿……」
 二体目は先ほど仁たちの前に現れたデジモンだった。赤と黒、目と口で構成された人型のデジモン。
 ネガーモンが進化した姿である。
「あの野郎、以前のは本体じゃ無かったってのか……っ!!」
 ブリウエルドラモンが悔し気に呻いた。
 先の襲撃の際に放たれた「姿が違う」という事だろう。
「……つまりは2連戦になる可能性が高いって事だね」
 アサヒが告げられた情報を取りまとめて話す。
「アサヒ、回復アイテムはどれだけある?」
「うぅん……、最近ワールドの方はあんまりだったから心もとないね。月虹は?」
「こっちも同じだ」
「そか。なら回復アイテムは温存して、デュラちゃん達のHPが自然回復してから戦闘、かな?」
「あぁ」
 そして月虹とアサヒがアバドモンとの戦闘計画を練り始める。
 そのまま再び仁が蚊帳の外になろうとしたが。
「あ、あの!! それで、アバドモンが世界を滅ぼした、ってどういう事なんですか!?」
 彼は意を決して彼らの会話に踏み込んだ。
 後回しにされてしまうかとも思ったが。
「そうだったね、ごめん。回復までまだあるし、そっちの話もしようか。デュラちゃん」
 アサヒはすぐに仁の方へ向き直ってくれた。そして自らのパートナーであるデュランダモンを見上げる。
「……はい、しかし」
「いいから。私たちにしたのと同じ話をして……、ってあぁ、その前に簡単に言っていた方がいいか」
 しかしアサヒは途中で何かに気付いたように頭を振る。
「えと、ゲイザー君、今から信じられない事を言うよ?」
「アバドモンが、その、世界を滅ぼしたという方が信じられません」 
「そか。じゃあまずは質問から。このデジモンアプリを作ったのは誰だと思う?」
 アサヒからの質問に仁は言葉を詰まらせた。
 その質問は答えが決まっており、ゆえに誰も答えられない物である。
「製作者不明、ですよね……?」
「半分正解で、半分不正解」
「あの、今はそんな事を言ってふざけている場場合じゃ……っ!!」
 仁はアサヒのからかう様な言い方に感情的になろうとした。
 しかしそこに冷や水の様な言葉が告げられる。
「作ったのは人間じゃないからね」
「……はい?」
 仁はごまかされているのか、と一瞬怒りの感情が湧き出て来た。
 しかしアサヒの言葉は穏やかだったが、その表情は真剣である事に気が付く。そしてその後ろにいる月虹もデジモンたちも。全員が真っ直ぐに仁を見つめていた。
 仁はアサヒの言葉を真剣に考え始める。
 作ったのは人間じゃない、ならば。
「……まさか!?」
 彼の視線の先にはデュンダモンとブリウエルドラモンがいた。
「まぁ、信じられないのは俺も同じだった」
 月虹が頭に手を当てて仁に同意するように呟いた。
「そう。デジモンアプリを作成したのは、そもそもデジモンなんだよ」
 アサヒはどこか誇らしげにデュランダモン達を見上げた。

「私達デジモンが人間たちを認知したのは、あなた方がネットワークを誕生させたのとほぼ同時です」
 アサヒに続いて話始めたのはデュランダモンだった。
「私達が住んでいた世界はデジタルワールド、と言いました。つまり私たちはあなた方人間が言う『デジタルネットワーク』の中で生まれた存在です。」
 デュランダモンは仁になるべくわかりやすく言葉をかけていく。その一つ一つを仁はかみ砕いて理解を進める。
「……デジタルワールドって、ここの?」
「いえ、名前こそ同じですが別物です。ここは私達デジモンが人間のネットワーク上に作り出した生存圏なのです」
 仁の確認をデュランダモンは否定する。
 名前は同じ別物。そしてこのアプリそのものがデジモンが作り上げた物。
 ならば、仁の頭に思い浮かぶ疑問は一つだった。
「じゃ、元のデジタルワールドって……」
 その疑問はある一つの答えにたどり着くものだった。
 しかしそれでも仁は確認のために質問を行う。
「もうねぇよ……」
 ブリウエルドラモンが静かに、哀愁を帯びた声で答えた。
 ここまで情報が出そろえば仁も彼らの状況を理解する。
「じゃ、じゃあ、じゃあそのデジタルワールドを滅ぼしたのが……」
「はい。アバドモンです」
 仁が一縷の望みをかけていた質問は無情にも肯定された。
 彼の頭の中で先ほどのデュランダモンとブリウエルドラモンの態度の理由が結びついていく。
 茫然としている仁に、デュランダモンは穏やかに言葉を続け始めた。
「……デジタルワールドで生活していた私達の前に、あれは不意に現れました。ネガーモン、幼年期に過ぎなかったはずのデジモンが、成長期や成熟期以上のデジモンを倒し、……いえ浸食して取り込む。異常に気が付いたデジモン達が討伐に向かった際に、出現したのがアバドモンです」
 それがデュランダモン達が知っていたアバドモンなのだろう。
 そして。
「その時に存在していた究極体デジモンたちが総力を挙げて討伐に向かいましたが、結果は敗北。そのデジモンたちのデータを浸食したアバドモンはそのままデジタルワールドそのものを捕食し始めました」
「一匹のデジモンが、世界そのものを食べるなんて、そんな事……」
「えぇ、普通はありえません。ですが、実際に起きた事です」
「まぁ、幸いだったのは人間たちのネットワークの発達でデジタルワールドとの距離が近くなってたって事だ。おかげでその時に幼年期や成長期だったデジモンたちの一部は避難が間に合った」
 ブリウエルドラモンが言葉を続けた。
「……その後、アバドモンは?」
「さぁな? デジタルワールドを喰らいつくしたと思ったら消えちまったよ。忘れもしねぇ……」
 ブリウエルドラモンはその時の光景を思い出したか、身震いを一つする。
「まぁ、後は人間のネットワークの中でデジモンアプリとして生き延びてたってわけだよ。もうあの時の事を知ってるデジモンも少なくなっちまったがな……」
「えぇ、アバドモンの事は忘れ、新しく生まれたデジモン達と穏やかな生を育んでいたのに……」
 そこでデュランダモンとブリウエルドラモンの視線が仁へと向けられる。
「アバドモンが、再び現れた……」
「あぁ、奴がどうしてデジタマになってたかは分からねぇ。もしかしたらデジタルワールドが消滅した際に、あいつも少なからずダメージを負ったのかもな。まさかとは思うが、あいつを倒せるデジモンが現れてたのなら嬉しいが……」
「……これが、私たちがアバドモンを野放しにできない理由です。納得いただけましたか? ゲイザーさん?」
 デュランダモンからの確認に仁は言葉を返す事ができない。
 アバドモンを倒さないでほしいとは口が裂けても言えない状況になってしまっている。
「それで、だ。回復がすんだら何とかアバドモンを倒して」
「……んー、これは、どうなるかな?」
 不意に、アサヒが何かを見ながら言葉を発した。
 全員の視線がアサヒへと向けられる。
「アサヒ? どうかしたのですか?」
「先に動き出した人たちがいるみたいだよ」
 アサヒが手元を操作すると巨大な画面がフィールドに出現した。
 場所はおそらく先ほど仁たちが戦った平原と森のフィールド。
 画面の一部には球体のアバドモンがいて、触手を周囲へと伸ばしている。
 そして同じく画面に桃色の巨体が飛び回っているのが見えた。
「エリスさん!?」
「うん? ゲイザー君、エーちゃんの事も知ってるんだ?」
 仁が思わず口にしてしまった通り、既にアバドモンとホーリードラモンが交戦を始めていた。
 また画面には他のデジモンたちも姿が映っている。
 おそらくエリスのギルドの究極体、完全体のデジモンたちだろう。
 ホーリードラモン等機動力に長けたデジモンが触手を避けながら飛び回り、後方から他デジモンたちの必殺我が飛来している。
 アバドモンの身体には攻撃のエフェクトが咲き乱れていた。
「これなら俺たちが出る幕は無さそうだが……」
 月虹が画面を眺めながら静かに呟く。確かに、このまま攻撃を続ければ倒すことが出来そうではあるが。
「いえ」
「そんなに甘くねぇぞ」
 デュランダモンとブリウエルドラモンは静かに否定した。
 画面の端で一匹のデジモンが触手に捕らえらえる。
 以前にもアサヒとのバトルに参加していたヘラクルカブテリモンだ。彼は触手から逃れようともがく。気付いたエリスがホーリードラモンと救助に向かおうとするが。
「……ちっ!! マジかよ!!」
「……なるほどね」
 アサヒと月虹が顔をしかめて呻いた。
 目の前のヘラクルカブテリモンの身体が縮んだ。小柄なテントウムシの様なデジモン、成長期であるテントモンまで退化している。
 動揺する他のデジモンたちにさらにアバドモンの触手が襲い掛かる。
 一人一人と捉えられると、すぐに戦えるデジモンの数が減っていった。
 その様子をアサヒは冷静に見定めていく。
「……退化させられるんじゃ、回復アイテムだけでも駄目ね。かといって経験値アイテムを究極体まで進化できるほどため込んでいるプレイヤーも居ない」
 画面のなかではついに一人になったホーリードラモンがいた。
「エリスさん!!」
 仁の叫びもむなしく、桃色の竜はすぐに姿が見えなくなる。
「これは、どうやって戦ったものかなぁ……」
 戦える相手が居なくなった平原で、アバドモンは悠然とたたずんでいた。
 その様子をアサヒ達は真剣な表情で見つめる事しかできなかった。

 彼らはそこからアバドモンの対策を話し合った。
 とは言っても退化攻撃を避ける、など基本的な方針のみで具体的な対策は立てられない。
 他のフレンドたちに助力を頼むというのもあったが、エリスの戦いを見た後の者はほとんど「割りに合わない」と返事が来ていた。
「……アマツは無理だそうだ。そもそもこの土日はデジタルワールドにログインできないらしい」
「こっちも全滅。まぁ、究極体から退化させられるって分かってるなら戦いたくも無いよねぇ……」
「つまり、基本的な戦力は俺達二人だけという事だな」
 月虹とアサヒは自らのパートナーデジモンを見上げる。
「ま、しゃあねぇだろ。そもそも下手な奴を連れて行っても浸食されて餌になるだけだ」
「アサヒ、それ以外のプレイヤー達の動きはどうですか? デジモンアプリそのものの危機とは全体通知を行いましたが」
「うーん……、信じられて無い訳じゃなさそうだけど。だからって戦うかどうかは別問題かなぁ。そこもエーちゃん達の負けが響いてるね。良くも悪くもエーちゃん達の戦力は多かったから」
「つまり……」
「あれで勝てなかったんだから自分たちが戦っても勝てるわけがない、が大半かなぁ」
 アサヒ達の話し合いに仁は口を挟む事ができていない。
 しかし、だから言って彼がもう用済みという事は無かった。
「と、いう訳で戦力は私とデュランダモン、月虹とブリウエルドラモンの2組。私達でゲイザー君とのオールオアナッシングでアバドモンを完全に、一度で倒しきる。これで良いね?」
 オールオアナッシング、それこそがアバドモンを倒しきる手段であった。
「ゲイザー君、どう? 行けそう?」
「……はい。デジモンバトルはアンロックされていますし、オールオアナッシングもあります。ランクもメガランク」
「よし。条件的にはいけるね」
 今のアバドモンはレイドボスであると同時に仁のパートナーデジモンという曖昧な存在となっていた。
 というよりゲイザーとしてのパートナーデジモンであるアバドモンをレイドボスとしてシステム上設定しているようなものだ。
 多重に条件が重ねられた結果、このような状態になっている。
 リスクの高い戦闘方法に、月虹が顔をしかめながら口を開く。
「……ここまでやる必要があるのか? 最悪一度敗北しても立て直せるほうが良いと思うんだが」
 彼は負ければデジタマまで退化必死の方法に苦言を呈した。
 しかし。
「ネガーモン、奴には食われたはずなのに相手を浸食して復活したという情報があるんだよ。絶対に倒しきる必要がある」
「はい。そしてアバドモンもデジモンアプリ上の存在には違いありません。システムの処理には逆らえないはずです」
 デュランダモンとブリウエルドラモンが油断無く言い放つ。そこには何があろうともアバドモンを倒しきるという決意が込められていた。
 2体の様子に月虹も口をつぐんだ。
 情報の取りまとめを行い、全体の雰囲気が重くなる。
 このままアバドモンとの戦闘に移行するかと思われたが。
『仁ー? 帰ったわよー。居るのー?』
「うわっ!?」
 仁が耳から急に聞こえて来た声に悲鳴をあげる。
 発せられた鋭い声に仁以外の全員が彼に視線を向けてきた。
 仁は色々な意味で心臓を跳ね上げながら母親への対応を始める。
「い、居る!! 居るからちょっと待って!!」
『何ー? またゲーム?』
「そうだけど……っ!! えと、えと、そう!! 今他の人とボイスチャットしてるんだ!!」
 仁側だけの声だったが、その様子でアサヒ達も状況を察したらしい。
 彼らは僅かにほほ笑んで、弛緩した空気の中で静かにしている。
『あら、そうなの? けど、大丈夫なんでしょうね? 今のご時世、直接会おうとか言って詐欺なんかも』
「大丈夫だから!! 信用できる人たちだから!! と、というか本当に話をしてるだけだから!!」
『なら、いいけど。もうご飯ができるから早く切り上げなさいよね』
 仁の母はそれでようやく通話を切った。
 彼はなんだか生暖く感じる空気の中、アサヒ達に向き直る。
「その……」
「あはは、大丈夫大丈夫。ご両親?」
「母でした……。その夕食だから早く来なさい、と……」
 時間を確認すると、既に18時を過ぎている。
 アサヒ達から襲撃されたのが昼過ぎくらいだったから、もうかなりの時間が経過していた。
 食事を自覚すると、仁の現実の胃が空腹を訴えて来る。
「だ、大丈夫です。このまま」
「ううん、私達もご飯にしようか?」
 仁は申し訳なくなり、そのまま戦闘を始めようと提案しようとする。しかしアサヒの優し気な声がそれを食い止めた。
 月虹が僅かに顔をしかめてアサヒに言い返そうとするが。
「アサヒ、けど……」
「空腹で負けました、じゃ恰好つかないでしょ? それに月虹、ちゃんと食べないと大きくなれないぞ?」
 さらに返って来たアサヒの言葉に月虹は何も言い返せなくなる。
 そんなパートナーたちの雰囲気に、デュランダモンとブリウエルドラモンも表情を和らげた。
「行ってらっしゃい。どうせ私達の回復にもあと少しだけ時間がかかります」
「おぅ、準備は万端にな」
 2体のデジモンたちも優しく声をかけて来る。
 彼らはこれが最後の時間になるかもしれないのに、それを感じさせない程穏やかだった。
「じゃ、いってきます、デュラちゃん」
「はぁ、分かったよ、ブリウエルドラモン」
 彼らはそれぞれパートナーデジモンに声をかける。
 そしてアサヒが仁へと視線を向けた。
「ゲイザー君も。後でフレンド申請とメッセージからこの場所の鍵を送っておくから。またね」
「……はい。また後で」
 仁も言葉を返してログアウト処理を行う。
 しばしロード画面を挟んだ後、画面が黒くなった。
「……はぁ」
 仁は誰も居ない、暗くなった部屋で一人ため息をつく。
 彼はほぼ反射的にスマホを起動した。
 しかし、デジモンアプリのホーム画面の中央には何も表示されていなかった。
「ネガーモン……」
 仁の指先のタップに反応する相手は誰も居なかった。

「あぁ、やっと出て……、仁? どうかしたの?」
 仁が自室から出ると、キッチンから振り向いた彼の母親が怪訝そうな表情をする。
 彼の表情から何か起きたことに気が付いたようだ。
「……どうしたって、何が?」
 仁は話すのも億劫で適当にごまかしながら歩みを進める。
 テーブルに乗せられていたのはカレーだった。ダイニングに満ちたスパイスの香りに仁の胃も反応する。
 カレーなら大丈夫か、と彼は急いで食べ進めようとするが。
「何が、じゃ無いでしょう? 貴方、やっぱりさっきのでトラブルに巻き込まれてたんじゃないでしょうね?」
 彼の母親はごまかされなかった。
 仁に近づいてきて、彼の顔を覗き込む。
「だから違うって……」
 仁は母親を避けて自身の席に着く。
 母は思案気に彼を眺めていたが、すぐに諦めたようにため息をついた。
 そして彼女はキッチンで自身の分のカレーをよそってから椅子に座る。
「いただきます」
「……いただきます」
 仁は母親につられるようにして食前の挨拶を行った。
 そのまま二人で食事を開始する。
 仁は急いで食べてしまおう、とカレーを食べ進めようとしたが。
「……それで、いくら必要なの?」
「ごほっ!?」
 しかし母親の見当違いな指摘にむせた。
 気管に入り込もうとしたスパイスが喉奥で暴れまわる。
 止まらない咳と香辛料の刺激に仁の瞳には涙が浮かんできた。
「そんなに急いで食べるから……」
 そんな彼の様子に母は呆れながら水を渡してきた。
 仁はコップの水を飲み干すと、心配そうにしている母親を睨みつける。
「いや母さんが変な事言うからだろ!?」
 さすがの仁も涙目になりながら大声で反論した。涙と咳のせいでかなり声がかすれてはいたが。
「けど、今までほとんど無かったのにボイスチャットなんて言ってたし。それが終ったと思ったら表情が沈んでるし。絶対何かあったって思うわよ?」
「だからって息子が詐欺にあったってなる!?」
「だって貴方だし」
「もうちょっと息子の事を信用してよ……」
「人付き合いが苦手、受け身、思った事を口に出さない。あんまり他人に気を許さない代わりに、少しでも仲良くなると相手の事をすぐに信じちゃう」
 積み重なる母親の言葉に仁は頭を抱えた。
 図星なのは図星なのだが「そこまで言うか!?」と叫びたくなったが。
「そうやって他人を信用できる、根はやさしい息子だもの。貴方は悪事を働くんじゃなく、悪事に巻き込まれる側だろうし」
 仁の母親は穏やかに、そしてどこか誇らしげに言葉を告げる。
「……どうも」
 仁は母親からの褒めてるんだか貶しているんだか分からない言葉を否定できなかった。
 彼は頬を染めて、視線をそらしながら再び口を開く。
「けど、本当に違うから。今回のは、そういう問題じゃ無いよ……」
 仁は少し不貞腐れながらもそう返答した。
 そうして彼は再びカレーを食べ進めようとしたが。
「それはお母さんが相談に乗れそうな事? それとも言いたくない事?」
 仁は再びの母親からの言葉に動きを止めさせられた。
 彼は自分の母親がデジモンアプリの事を理解してくれるとは思っていない。自分にとって大切な事でも、彼女にとってはゲームの中の事でしか無いのだと。
「……友達、がさ」
 だから少しだけ、その時は気が向いただけだった。
「僕にとっては良い奴なんだけど、他の人からは悪い奴っていう風に言われてて……」
 仁のぼかした言葉を母親はスプーンをおいて静かに耳を傾ける。
「だからその……、どうすればいいのかな、って……」
「その友達は何か悪い事をしたの?」
「多分……、けどずっと前の事でっ!! 今は、そんな事は、無い、と思う……」
「そう……」
 仁の母親は静かに返答する。
「貴方にもそんな友達が居たのね」
 その言葉に仁は再び感情的になろうとする。
 しかし睨みつけた母親の表情があまりに穏やかなものだったから、何も言えなくなってしまった。
「けど、そう言う事なら私から言えることは一つよ」
「……何?」
「貴方は信じてあげなさい」
 端的に告げられた言葉に仁はあまり納得がいかなかった。
 それは何の解決にもなっていない様に感じる。母親も仁の微妙な表情に気が付いたのか、表情を崩して言葉を続けてきた。
「そんな状況を簡単に変えられる訳無いじゃない。何か大きな出来事でも起こすか、信頼を積み上げるか、そのどっちかしか無理よ」
「……けど」
「だからその時まで貴方が傍に居なさい、って言ってるの。そしてもう一度悪い事をしようとしたのなら止めてあげなさい」
 反論のしようがない正論に仁は口をつぐむ。
 正しいとは分かる、しかし。
 と考えて、今日自分がエリスに「パートナーを信じろ」と言われた事を思い出した。
 エリスも母親も言っている事は同じだ。けれど何故受け止め方が違うのか。
 そこにも、先ほどの「少しでも仲良くなると相手の事をすぐに信じちゃう」という文言が突き刺さる。
 図らずも母親の見立てが間違っていない事を理解してしまった。
「はぁ……」
「人生に近道何て無いのよ~」
 母親はなんだか深そうな事を仁へと告げた。
 その自慢げな様子に仁も少しだけカチンとくる。
 彼は少しだけ反撃する事にした。
「……そうだね、母さんの料理とか」
「うっ!?」
 母親は胸を押さえてわざとらしく呻く。そして仁から視線をそらしつつ口を開いた。
「……やっぱり、美味しくない?」
「……まぁ、食べれない訳じゃない」
 2人してカレーをスプーンでかき混ぜる。
 母親の顔に落胆が刻まれる。
「そうよねぇ……。味見した時からなんかおかしいとは思ってたのよねぇ……。はぁ、ごめん。やっぱり今日も何か買ってくるわ」
 母親はそう言って立ち上がろうとする。
 しかし仁はさらにカレーを一口ほおばる。
「仁? 別に無理して食べなくても……」
「……だから食べれない程じゃない、って」
 仁は母親とは目を合わせずにカレーを食べ進めた。
「これで良いよ」
「……そう」
 仁の言葉に母親も腰を下ろす。
 そうして二人でカレーを食べ進めた。

 仁は届いていたメールからアサヒと月虹のフレンド申請を承認する。
 添付してあったキーから移動すると、先ほどまでアサヒ達と作戦会議をしていたワールドに視界が切り替わった。
 既にログインしていたアサヒがやって来た仁に気が付く。
「お、ゲイザー君。早いね」
「アサヒさんも。他の人は?」
「デュラちゃんとドー君は偵察。月虹はまだ食事中。ちなみにゲイザー君は何食べて来た?」
「あ、カレーでした」
「いいねぇ。私は炊き込みご飯のおにぎりを食べて来た」
 アサヒは仁と和やかに会話をしていく。
 仁も母親の料理の腕に対しては何も言わずに簡単な頷きだけ返した。
「向こうの様子はどうですか?」
「特に何も。エーちゃん達以降は誰も戦ってないね。アバドモンも平原の真ん中で静かにしている」
 アサヒはそう言って再び画面を展開した。
 夜の平原の真ん中には夜の薄暗さよりも際立った黒色の球体がたたずんでいる。
「そうですか……」
 その様子を見て仁は胸が苦しくなる。
 もうどうあがいても、アバドモンと戦う事は避けられないだろう。
「……ねぇ、ゲイザー君。ちょっとお話してもいい?」
 そんな仁の声の悲痛さに気が付いたのか、アサヒが優しく声をかけて来た。
 なんだろうか、と仁の視線が彼女に向けられる。
「ゲイザー君はどうして、何年も進化しないデジモンを育てつづけたのかな、って」
「それは……」
 確かに、仁もリセマラを考えなかったわけでは無い。全く進化しないネガーモンに嫌気がさした事もある。
「……長い間、一緒に居たから愛着が湧いてた、って言うのもあります」
「うん」
 仁のその言葉に嘘は無い。
 けれど、それだけでは無い。愛着が湧く前なら機会はあったのだから。
「……うち、共働きで親があんまり家に居ないんですよね」
 仁は少しだけ胸の内を話すことにした。
「うん? ゲイザー君? プライベートな事は……」
 仁の言葉をアサヒは複雑そうな表情で見つめてきた。
 たしかにこんな家庭的な話をいきなりされても困るよな、と仁はあわてて補足を行う。
「あぁ、大丈夫です。個人名は出しません。ただ、小さい頃に僕は親からあんまり必要とされていないんだろうな、って思ってたんですよ」
 仁はアサヒの表情が少し和らいだのを確認して続きを語る。
「今は、両親共に僕の為に働いてくれている、って分かってるんで、そんなに重い話じゃ無いんです。けど、その、気持ちが分かるというか」
「……一人の気持ちが?」
「必要じゃないから、切り捨てられるんじゃないか、って。いや、うん。多分その時は自分にそうじゃないんだって言い聞かせてましたね」
 きっと、ネガーモンに自分を重ね合わせていたのだと。
 ネガーモンを切り捨てない事で、自分もそうだと言い聞かせていたのだと。
「そっか。凄いねゲイザー君」
「そうですかね?」
「うん。自分が辛い思いをして、他の人にはそんな思いをしてほしくない、って思えるのは充分強いよ」
「そんなんじゃ無いですよ」
「でも、結果としてそうなってる」
 アサヒが仁に寂し気に微笑んだ。
「……貴方とはこういう状況じゃなくて、きちんとデジモンバトルで出会いたかっな」
「えぇ!? いや、仮に究極体のパートナーデジモンが居たとしてもアサヒさんと戦える訳が……」
 仁はアサヒから告げられた言葉に驚く。
 彼はその言葉を社交辞令だと思って慌てて受け流そうとしたが。
「そんな事無いよ。デジモンはきっと応えてくれる。皆遅いか早いかの違いはあるけど、きっと私よりも強いコンビが現れる」
 しかしアサヒは全く信じて疑わない様子でそう呟いた。
 その言葉に仁は少なからず驚いてしまう。
 そしてつい、余計な一言を発してしまった。
「……アサヒさんは負けたいんですか?」
「まっさか!? けど、誰かを蹴落とすでも無い。誰かと憎み合うでも無い。正々堂々の正面対決ができる。そんなデジモンバトルが私は好きなんだから。ずっとそうありたいだけだよ」
 アサヒが仁の言葉に気分を害した様子も無く笑い飛ばした。
 そんな晴れの日の太陽の様なさわやかさに仁の頬も思わず緩んだ。
「……僕からしてみたらアサヒさんの方が凄いですけどね」
「あはは、ありがと。けど、私以外の月虹も他の皆も、それこそエーちゃんも。きっと皆デジモンバトルが好きなだけだよ?」
 アサヒも少し恥ずかし気に微笑んだ。
 そして2人の視線が同時に目の前の画面に向けられる。
「だから早く、昨日みたいにまたデジモンバトルが出来る様になればいいのに」
「……えぇ、そうですね」
 そこには変わらずアバドモンが1人平原にたたずんでいた。

「……さて」
 仁は1人平原のフィールドに降り立っていた。周囲はもう既に日が落ちて真っ暗だ。
 しかしそれでも、彼の視線の先のアバドモンの姿はしっかりと確認できる。
「ゲイザー君、準備できた?」
「はい」
 仁へのボイスチャットからはアサヒの声が聞こえて来た。
 姿こそ見えないが、その表示は既にフィールドに来ている事を示している。
「ゲイザー、作戦はタイミングが重要だ。しくじるなよ」
 月虹からの確認に仁の胃が痛みだす。
 もし間違えたら、と彼の中に不安が湧き出してきた。
「ま、その時は正面から戦うだけだよ」
 しかしアサヒが変わらぬ様子で仁の不安を笑い飛ばす。
「はぁ……。そんな馬鹿正直な……。まぁ、でも確かに。いざという時はやるだけだ。気楽にやれ」
 月虹も呆れた雰囲気で仁を励ます言葉に変えて来た。
 付き合いの中で何となく見えて来た2人の関係性に思わず笑みを浮かべてしまう。
 心の中に巣くっていた不安が多少は和らいだ。
「……はい」
 仁は先ほどより穏やかに答える事ができた。
 そのまま視界にあるタイマーを確認する。
 ちょうどカウントが30秒を切る。
「そろそろです」
「あぁ」
「バトルが始まったらゲイザー君は離れていてね」
 2人からの言葉に仁は頷いた。
 そのままデジモンバトルの準備を始めていく。
 メガランク。オールオアナッシング。
 デジモンバトルを開始しますか、という表記までやって来る。
「ふぅ……」
 仁はそこで大きく息を吐いた。
 そしてアバドモンへと向き直る。
「アバドモン!!」
 大声で声を張り上げた。
 僅かにアバドモンが身じろぎする。触手の一本が仁の方へと近づいてきた。
「ごめんね。遅くなって」
 仁は声を落として言葉を続けた。
 カウントが5秒を切る。
「もう一度、君に会いに来たよ」
 アバドモンはまだ動かない。反応していない。
 カウントが0になった瞬間、仁はバトルスタートのボタンを押す。
 瞬間、空から隕石もかくやの速度でデュランダモンとブリウエルドラモンがアバドモンへ落下した。

 バトル前の作戦会議の際、最終的な結論は至極単純な物だった。
 「短期決戦しか無いね」
 月虹たちの前ででアサヒはそう言い放つ。
 エリス達の猛攻をしのぐ耐久力。しかし時間をかければ退化させられる可能性が高い。
 アサヒの言う事は正論であったが、それが出来れば苦労しないという方法だった。
 ゆえに重要なのは手段である。
 月虹とデュランダモン達はその事で頭を悩ませる。
「必殺技を一気に叩き込むだけじゃ足りないな……」
「うぅむ。遠距離支援を誰かに頼むか?」
「それでは先ほどの二の舞でしょう。私達だけで何とか威力を出す手段が無ければ」
 彼らの会話ではやはり結論が出なかった。そのまま時間だけが過ぎて行くかと思われたのだが。
「ふっふっふ」
 そこへ、アサヒが自慢げに腕組みをして含み笑う。
「我に策あり」
 にやり、とアサヒが笑った。
 そして仁の方へ視線を移す。
「ゲイザー君。これは君にも協力してもらう必要があるんだ」
「……へ? ぼ、僕ですか?」
「そう。この作戦はタイミングが命だからね」
 アサヒの悪どいとも言える笑みに仁の頬は引きつり、彼女の事をよく知っている3人は諦めた笑みを浮かべた。

 バトル開始と同時に空から降って来たデュランダモンとブリウエルドラモンがアバドモンを直撃した。
 その衝撃に仁の足元まで風が吹きあがる。
 作戦内容は単純明快。アサヒがエリスとの戦いでやった事を発展させただけである。
 バトル開始前に上空に飛び上がり、必殺技による加速を利用して落下を開始する。
 物理エネルギーを利用した突撃を、戦闘開始と同時に叩き込むという、あまりに脳筋すぎる戦法である。
 落下による加速、究極体2体による必殺技、仁が気を引くことによる不意打ち。
 これでアバドモンの外装だけでも倒すことが出来ればという想定であったが。
「冗談でしょ……?」
 土煙が晴れた後、アバドモンはそのままの姿だった。
 HPを減らすことはできていても倒しきれていない。
 あまりのタフさに仁も驚愕の声をあげる。
 これからの作戦はアサヒと月虹による戦闘しかない。
「……どうすれば」
 このままでは一つ間違うだけでアサヒ達が負けてしまう。
 何かできる事は、と考えて。
 仁はある考えを思いつき顔をあげた。
 彼は考えを実行に移すべく、メニュー画面を開く。

「うっわぁ……。マジかぁ……」
 目の前の状況にアサヒが呻く。
 作戦は成功した。バトルフィールド外の高高度からの奇襲攻撃。
 予想外だったのはアバドモンのタフさである。
 着地して態勢を整えた彼らの前でアバドモンの触手が展開された。
「よぅし、月虹、やるよ!!」
「ちっ!! あぁ、分かったよ!!」
 2人が叫んだのと同時に触手の目が光る。
「ゲースイレイザー」
 お腹のそこに響くような重低音と共に黒紫色のレーザーが放たれた。
 そして回避のために宙に浮いたデュランダモンとブリウエルドラモンに触手が襲い掛かる。
「トロンメッサ―!!」
「グレンストーム!!」
 迫りくる黒い魔の手をデュランダモンは連続切りで切り払い、ブリウエルドラモンは吐き出した炎で焼き払う。
「行くよ、デュランダモン!!」
「えぇ!!」
 アサヒとデュランダモンは触手を回避しつつアバドモンに肉薄してく。
「ブリウエルドラモン!!」
「おぅ!! やるぞ月虹!!」
 月虹とブリウエルドラモンは業火で触手を焼き払いながら空に飛び上がった。
 これより、アサヒと月虹によるアバドモン攻略戦が開始された。

「はぁ!!」
 デュランダモンの剣がアバドモンの身体に突き立てられる。
 ダメージ表記は出るが、それでもいまだ倒しきるのは至らない。
 一気に倒すには必殺技を叩き込む必要があるのだが。
「避けろ!! アサヒ!!」
「っ!? デュラちゃん!!」
 月虹からの警告にアサヒとデュランダモンが飛びのく。その瞬間に触手が彼女たちが寸前まで居た場所に殺到した。
 回避したアサヒ達だったが、まだ安心はできなかった。
 さらに触手の視線が一斉にデュランダモンへと向けられる。
 触手を回避しても、さらにその目から放たれるレーザーまで回避するのは至難の業だった。
 避けきれなかったレーザーがデュランダモンの身体をかすめる。
「くっ!?」
 デュランダモンのHPが減少する。敗北には至らないが、3割ほどまで減少した。
 即座にアサヒがアイテムを使用してデュランダモンのHPを回復する。
 先ほどからこの繰り返しだった。
 必殺技を放つほどの隙は無い。そして攻撃をしても触手とレーザーによる反撃で徐々にHPが削られていく。
「アサヒ、残りは!?」
「後3つ!! 月虹は?」
「5つある!! 次は任せろ!!」
「おっけい、任せた!!」
 会話の終了と同時にブリウエルドラモンが炎を吐き出して触手を蹴散らす。
 作られた隙間を利用してデュランダモンがアバドモンに肉薄していく。
 そして再び剣を叩きつけようとしたが。
 今回はアバドモンの対処が違った。
 大口を開けてデュランダモンを迎え撃つ。
 その動作にアサヒの背筋に冷たい物が流れた。
 「まずっ!?」
 アサヒは回避しようとするが、すでに彼女らの周囲を触手が網の様に覆っていた。
 彼女は即座に指示を切り替える。
「デュラちゃん!!」
「はい!!」
 アサヒの掛け声にデュランダモンが防御の構えをとる。
「ブラストスマッシュ!!」
 そこにブリウエルドラモンが必殺技で割り込んできた。
 盾を前面に展開し、爆炎で加速しての突撃。それをもってデュランダモンの前に立ちふさがる。
「ホワイトイレイザー」
 同時に、アバドモンの大口から白い巨大なレーザーが放たれた。
 月虹の視界全てを白く染めながら光線が直撃する。
「ぐっ!?」
 防御しているはずなのにみるみる減っていくブリウエルドラモンのHPに月虹が呻く。
「問題ねぇ!!」
 そんな月虹を鼓舞するようにブリウエルドラモンが吠えた。
 そして同時にブリウエルドラモンのHPが回復する。
 アサヒが回復アイテムを使用したのだろう。それをもって真紅の竜はアバドモンの攻撃を耐えきった。
 そしてレーザーが途切れると同時にデュランダモンがブリウエルドラモンの背後から躍り出る。
 彼女は両手と背中の大剣、全てを構えて迫る。
「ツヴァングレンツェ!!」
 そしてデュランダモンが必殺の一撃を放つ。
 必殺技を放った後の隙を狙った攻撃であったが。
「ガーライトネス」
 アバドモンはそのまま振るわれた剣を噛み砕いた。
 黄金の剣が破片をまき散らしながら砕け散る。
「なっ!?」
「うそ……」
 デュランダモンがダメージすら忘れて驚く。アサヒも茫然としたように言葉を漏らした。
「アサヒ!!」
 月虹が追加の回復アイテムを使用する。
 デュランダモンのHPはそれで回復した。しかし、驚愕により停止した思考までは回復しない。
 彼女たちのアバドモンの触手の回避が遅れる。
「デュラちゃん!!」
「――っ!! トロンメッサー!!」
 デュランダモンは触手の迎撃のための必殺技を放つが、とっさの攻撃では全てを捌ききれなかった。
 すり抜けた触手の一本がデュランダモンの左足へと取り付く。
「しまっ……!?」
 デュランダモンが気付いた時には遅く、退化攻撃が開始する。
「アサヒ!!」
「まだだ!!」
 月虹とブリウエルドラモンとアサヒ達を救出するために火炎を吐きながら前に出る。
 彼らはデュランダモンに多少ダメージは入ったとしても構わないと、触手を焼き払おうとしたが。
 彼らの前に幾重にも触手が重なり壁を作り上げる。
 アバドモンは触手を多層展開する事で迫る炎を防ぎ切った。
「くそ!!」
「まだだ、諦め、ぐっ!?」
 そしてブリウエルドラモンがうめき声をあげる。
「ブリウエルドラモン!?」
 月虹が声をかけると同時にブリウエルドラモンの身体が爆発により傾く。
 何が、と彼らが視線を向けると地面の一部から煙が上がっていた。
 よく見ると地面が僅かに盛り上がっており、その根元はアバドモンの触手へと続いている。
 地面の下からのレーザー攻撃であった。
 そしてバランスを崩したブリウエルドラモンも触手に捕らえられる。
 こちらにも退化攻撃が始まった。
「デュランダモン!!」
「ブリウエルドラモン!!」
 アサヒと月虹が悲痛に叫ぶ。しかしその時にはもうデュランダモンとブリウエルドラモンは居なくなっていた。
 デュランダモンはデュラモン、スパイガーモン、ズバモンへと退化する。
 ブリウエルドラモンもライジルドモン、ティアルドモン、ルドモンへと退化する。
 究極体で無くなってしまった彼らは地面へと落下した。
 アサヒと月虹はぞれぞれパートナーを守ったがしかし。
「ズバモン……」
 アサヒの腕の中では頭に剣を生やした黄金の2足歩行のデジモンが目を閉じていた。
「ルドモン……っ!!」
 月虹の腕の中では頭と両手に小盾を携え鎧を着こんだデジモンが苦し気に呻いていた。
 ズバモン、ルドモン共に成長期デジモンである。
 どんなに足掻いたところで究極体のアバドモンに勝利する事はできない。
 また彼らの経験値アイテムを使用したとしても完全体に届くかどうか程の蓄えしかない。
 アバドモンは追撃する事無く彼らを見下ろしていた。
 そしてアバドモンの触手の内の目の一つ、先ほどから攻撃に参加していなかった部分の物が動く。
 次の瞬間。
 ポン、と場違いな程軽い通知音がフィールドに響いた。
「……え?」
「何、が……」
 アサヒと月虹が茫然と顔をあげる。
 そこには。

『アマツからギフトが届きました』

 そして間を置く事なく。

『エリスからギフトが届きました』

 見慣れた名前からのギフトを二人は言葉も無く見上げる。
 そして、ギフトはそれだけに留まらない。
 2つのギフトを呼び水として、膨大な量のギフトが2人の元へ届き始める。
 止まる事の無い通知音にアサヒと月虹は何が起きているのかを理解した。
 しかし、何故かが分からない。
 どうしてこのタイミングで大量のギフトが届くのか理解できなかった。
 今このバトルを配信をしているわけでも無いのに、とそこでアサヒの思考が行きついた。
「まさか……」
 アバドモンの視線の先、そして彼女が目を見開いて視線を向けた方向に彼が居た。
 バトルが開始したらすぐに距離を取る作戦であったのに。
「……ははっ、なんだよお前」
 アサヒが何を見ているかに気が付いた月虹が涙ながらに笑みを浮かべた。
 2人が立ち上がる。
「……ありがとう」
「最高のタイミングだ!!」
 彼らは静かな協力者に最大級の感謝を告げる。
 アサヒと月虹のパートナーのHPは過剰なほどの回復アイテムで全回復していた。
 そして。
『条件が整いました。ズバモンを進化させますか?』
「ズバちゃん!!」
『条件が整いました。ルドモンを進化させますか?』
「ルドモン!!」
 2人は迷わない。その道は既にたどったものであるから。
「「進化!!」」
 今ここに、彼らのパートナーが復活を遂げる。
 ズバモンの姿が変わる。
 4足の恐竜の様な形態へ、そして2足の細身の剣へ、そして黄金の大剣を背負った剣のデジモンへと。
 「デュランダモン!!」
 アサヒの隣で凛々しく知性的な女性の様な声が響いた。
 ルドモンの姿が変わる。
 青い氷の盾の狼へと、雷を纏った黄金色の機械の姿へと、そして炎を纏った真紅の盾のデジモンへと。
「ブリウエルドラモン!!」
 月光の隣で雄々しく猛々しい男性の様な声が響いた。
 再び究極体へと進化したパートナーをアサヒと月虹が涙を堪えながら迎える。
 彼らはしばしパートナーと視線を交わし合う。
 そこに確かな絆を感じ、そして、奇跡はそこで終わらない。
 さらなる通知が2人の前に現れた。
「……何、これ?」
「……これは」
 
『条件が整いました。デュランダモンとブリウエルドラモンをジョグレス進化させますか?』

 2人は初めて見る画面に視線を見合わせる。
 何が起きているのか分からない。しかしそんな彼らへデュランダモンとブリウエルドラモンが頷いた。
 今、彼らは初めての一歩を踏み出す。
「デュラちゃん!!」
「――はい!!」
「ブリウエルドラモン!!」
「――おぉ!!」
「「ジョグレス進化!!」」
 それはアプリ上に残されていただけの、元のデジタルワールドに存在していたシステムだった。
 デジモンアプリでは一対一のバトルが中心である事、そしてデジモン同士の能力の高さと信頼関係が必要で、そのハードルの高さから本来発動する事が無いシステム。
 しかし今は違う。
 デジタルワールドでの複数バトル。
 大量のアイテムによる膨大なデータ。
 そしてデュランダモンとブリウエルドラモン同士の、そして彼らのパートナーとの絆。
 条件は整っていた。
 デュランダモンが巨大な黄金の剣へと姿を変える。
 ブリウエルドラモンが巨大な真紅の盾へと姿を変える。
 そして、虚空から現れた青紫色の鎧を纏った腕がそれらをつかんだ。
 まるで剣と盾から身体が作り出されていくように、そのデジモンは形作られていく。
 全身、青紫色の鎧を纏った騎士だった。鎧には所々に黄金と真紅の結晶が埋め込まれている。
 兜には翼の様な意匠と赤い宝石、そして剣の様に一本角が飾られていた。
 黄金の剣と真紅の盾を携えた騎士のデジモンがアサヒと月虹の間に現れた。
 その名は。
「ラグナ、ロードモン?」
 アサヒが表示された名前を呟いた。
 一体デュランダモン達がどうなってしまったのか、と僅かな心配が彼女らの胸によぎったが。
 次の瞬間にはアバドモンの触手がラグナロードモンへと殺到した。
「不味い!!」
 月虹が表情を険しくして叫んだ。せっかく進化したのにまた退化させられたら、と恐怖したが。
「大丈夫です」
 聞き慣れた優しい声が響き、黄金の剣が振るわれる。
 剣の一振りにより生じた風圧でアバドモンの触手は全て吹き飛ばされた。
「デュラちゃん!!」
 アサヒが嬉し気に声をあげる。
「さぁ、やり返すぞ!!」
 そこに力強い声が続く。
 同時にラグナロードモンが盾を正面に構えた。竜の部分の口が開く。
 そしてすべてを焼き尽くすかの様な業火が吐き出された。
「ははっ、そうだな!! ブリウエルドラモン!!」
 月虹の声がパートナーからの掛け声に続いた。
 吐き出された炎はアバドモンの触手を焼き払う。
 そしてそれだけに留まらず、燃え尽きる事の無い火がアバドモンの本体へと燃え移った。
 熱にあぶられた飴玉の様にアバドモンの身体が溶け出す。
 そしてその中央から、黒い影が飛び出て来た。
 まるで影の様な人型だった。黒と赤と、目と口で形作られたデジモン。
 アバドモンコアがその姿を現した。
 上空からラグナロードモン達を見下ろしたアバドモンコアの両腕がうごめく。
 黒い右腕は鋭い槍へと、赤い左腕は砲身へとその姿を変えた。
 その隙に、アサヒと月虹がラグナロードモンの両肩へと移動する。
 開始の合図は無かった。
 ラグナロードモンとアバドモンは示し合わせたように突っ込む。
 そして槍と剣がぶつかり、アバドモンコアの攻略戦が開始された。

 ラグナロードモンとアバドモンコアの攻撃がぶつかり合う。
 その衝撃による余波は仁の元まで届いていた。
 彼は背後に飛ばされそうになるアバターを地面に伏せる事で耐える。
 ここまで上手くいっていた。
 アサヒと月虹の補助のためにバトルの配信を行う。
 急に現れたレイドバトルと不穏な全体通知。そしてエリス達の戦いと、デジモンアプリを使用している者なら全員がアバドモンに対しての関心が高まっている状況だった。
 そこに「レイドバトル」「オールオアナッシング」「アサヒ」「月虹」等々思いつく限り取り上げられそうなタグとワードをのっけて配信を開始。さらにエリスへと連絡を取り、知りうる限りの全ての情報を提供した。
 アマツというランカーの助力は仁にとって予想外だったが、彼とエリスのギフトのおかげでアサヒ達へかなりの手助けをすることが出来た。
 今も配信のコメント欄では「すげぇ!!」「こんなの初めて見た!!」「行け!! ラグナロードモン!!」等アサヒ達を応援するコメントであふれている。
 仁の作戦は全てが上手くいっていた。
 しかしそこにアバドモンへのコメントは一件も無かった。
 仁も分かっている。今のアバドモンはデジモンアプリを消滅させるかもしれないラスボスも同然の存在なのだ。
 今のアバドモンはレイドボスで、倒すべき敵で、全プレイヤーから倒される事を望まれている存在である。
 それは、仁も分かってはいる。
 分かっているのだ。
 そこへ彼にエリスからのメッセージが届いた。
 画面には「これで良かったんだよな」とだけある。
 これで合っている。全て上手くった。作戦は成功した。
 けれど。
 このままでいいのか、と仁の心は告げて来ていた。
「アバドモン……」
 彼の視界の先ではアバドモンが一人で戦っている。
 相手はラグナロードモン、そしてアサヒと月虹。
 配信のコメント欄はその全てがラグナロードモンを応援し、アバドモンの敗北を望むものだけ。
 誰も、アバドモンの味方はいなかった。
 それが、自分は誰にも必要とされていないのだと思っていた過去の自分が重なる。
 不意に仁の脳裏にエリスと母親の言葉が思い出された。「信じろ」と、そう言われた。
 仁は顔をあげる。
 自らのパートナーである、アバドモン見据えた。
 これからしようとしている事を考えると足が震える。呼吸が荒くなる。心臓と胃がキリキリと痛み出す。
 これはきっと間違っているのだろう。非難されるだろう。許されないだろう。
 しかし、彼は愚かな一歩を踏み出す為に前へ飛び出した。

 戦っていたラグナロードモンの目の前からアバドモンの姿が消える。
 彼らはまた何かの攻撃かと盾を構えて周囲を見やる。
 しかし違った。
 アバドモンはすぐ近くの地面に立ってそばを見下ろしている。
 そこには仁のアバターが立っていた。
「ゲイザー!? 何をしてるんだ!?」
 月虹は慌てたように叫ぶ。
 ラグナロードモンも地面に降り立って剣をアバドモンへと突き付けた。
「ゲイザー!! 危険です!!」
「小僧!! 今すぐそこから離れてろ!!」
 デュランダモンとブリウエルドラモンが月虹に続いて仁へと警告を告げる。
 2体と1人からの鋭い言葉に仁の足が後ろに下がりそうになった。
 しかしアサヒだけは静かに、仁の事を見定める様に見つめてくる。
 仁には配信のコメント欄でも困惑と彼へ避難が殺到している事が簡単に予想がついた。
 彼は必死に呼吸を整える。何もしていないのに息が苦しかった。
 自分がした行動を後悔したくなる。
 そこへ、アサヒが口を開いた。
「ゲイザー君。貴方は自分がしている事を理解しているのね?」
「……は、はい」
 仁はアサヒからの問いかけへ必死に、しかし視線を逸らさずに答える。
「それでも、貴方はアバドモンの隣に立つのね?」
「は、はい。そ、それでも、僕は、アバドモンのパートナー、です、から……」
「おま、一体何を!?」
「月虹、ここは私に任せて」
 問い詰めようとする月虹をアサヒが止めた。
 そして彼女は先ほどまでの真剣な表情を崩す。
 続けて何時か見たような、楽し気な笑みを仁へと向けた。
「よし、じゃあやろうか。デジモンバトル」
 そこから続けられた言葉にアサヒ以外の全員が動きと止めた。
 仁も、そして彼女の味方であるはずの月虹も信じられない様に視線を横に受ける。
「おま、アサヒ!? お前状況分かってるのか!?」
「うん。ゲイザー君はアバドモンのパートナー。そして今から彼らとデジモンバトルをする、でしょ?」
 そして月虹からの追及に対してもどこ吹く風である。涼し気にいつものように言葉を返す。
 そんな彼女に対して月虹はさらに言葉を重ねるが。
「そんな単純な訳あるか!? これは」
「これは、何?」
 アサヒからの単純な質問で言葉を詰まらせた。
 これは何なのか。もう既に状況は混沌としており、説明できる人間などいなかった。
 前代未聞のレイドバトルにジョグレス進化、そしてボスキャラへのパートナーの復帰。
 誰も一言で説明する事などできない。
「嬢ちゃん……。あいつはそんなデジモンバトルだなんて呑気な事を言っている場合じゃねぇんだよ……」
「そうです、アサヒ!! 奴が一体何をしたか……っ!!」
 それでもデュランダモンとブリウエルドラモンはアサヒへ反論しようとする。
 しかし。
「デュラちゃん。ドー君。けど、さっきからアバドモンはゲイザーの事を襲っても居ないよ? 貴方たちの話を疑う訳じゃないけど、このアバドモンは本当に貴方たちが知っているアバドモン?」
 アサヒは静かにパートナーたちへの反論を告げる。
 フィールドに居る全員の視線がアバドモンへと向けられた。
 そのデジモンは先ほどから仁の後ろでただ静かに立っているだけである。
 アサヒの言う通り、先ほどからおかしな事は続いていたのだ。アバドモンは一向にデジモンアプリの浸食を開始しない。デュランダモンとブリウエルドラモンが退化した時も追撃をしてこなかった。
 その事がアサヒの中で違和感を感じさせていた。
 仁は意を決してアバドモンの右肩に載る。アバドモンはそのまま動かない。
 その事実にデュランダモンとブリウエルドラモンが驚愕の声をあげる。
「そんな」
「むぅ……」
 全員の中にアバドモンを倒す必要は無いのではないかと疑問符が浮かぶ。
 しかし。
「否」
 その時アバドモンが声を発した。どこかノイズが走っているような、しわがれた声が響く。
 今まで必殺技の掛け声しか出さなかったデジモンの言葉に全員が驚いた。
「我、全てを、喰らう者。我、存在しては、いけないデジモン」
「アバドモン?」
 告げられた言葉に仁が悲痛な声をあげる。
 アバドモンは仁からの言葉に反応せず静かに槍を構える。
「剣と盾の、デジモンよ。この世界の、人間達よ。デジタルワールドを、喰らったのは、この、我、でない。しかし、それも、我、なり」
 その言葉にラグナロードモンも構えた。
 互いに戦闘の意思を示した事を、アバドモンは満足そうに頷く。
「ゆえ、我、倒して、みせよ」
 そしてアバドモンからの宣戦布告に真っ先に反応したのはデュランダモンとブリウエルドラモンだった。
「えぇ!!」
「……上等だ!!」
 彼らは再びそのままぶつかり合おうとして。
「あぁ、違う違う。全然なってないよ」
 アバドモンとラグナロードモンの動きをアサヒの言葉が止めた。
 アバドモンの瞳が揺れる。仁も困惑して首を傾げる。
「アサヒさん?」
「……何が、だ?」
「だから違うんだって。貴方、本当にゲイザー君とデジモンバトルを見て来たの?」
 首を傾げる彼らにアサヒはしょうがないなぁ、と言う様に呟いた。
「あー、アサヒ?」
 月虹が代表して幼馴染の少女に尋ねた。
 その場に居る全員がアサヒのペースに飲まれていた。
 そこへ、彼女は胸を張って告げる。
「私はアサヒ、パートナーデジモンはデュランダモン。よろしくね。……月虹」
 そして貴方も、とアサヒは隣に立つ月虹に笑顔で促す。
 彼はそこでアサヒが何をしようとしているのかを理解した。
「お前な……」
 月虹は幼馴染の突飛な、しかし相変わらずの行動に大きく肩を落とす。
 しかし彼女に反論しても無駄な事を理解している彼はすぐに仁とアバドモンに向き直った。
「……プレイヤーネームは月虹。パートナーはブリウエルドラモンだ」
「そして、新しい相棒のラグナロードモン!!」
 アサヒが月虹の言葉に続いて高らかに名乗る。
 そこでようやく、仁も何が起きているのか理解する。
「貴方たちは?」
 アサヒは優しく仁に右手を向けた。
「ぼ、僕は……」
 急に差し出された手に仁の喉が震える。
 現実の身体が緊張して舌は回らず、手足は震え、全身に汗をかき始める。
 月光とアサヒのも、そしてコメントのも。
 今、全ての視線が自分に向けられている事を理解する。
 その事に逃げ出しそうになってしまう。
 彼の恐怖を感じ取ったのか、アバドモンの右腕が上がる。
 しかし。
「僕は……。ぼ、僕の名前はゲイザー……。パートナーデジモンは、アバドモン、です」
 震えながらでも、仁は一歩を踏み出した。
 不格好でも、情けなくても。
 彼は自らの言葉と身体でアサヒと月虹に向き合う。
 そこへ、再びポンと通知音が響く。
『エリスからギフトが届きました』
 それはエリスから仁へのギフトだった。続いて、アサヒ達よりは数が少ないが、いくつかのギフトが続く。
 差出人は今日エリスのギルドで知り合った者たちからだった。
 挨拶をくれた人、声をかけてくれた人、励ましてくれた人、協力してくれたひまわり。
 アバドモンのHPが全回復する。
 エリスからのギフトにはメッセージが込められていた。
 そこには「ぶちかましてこい」と短く綴られている。
 その内容に仁の目に思わず涙が浮かんできた。
「――っ!! ……アサヒ、さん」
「うん」
「月虹さん」
「あぁ」
「恐れ多いですが、お二人に挑ませてもらいます……っ!!」
 涙をぬぐい、仁はなけなしの勇気を振り絞って最強たる二人に宣戦布告を行う。
「その勝負、受けて立つ!!」
 アサヒがにやりと笑って答える。
「全力で来い!!」
 月虹が表情を引き締めて答える。
「行くよ、アバドモン!!」
 パートナーの掛け声にアバドモンは上げかけていた右腕を下げる。
「……あぁ」
 そしてアバドモンは体中の口を歪ませてラグナロードモンに向かっていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?