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Withコロナ時代のアジアビジネス入門㉜「スーチー氏と国軍最高司令官の確執」@毎日アジアビジネス研究所

軍の立場から深層を分析するジャーナリスト
 2011年の民政移管後「アジア最後のフロンティア」ともてはやされ、日本企業の進出が一気に進んだミャンマーで2月1日、クーデターが発生し最高指導者のアウンサンスーチー氏が拘束されました。民主化後の10年間で急激な経済成長を果たし、もう再び軍事支配に戻ることはないと思われたミャンマーで、なぜクーデターは起きたのでしょうか?
 毎日新聞ヤンゴン支局長として16年まで現地で取材し、今回クーデターを起こしたミンアウンフライン国軍最高司令官の単独インタビューの経験も持つベテランジャーナリスト、春日孝之氏を講師に、軍の立場から「なぜ今、クーデターが必要だったのか」を探るアジアビジネスONLINE講座を2月12日、開催しました。西尾英之・毎日アジアビジネス研究所主任研究員が司会をし、講座の内容をまとめました。
クーデター<正当性>の論理とは
 アフガニスタンやパキスタンでの取材経験も長く、毎日新聞紙上に「タリバンは悪か」との連載を掲載したこともある春日氏は、「クーデターを一元的に、民主主義を破壊する〝悪〟と言い切るつもりはない」と語ります。クーデターには国家の統合や内戦終結など様々なプラスの要素もあり、アフガニスタンのタリバン政権は、少なくとも究極の人権侵害である国民の命を奪う行為を激減させた、との立場です。
 それでは今回のミャンマーのクーデターはどうだったのでしょうか?
 春日氏は「あのミンアウンフラインが、なぜ今クーデターを・・、と絶句した」と語りました。軍士官学校出身で少数民族との戦闘や交渉で功績を挙げたミンアウンフライン氏は、2011年、長年軍事政権のトップとして独裁的地位にいたタンシュエ氏から、国軍最高司令官を引き継ぎました。2011年に大統領に就任した同じく軍出身のテインセイン氏と歩調を合わせて、軍内部の保守・守旧派や親中派を排除し、民主化プロセスを進めてきたとされます。
国軍最高司令官がルビコン川を渡る
 実際にミンアウンフライン氏を単独インタビューした経験のある春日氏は、「軍人の持つ威圧感がない。スーチー氏が持つ、人をピリピリさせるところがない穏やかな人柄」と語ります。インタビュー終了後には気軽に立ち話で雑談にも応じたそうです。
 そんなミンアウンフライン氏に、ルビコン川を渡らせる決断をさせたものは、何だったのでしょうか?同氏は2月9日に国民向け演説を行い、クーデターの理由を「(昨年11月に実施されてNLDが地滑り的勝利を収めた)総選挙での不正・不備」と主張しました。
 ミンアウンフライン氏は「自由で公正な選挙が、民主主義体制を強化するための基本だ」と述べました。つまり自分は民主主義を支持し、強化したい。そのためには不正選挙を正さないといけない。だからクーデターを起こしたのだ、という理屈です。春日氏は「これはまさに『民主主義のパラドックスだ』」と指摘します。
 選挙の不正が民主主義の根幹を揺るがすのは間違いないでしょう。しかし、それを理由にクーデターを発動するというのは、どう考えて無理筋です。春日氏は、今回のクーデターの背景には、ミンアウンフライン氏のアウンサンスーチー氏に対する個人的な感情、さらにロヒンギャ問題があるとの見方を示します。
スーチー氏との確執、ロヒンギャ問題・・・
 「国民には依然圧倒的な人気を誇るが、身近にいる人にはその力量が(不足していることが)わかる」。春日氏はスーチー氏に対し極めて辛口です。経済政策、武装勢力との和平交渉、さらにはコロナ対策でも、スーチー氏は迅速で十分な対応を行うことができませんでした。一方で、野党時代には「政策決定の透明性を確保することが民主主義の基本」と批判し続けたのに、政権に就いた後には情報統制、メディア統制を強めるなど、言行不一致ははなはだしかった、と指摘します。
 そしてミンアウンフライン氏の心中を慮り、国軍トップとしての自負心が強い氏が、「こんな人物にもう5年間、政権を任せなければならないのか」との〝義憤〟にかられたのではないか、と推察します。
 さらに、ミャンマーが国際社会から厳しい非難を浴びているロヒンギャ問題です。スーチー氏は2019年、国際司法裁判所に出廷し、ミャンマー国軍のロヒンギャ武装組織に対する掃討作戦について、「武装組織と一般住民の区別が難しいので、殺戮などの行き過ぎがあった」と認めました。一方で国連などが指摘する民族浄化、ジェノサイドの意図は全面否定しました。
 ロヒンギャ問題に沈黙しさらには国際法廷で国軍を擁護したとして、スーチー氏は国際社会からは「落ちた偶像」とまで非難されました。しかし軍部には、なぜもっとミャンマーの立場を主張しないのか、との不満が強まっていたとみられています。
 こんなうわさがミャンマー人の間で流れています。スーチー氏がミンアウンフライン氏に「今度の法廷にはあなたが出廷しなさい。あなたが指揮した作戦なのだから」と話し、これにミンアウンフライン氏が激怒した、と。国際法廷に関しては、国際司法、国際刑事と、まだまだ法廷が継続します。国際刑事法廷ではミンアウンフライン氏自身が訴追される可能性もあります。春日氏は、ミンアウンフライン氏の不安が、権力を手放さない、という考えに結びついたとの見方を指摘します。
 また、ロヒンギャ問題を巡る国際的な批判に対して、国軍の保守派・守旧派が巻き返しを図ったとの見方も紹介します。保守派・守旧派は親中派でもあります。このことが、クーデターでの中国関与論にも結びついていると言います。
<中国関与説>は考えにくい
 ミャンマー人の間でも、中国関与論はかなり信じられているといいます。しかしこれは、国民の嫌中国、嫌中国人感情が反映している面があります。
 以下は春日氏が直接取材したのではなく、ミャンマーの知人、友人から聞いた話であくまで推測の域を出ないとのことですが、スーチー政権はこのところ、中国企業に対しかなり厳しい対応を取ってきた。中国側が怒り、スーチー政権ではなく国軍の親中派に接近し「失地回復」を狙っていた、といいます。中国にとっても国軍の親中派にとってもミャンマーは利権の宝庫で、この説はそれなりに真実味があります。
 しかし、春日氏は「今回のクーデターに関しては中国関与の可能性は低い」と見ています。ビルマ独立以降、軍は少数民族問題で中国共産党に悩まされ続けてきました。軍事独裁支配当時は国際的に孤立し中国に依存しましたが、これは表向きの姿で、ミャンマー国軍にとって中国は最大の仮想敵国です。ヤンゴン駐在当時、中国国境の少数民族紛争を取材してきた春日氏は「ミャンマー国軍の中国への不信感、嫌悪感は相当なもので、クーデターの中国関与説は考えられない」との立場です。
今後の予測は困難、企業は当面静観を
 春日氏は今後の見通しについて、国民の抗議行動の広がりと軍の対応、さらに国際社会の制裁の行方次第で、どう推移していくかはわからない。どのような不可抗力が起きるか誰も予測できず、当事者のミンアウンフライン氏自身にも分からないはず、と指摘します。
 春日氏は、警察ではなく国軍が展開すれば要注意。ミンアウンフライン氏は国民を殺す意図はないが、不測の事態は起こりえる。その時、国民と国際社会がどう反応、対応するか、まだまだ推移を予測する段階にはない、と言います。本人の発言を聞く限り、2011年までの旧体制に戻すことは毛頭考えていないようですが、結果としてそうなる可能性はある。一方で、楽観論に立てばクーデターに対するリバウンドが起きて、一気に民主化が加速する可能性もゼロではない。進出企業にとってはどうにもやきもきする事態ですが、「冷静に、当面は静観し、迅速に動くというのは避けた方がよい」というのが、春日氏のアドバイスです。
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春日孝之 ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員                     1985年毎日新聞入社。ニューデリー、イスラマバード、テヘラン支局長を経て2012年よりアジア総局長、13年からヤンゴン支局長兼務。18年退職。2020年10月、「黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏」(河出書房新社)を出版。

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