ESCAPADE -2-

後日、由紀から呼び出しがあった。





由紀は先日の食事会、もとい合コンを開催してくれた友達その人。



私のために開催してくれた合コンを、当の本人である私がドタキャンをしたものだから、当然お怒りの様子。




由紀「ちゃーんと理由、教えてくれるよね?」




お怒りと言っても長い付き合いなので、本気で怒っているわけではない。由紀は何かと抜けている私をいつも心配してくれて、その度に背中を押してくれたり手を貸してくれる頼れる旧友だ。




由紀「綾がドタキャンってただ事じゃないと思ってるんだけど。」




言わずもがな流石によくわかっている由紀に、私は彼との食事会について話し始めた。








あの日。




あの後_____






私は彼に誘われて、駅の近くの居酒屋に向かった。


いつの間にか離した手からまだ体温が引かないまま、テーブル越しに向かい合い、改めて彼を覗き見る。




宏太「ここ、来たことありますか?」




覗き見たつもりがばっちりと目が合い、また照れてしまう。




綾「え!あ、ううん!初めてです。」


宏太「あ。」


綾「え?」


宏太「戻っちゃいましたね?」


綾「……?」


宏太「敬語。寂しいなぁ。」


と、全然寂しくなさそうにイタズラに笑う。




綾「宏太くんだって…敬語になってたよ?」


宏太「そりゃあ…まぁ……照れてるから。」



カラッと笑いながら言うくせに、頬がちょっと赤いのがズルい。


彼の表情はいつだって言葉とシンクロしているから、気持ちが真っ直ぐに私に届く。





照れ顔の二人の元に、店員さんが注文を聞きに来る。




宏太「綾さん。飲み物何にします?」


綾「ビール。………あ、いや、違うか。えっと〜………やっぱり何か甘いのにしようかなぁ…。」


宏太「アハハ。ビール、でいいですか?」


綾「あ………はい。」


宏太「ハハ。じゃあ僕もビールで。」



他にも適当な食事を頼んで注文を終える。




宏太「ビール好きなんですね。」


綾「あ〜………うん。大好きなんだけど………今日食事会…あ、合コンの場では絶対にビールからは駄目って友達に言われてたのに……つい。いつものくせで。」


宏太「ハハハ。いいじゃないですか!ビール。僕そういうの好きです。」




「そういうのってどういうの?」と聞きたくなるのをぐっと堪える。


独り身が長い私は「好き」なんて言われると、いちいちドキドキしてしまう。つい言葉の意味を探ってしまうのは悪い癖だ。



注文していたビールが運ばれてきてからも、ビール好きの話からお互いの嗜好について色々と話をしたけれど、会話の中で彼がなんの気なしに使う「好き」という言葉に、その都度反応してしまう自分が情けなかった。




:




テーブルに空のグラスが増えて、程良く酔いが回ってきた頃、一旦会話が止まる。



普段なら気まずいはずの沈黙が不思議なほど居心地が良くて、まるでこうしていることが当たり前のような錯覚を起こす。




綾「よかったなぁ」



また不意にそう溢していた。



宏太「何が?」


綾「今日、宏太くんに誘ってもらえてよかったなぁって。合コンに行ってたら、こんなにのびのびできなかったもん。ビールも飲めなかったしね。」


宏太「………俺も。綾さんが付いてきてくれて良かった。」



彼が自分を「俺」という響きがまだまだ新鮮で、それを聞くと特別に嬉しい。



また照れ臭くなって二人で笑い合って、再び居心地の良い沈黙が流れる。






時計を見ると、もう終電の時間が近付いてきていた。




綾「もうこんな時間だったんだ。」


宏太「あ、本当だ。」


綾「全然気付かなかった。」


宏太「終電間に合いますか?」


綾「うん。私は大丈夫。宏太くんは?」


宏太「俺も大丈夫です。」


綾「じゃあ、そろそろ行こっか。」




店員さんを呼んでお会計を済ます。

彼は「自分が奢る」と言ってくれたのだけど、それは申し訳なくて割り勘にしてもらった。




:




駅までの僅かな帰り道。



手を伸ばせば届きそうな距離で、手を繋がずに並んで歩く。



会話はあるようでないような中身のないもので、なんとなく離れがたくてゆっくりと歩いたつもりなのに、あっという間に駅に着いてしまった。






改札を抜けて、別々のホームへ向かうエスカレーター。

私の前を歩く彼の背中をぼーっと眺めていると、降りる直前に彼が振り返った。



目が合ったと思ったら、フッと柔らかく風が吹く。






それはあまりに一瞬だったけど、彼が触れた頬がやけに熱いことで気が付いた。







彼が私にキスをした____






その後は………「じゃあまた」とか言って反対側のホームへ走って行った…気がする。そのあたりは詳しく思い出せない。


ただ、去り際にちらりと見えた真っ赤になった彼の耳は覚えている。



その後の私はというと、タイミング遅れで始まった胸の高鳴りはなかなか止まってくれず、驚いたままその場に立ち尽くして、うっかり終電を逃しそうなほどだった。






:






由紀「それで、付き合ったってこと?」



あの日のことを由紀に話し終えたところで、淡々とそう聞かれる。



綾「え?」


由紀「え?違うの?」


綾「わかんない。」



素直な気持ちだった。



由紀「手繋いだんでしょ?」


綾「うん。」


由紀「ほっぺにキスされたんでしょ?」


綾「うん…。」


由紀「じゃあ彼氏ってこと?」


綾「………。」




付き合う云々の話をしたわけじゃない。だから、彼との関係を何と呼べばいいのかわからない。




でも、そんなことはどうでもよくて。

もし彼が関係を明確にすることが煩わしく思うのなら、私も関係を明確にしたくない。


私にとって、彼に嫌な思いをさせることが今一番の不都合なのだ。




できるだけ長く彼の笑顔が見たいし、なんの気なしにたくさん言ってくれる「好き」の言葉が聞きたい。








その時、彼からの着信音が響く。






___今はただ、彼に会いたい。

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