ESCAPADE -1-

彼氏がいなくて、早幾年。


若い頃は理想もあったし、妄想も沢山したけど、もう夢見るだけではいられない。


周りは次から次へと、結婚、妊娠、出産…。




綾「私、おいてかれちゃったなぁ。」




残業終わり。

駅のベンチで電車を待ちながら、ため息が溢れる。




??「電車、ないんですか?」


綾「………へ?」




突然隣から声をかけられ、素っ頓狂な声が出てしまった。




??「あ、独り言でしたか?すみません、僕話しかけられたのかと思っちゃって…。



私より年下に見えるその男の子は、少しはにかみながら穏やかに話す。
その屈託のない顔に思わず見惚れてしまう。




??「あ、実は僕、毎朝お姉さんのこと、この駅でよく見かけるんです。」

綾「あ、そうなんですか。」

??「なので、知り合いに話しかけられた気になっちゃって。すみません。」




終始可愛い笑顔を向けて話しかけてくれる姿は、仕事終わりの疲れた心に優しく染み渡る。




綾「いえいえ、とんでもない。独り言言ってたなんて恥ずかしい…。声に出したつもりなかったんですけど…。」

??「僕もよく言っちゃうんでわかります。このぐらいの時間って駅に人もあんまりいないし、余計に気が抜けて言っちゃいますよね。」

綾「ふふっ、そうですね。ちょうどそんな感じです。」

??「いつもこんな時間までお仕事なんですか?」

綾「う〜ん。最近はちょっと忙しくて、これぐらいまで残ることが多いかな…。」


「帰ってもどうせ一人だし」という自虐は飲み込んでおく。


??「え!じゃあ今まで仕事してたんですか!大変ですね。」

綾「うん、まぁ………」


その時、私が乗るはずの電車が駅に到着する。
その音に「帰っても何もすることないから」の言葉は消された。


綾「じゃあ、私はこれに乗るので。」

??「あ、はい!じゃあ……また!お気をつけて!」




彼は人懐っこい笑顔を向けて、手を振って見送ってくれた。


振り返したその手と、微笑んだその顔をどのタイミングで元に戻せばいいのか、久々に悩んだ夜だった。













また別の残業終わりの夜。




綾「…あ。」




賑やかな声が聞こえてそちらを見ると、あの彼がいた。

男女数人で仲良さげに歩いているその姿は、この前よりも若く見える。




綾(…ひょっとしたら思ってたよりも年下だったのかな。)




以前会った時に見せてくれたあの笑顔は今日も健在のようで、隣を歩く同じ年ぐらいの女の子と楽しそうに話している。




綾(やっぱり、可愛い男の子には可愛い女の子が似合うなぁ…。)




そんなことを考えながら、電車に乗り込む。
電車が走り出しながら眺めた横顔が少し切ない夜だった。













そして、数日後。




今日は独り身の私を心配した友達がセッティングしてくれた食事会の日。

いわゆる合コンというやつが苦手な私だけど、「とにかく参加してみなさい!」と後押しされ渋々会場に向かうため電車を待っていた。




??「お姉さん!」


綾(…あぁ、緊張する…)






??「お姉さん!!!」


綾「…ん?」




顔を上げると反対のホームに彼がいた。


自分が呼ばれているのか確信が持てず、ぼーっと眺めていると、




??「僕のこと覚えてますか?」


「私?」と自分を指をさしてみると、大きく頷いてくれる彼。


??「ちょっと待っててください!!」

綾「え?」




その時、待っていた電車がホームにやってくる。




綾(待ってって言われても…私これ乗らないと遅れちゃう…)

??「待って!!!」




そこに彼が走って、私のいるホームにやってきた。




綾「どうかしました?」

??「はぁ……いや…はぁ…ちょっと待って……」


物凄く急いでくれたらしく息を整えている。


その間に電車は行ってしまった。


綾「あ……。」

??「すいません……ハァ……。あの…僕のこと覚えてますか?」

綾「え?あ、はい。この前、夜、お話しましたよね。」

??「良かった。」


彼はほっと息をつく。


??「今日はお仕事じゃないんですか?」

綾「あ、うん。今日はもう終わりで。」

??「いつもと雰囲気違うから、仕事じゃないのかと思いました。」

綾「あ〜これは……まぁ、これからちょっと出かける用があって。」

??「…デート、ですか?」

綾「え?…いやいや!違います!」

??「…え?綺麗にしてるから、デートなのかと思いました。お出かけじゃないんですか?」

綾「ん〜まぁお出かけと言えばお出かけなのかな…。ちょっと食事会に…。」


自分より若い男の子に「合コン」と言うのは気が引けて、つい言葉を濁してしまう。


??「…もしかして、合コンですか?」

綾「…え!うん、まぁ…。」

??「お姉さんはそういうの行かない人かと思ってました。」

綾「いや…その、うん。今日は友達がどうしてもって…。実はあんまり得意じゃないんだけど…。」

??「ふ〜ん。」



興味の無さそうな返事に少し凹む。

今日は以前と違って、あまり笑ってくれないからか、引かれてしまったかと気が焦る。



綾「いい年してって感じ…ですよね。あはは。自分でもそう思うんだけどね…。」

??「いや、お姉さん、彼氏いるのかなって思ってたので。」

綾「へ?いないいない!もう、ずっと!」

??「……。」

綾「だから、合コン!友達が私のこと心配して、わざわざ開いてくれて。人見知りだし本当は苦手なんだけど。せっかくだからって着飾ってきたりして。ちょっと無理して若作りしちゃったかなぁって。ハハハハハ。」


反応の薄さのせいなのか、あの人懐っこい笑顔を見れないせいなのか、少々ヤケ気味に余計なことまで言ってしまった。


??「う〜ん。」


何故…ここで彼が唸るのか。

一度話したことがあるだけの彼に余計なことを言い過ぎたと後悔していると、


??「……それ、やめません?」

綾「え?」

??「僕と食事行きませんか?」

綾「……は?」

??「僕なら、知らない人じゃないでしょ?」

綾「え、いや、まぁ。」

??「じゃあ、僕のこと苦手じゃないじゃないですか。うん、行きましょ!」

綾「いや、でも約束してるし…。」

宏太「僕、宏太っていいます。お姉さん、名前は?」

綾「え?えっと…綾、です。」

宏太「綾さん。いつものバリバリ仕事してますって格好も好きだけど、今日はもっと好きです。」

綾「え?」

宏太「…すっごく綺麗です。」

綾「……!」



そんなことを言われたのは久し振り…いや、初めてかもしれない。

ストレートな言葉に胸がドキっと音を立てる。



宏太「だから綺麗な綾さんを僕が誘いたいんです。僕、今ナンパしてます。」

綾「いや、ナンパって。」


自らナンパなんて言う彼に笑ってしまう。


宏太「さあ、行きましょ!…僕とご飯行くの嫌ですか?」

綾「…。」


少し強引に、でも振り払えなくはない優しさで手を引いてそう聞かれて、一瞬言葉に詰まる。

宏太「僕とご飯行くの、嫌ですか?」

さっきよりも少しトーンを落として、同じように聞いてくる彼。
その顔はこの前の夜よりもずっと大人びて色っぽく見える。


綾「…嫌じゃない、です。」



自分でも意識せずに、自然とそう答えていた。


すると、彼は太陽のように笑ってそのまま手を引いて歩き出す。
私は彼に引かれるまま歩いて行く。


その間、食事会どうしようとか、断りの連絡入れなきゃとか、普段の生真面目な私が顔を見せようとしたけれど、
もう少し彼のことが知りたくて、もう少しだけ彼と一緒にいたくて、いつもなら絶対にしないであろう選択をした。

ちょっと無作法だけど、そんなことにもドキドキして。
何より久し振りの手の温度に胸が高鳴って、繋いだ手をじっと見てしまう。



宏太「綾さん、可愛いね。」

綾「……!」



また赤くなってしまっただろう顔を見られまいと顔を背けるけど、彼はまた「可愛い」と言って笑った。



綾「宏太くん、なんか慣れてるね?」

宏太「え?そう見える?」

綾「うん。モテそうだしね。」

宏太「そんなことないよ。俺もずっと彼女いないし。」

綾「え、意外。」

宏太「ずっと片想いしてたから。」

綾「え?」

宏太「……毎朝駅で見かける人に。」

綾「…え?」



胸がドキドキとうるさい。



宏太「まぁ、この話は食事しながらゆっくり、ね?」



この時の彼は今までで一番いたずらっぽくて大人っぽかった。



綾「…やっぱり慣れてる。」

宏太「そんなことないってば。」


彼はそう言いながら少し笑って、立ち止まり、振り返る。



宏太「もう一回、俺のこと呼んでくれる?」

綾「え?」

宏太「名前。」

綾「…宏太、くん?」

宏太「うん……いいね。」


そう言ってまた前を向いて歩き出した彼の横顔が少し赤くなって見えて、私もまたドキドキし始める。



この後どんなことを話そうか。
どんな時間が過ごせるのか。

そんなことばかりで頭がいっぱいになってしまったばかりに、この日私は何の連絡もせず食事会をドタキャンしてしまった。




普段、真面目過ぎて型を破れない私にとってこれは大きな出来事で、思えば彼との出会いは私にいろんな変化を与えてくれた。





これが、全ての始まり。

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