ESCAPADE -3-
週の半ばの仕事帰り。
駅までの道を歩いていると、突然右耳のイヤフォンが外れる。
宏太「綾さん。」
右を振り向くと、彼がニッと笑っていた。
宏太「何回か呼びかけたんだけど、気付いてくれないから。」
そう笑いながらイヤフォンを渡してくれる。
宏太「お疲れさまです。」
綾「お疲れさま。宏太くんも仕事帰り?」
宏太「うん。それで駅向かってたら、綾さんがいたからちょっと走っちゃいました。」
そう言って今度ははにかみながら笑う。
宏太「ついに、今週末ですね?」
綾「…うん。」
先日由紀と会っている時に入った連絡は、デートのお誘いだった。
宏太「楽しみだなー。」
綾「私も。」
デートの約束をしてからというもの、気を抜くと意識がすぐに約束の日に飛んでしまう。今週に入ってからは、デートが楽しみで楽しみで仕事をしていても何をしていても、度々上の空になっていることは内緒にしておく。
宏太「ていうか」
綾「うん?」
宏太「今日は仕事終わるの遅くないんですね?」
そう。
今日のために前倒しで仕事を片付けておいたのだ。
綾「あー……うん。ちょっと買い物でもしようかなって。」
デートに着ていく服を買いに。
宏太「えーいいな、買い物。俺もついてっていいですか?」
綾「え!!」
それは困る。恥ずかしい。
でも、行きたい、気もする。
宏太「綾さんの買い物の荷物持ちますから!ね?」
綾「え…いや、いいよ。荷物持ちなんて。」
宏太「え〜。…じゃあ夜遅いし!俺がボディガードになります。」
綾「なにそれ。」
おどけて話す彼につられて、私も笑ってしまう。
綾「…洋服見に行くだけだから、宏太くんつまんないと思うよ?」
宏太「え!」
そう言って彼は立ち止まり、
宏太「もしかして……デートの日に着る服ですか?」
綾「え!?いや……えっと……」
ズバリ言い当てられて、あたふたしてしまうその姿が答えだった。
宏太「ちょっと……………」
そう言って彼が頭を抱えてしまった。
綾「あ、いや……だって最近服買ってなかったし、あんまり可愛い服持ってないし………」
彼に引かれてしまったと思い言い訳するも、本人に言うには恥ずかしい理由に尻すぼみになってしまう。
宏太「今日絶対についていきますから。」
綾「え?」
宏太「ほら、行こ?」
そのままあの日のように手を引かれて歩き出す。
彼の耳が、また赤い気がした。
そうして私の買い物に付き合ってもらうことになったけれど、デートに着ていくための服を、そのデートの相手と選ぶなんて照れくさくて、何をどう手に取っていいかわからない。
数店舗見て回っても、彼が気になって買い物に集中できなかった私は、
綾「やっぱり恥ずかしいんだけど……」
宏太「え?」
綾「そんなの若作りとか、可愛すぎるだろとか思われたらと思ったら選べないよ。」
遂に泣き言を言ってしまう。
本当はこんなネガティブな自分は見せたくないのに。
宏太「………いや、今日なんなの…」
また頭を抱えてしまった彼。
綾「うう…ごめん。早く決めます…。」
宏太「ちょっと……綾さん今日可愛すぎるんだけど。」
綾「え…?」
宏太「俺のために悩んでくれてるんでしょ?」
綾「え……………うん。」
宏太「そんなの嬉しくないわけないじゃん。」
いつもニコニコと可愛らしい彼は、たまにこうしてすごく男らしい顔を見せる。
そういうところが堪らなくズルい。
宏太「俺が選んでもいいですか?」
綾「えっと…似合うかわからないけど。」
宏太「いや、綾さんなら何でも似合いそうだから、簡単に見つかるよ。」
「任せて」と言ってまた私の手を引いて歩き出し、さっき入った店にもう一度入っていく。
宏太「俺、これいいかなって思ってたんだ。………あ、あとこれも。……あと、これもいいかなって。」
さっき訪れた時は何も手を付けられなかったのに、彼はあっと言う間に3着選んで私の前に差し出した。
綾「着たことない感じのばっかり。」
宏太「あ…。あんまり好きじゃなかった?」
綾「ううん!そんなことないよ!」
彼が気まずそうにそう言うので、慌てて訂正する。
綾「素敵だなぁって憧れはあるけど、似合う自信なくて手を出したことないものばっかり、っていう意味。」
彼は安心したようにホッと息を吐く。
宏太「綾さんなら絶対似合うと思う。着てみてよ。」
綾「ええ…。」
それは…とんでもなく照れくさい。
宏太「お願い。」
……けど、そんな可愛い顔をされて断れるはずがない。
私は試着室に入り、彼が選んでくれた3着を着てみることにした。
綾(あ……。これ、いいかも。)
彼が選んでくれた中に普段私が選ばない綺麗で華やかな色のスカートがあった。新鮮だけど似合っていなくはない、と思う。
宏太「綾さん、着替えた?」
カーテン越しに声を掛けられる。
綾「あ、うん。」
彼に選んでもらったのだし、見てもらおうとカーテンを開けようとすると、
宏太「あ、待って。」
と焦って止められる。
宏太「いいなって思うのあった?」
綾「うん。あんまり着たことないけど、これなら大丈夫だと思う。」
「宏太くんが選んでくれたものだから」という言葉はそっと飲み込む。
宏太「どれ選んだの?」
綾「えっと…2番目に持ってきてくれたやつかな。」
宏太「あれね。うん、似合いそう。」
カーテンを開けないことを不思議に思っていると、
宏太「洋服、当日の楽しみにさせて。ゆっくり着替えててね。」
そう言って彼の気配が消える。
彼に見てもらえない上に当日の楽しみにされるとなると、途端にこれを選んでいいものか自信がなくなってくる。
せめて、鏡の前で合わせた所だけでも見てもらえばもう少し自信が持てるのだけど…。
綾(やっぱり見てもらおう。)
そう思い立ち、カーテンの外に出ると袋を差し出される。
宏太「はい。プレゼント。」
綾「え?」
宏太「楽しみにしてるからね?」
そう言ってまたイタズラな笑顔を向けられる。
この顔にめっぽう弱い私は一瞬怯んだけれど、「悪いよ」と食い下がる。
宏太「俺がそうしたいんだからいいの。」
綾「でも…そんなつもりなかったのに…。」
宏太「いいの。綾さんは当日着てきてくれればそれで。」
それでも申し訳ないことには変わりないわけで、私は駅に向かう途中で彼にコーヒーをご馳走した。
彼は「本当にいいのに」と少しふくれっ面だったけれど、1回奢られるぐらいなら割り勘でも2回会えた方が嬉しいのだ。
そうこうしている間に駅に着く。
別れ際は、今日もやっぱり離れがたい。
先日のことがあってからは、エスカレーターを見るだけで気分が甘酸っぱくなる。
ドキドキするのを抑えながらエスカレーターを登り切ると、彼は「見送る」と言って私の方面のホームへついて来た。
綾「帰り遅くなっちゃうよ?」
宏太「いいよ、電車あるし。今日は俺、綾さんのボディガードだしね?」
彼はまたそう言っておどけてみせる。
私はまた笑う。
そこに、電車がやってくる。
離れがたさが募る。
綾「見送ってくれてありがとう。週末、楽しみにしてるね。」
宏太「俺も。」
綾「じゃあ、またね。」
そう言って電車に乗り込み、振り返った先の彼と向かい合う。
宏太「本当に楽しみにしてる。」
と言って、彼は突然私の手を取る。
そうして扉が閉まるギリギリまでギュッと手を繋いでくれた。
扉が閉まり、電車は動き出す。
彼に繋がれて上がった手の温度と胸の高鳴りは、家に帰っても収まらないままだった。
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