感情

喜怒哀楽
感じることは出来る
ただそれが
自分発信の感情かと問われると
良くわからなくなる

誰かが喜んでいれば嬉しくなるし
怒っていれば怒ったり悲しくなったり
哀しんでいれば悲しくなったり慰めたり
楽しんでいれば楽しくなる

感情がないわけではないけど
どちらかというとダダ漏れの部類のはずなんだけど
顔にもすぐに出るタイプなんだけど

幼少期から相手の気持ちを読み取って
相手が望む反応をすることが当たり前というか
生きていく為に必須事項だと認識してしまったから

今の気持ちは?って聞かれるのが困る
何かのお祝いの場とか、わかりやすい場面は
望まれている返答がわかるから平気
自分が思ったことを答えるのは
どこまで開示して答えて良いのか
ものすごく悩む

自分の気持ちを聞かれたから答えたのに
ずーっと否定されてきたから
結局、人は自分の聞きたい答えだけを求めてるんだなって
悟ってしまったから
自分の気持ちを教える必要ないと思ってしまう
否定されたら悲しいし
気持ちだから、自分の全てを否定された気分になるし

時々、自分の気持ちがダダ漏れになってしまう人に出会う
そういう人は、気持ちがダダ漏れなのを面白がってくれて
肯定してくれる

自分の感情に向き合って来なかったね
平気なフリをして生きてるでしょ
この前、ある人から言われたこと
正直、バレたって思った

自分の感情と向き合うってなんだろう?
ここを解決しないと
自分がやりたいことや欲求みたいなものも
クリアになっていかないんだろうけど

やっぱり感情って
わかるけどわからない。。。。。。

私のダダ漏れの感情を面白がって
肯定してくれる人と
たくさん一緒に過ごしたら
それが当たり前になるのかな