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【The Dogs Story vol.3~ガリレオなフク】

私は、フクです。(福〇雅治さんの声を想像して読んでください。)
私は、世間から野良犬と呼ばれていた白い毛の母親と、ある日どこからかふらっと現れたトライカラーでライオンヘアーの父親の間で生まれました。兄弟は6頭くらいいたように記憶している。朝夕に車が多く通る国道端に住んでいました。そこでは、どういう訳か人間たちが車を止め、私たちに食べるものをくれていた。それも慈悲深い目をしながら、かわいそうだと言う。

実におもしろい!(ガリレオ湯川教授風に)私たち、野良犬と呼ばれている犬が可哀想だなんて。とんでもない!いつも自由に満ち溢れ、人間を含めて様々な動物を観察し、自由な発想・思考のもとに私たちなりの哲学・思想をもつ。誰からも縛られない。何にも属さない。これがどうしてかわいそうなのか?そんな風に憐れんでくれる人間は、毎日決まった時間に起き、同じ道を通り、同じ時間に私たちに餌を与え憐れみ、夕方また同じことを折り返しで行う。ほぼ毎日毎日繰り返す。実に不思議だ!私たちは可哀想ではないのだ。野良犬生活こそ、犬らしい犬生を送れていると私は思う。

と、まぁそんなことを考えていたこんな私だったが、不覚にも間がさしてしまった。いつものように人間観察をしていた時のこと、何やら大きな柵が路側帯に置かれていた。誰が何のために・・・。私は検証する必要があると近づいた。ものすごく美味しそうな匂いがする。「あっこれは、お腹が空いている私の嗅覚を刺激し、論理的に考える思考を麻痺させ、おびき寄せている。」と論理的にはわかっていたのだが、気が付いた時には、柵に入りしかも閉められてしまった。私としたことが・・・。そうこの日から私の自由気ままな論理的な生活を奪われ、飼われるという生活になったのだ。

そののち、建物の中で人間に飼われている実に無防備な犬達がたくさんいる所へ連れてこられた。私は首輪をつけられ、部屋を与えられ自由を奪われてしまった。私の路上生活の生き甲斐だった情報収集と論理づけするための想像力をも奪われたと思った。絶望的だった。だがしかーし、私は見つけたのだ!外気とつながる穴を!その穴に鼻を入れスーーーッハーーーッと呼吸をすると、「できるじゃないか!自然界の匂いに加えて、これまでにない様々な匂いがここからするじゃないか!」ここでも論理哲学論を研究できる。かつて路上暮らしで、廃品回収車から落とされ拾った、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著、「論理的哲学論考」の一節より、「世界とは、起きている事全てのことである。」「語りえないことについては、沈黙するほかない。」とある。ここで暮らす能天気な犬たちとは私は語り合えない。私は沈黙をし思考をめぐらせること、それをここでの生活で実践し私なりの哲学を唱えようと考えた。

福・下段用P(通気口) (1)


ところが、論理的でないことがあるのを知ったのだ。ここにいる犬達のほとんどが、愛護センターという場所でもう少しで殺されていたかもしれなかったと言うのだ。中には人間と幸せに暮らしていた犬や仔犬までも。実にわからない!多くの犬や猫たちが廃品回収ゴミのように回収され、処分されるというのだ。それが合理的なのか?飼えないならなぜ飼うのか?何の権限で人間が犬猫の命の期限を決められるのか?ウィトゲンシュタインの言う「語りえないことについては、沈黙するほかない。」のか?いやこれはまだ十分に語り合うに価し、語りえない領域に達していない問題だ。ならば、私はここにいる多くの犬と人間達と、とことん語り合い喧々諤々の議論を行い、私なりの動物幸福哲学論を唱えたい。そしてそれを世間に知らしめたいと思う!

(※当時は定時定点回収というシステムがあり、愛護センターの無い自治体には月に1度回収車が来て、野良犬や飼育放棄の犬猫は愛護センターへ送られて処分されていた。)

【フクのプロフィール】
2012年に推定1歳未満くらいで保護される。国道の路側帯で家族で群れで生活していた。吠えることも他の犬とはしゃぐこともなく、いつも何か考え事をしているような様子だった。vol.2のメイの対犬の初恋の相手。フクは迷惑そうだったが…。

福・プロフィール

★あとがき
野良犬時代に国道で生活している時から、フクの姿は見かけていました。車通りが多いこともあり、フクたちは道路脇の側溝の中に入り縦一列になって往来していました。危機管理能力が長けているなぁと感心していました。
何度か愛護センターの車も来ていることも見かけており、餌をあげていた方からの相談をうけ保護することに。
柵を設置してしばらくすると、フクが警戒することもなくすんなり入り、慌てることもなく、扉を閉めた私の顔をじっと見ていました。何とも不思議な犬だなぁと思いました。
施設では、他の犬と群れて遊ぶこともなくいつも部屋の隅っこにいて、何かを観察しているようでした。ある日フクの部屋からスーハースーハーという音が聞こえるので、そーっと見に行くと通気口に鼻を突っ込んで外の空気を吸って匂いを嗅いでいました。そして何か考え事をしているような様子で天を仰いでいました。とても魅力的な犬でした。メイが恋するのもわからないでもないですね。
そんな、フクにも人間の家族ができました。その家庭でもおとなしくて、いつも何か観察をしていて、鼻を突っ込める通気口はないが、窓の外をじっと眺めて考えてごとをすることは続けているらしい。
人間との生活でフクなりの動物幸福論がどのような結論がでたのか聞いてみたいです。野良犬と飼い犬、どっちが幸せなのか?フク教授の学会発表があるやしれませんね(笑)
<by Junko Onishi>

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