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鮎川誠さん。

胸にポッカリ穴が空いたようだ。
衝撃のニュースだった。


僕のギターヒーローは、間違いなくこの人だ。クラプトンでもジェフベックでも、キースリチャーズでもない。
ギターを持ったシルエット、佇まいが最高。
黒のレスポール、ブルースでありパンクであり常にロックンロールであり続けた、鮎川誠さん…。

あなたは、かっこよすぎた。
僕は高校時代に、先輩からの影響で、サンハウス、シーナ&ロケットにハマった。

鮎川さんのステージを沢山観てきた。
新宿で、渋谷で、芝浦で、そして下北沢で。まず、見た目がかっこいい!あのレスポールから流れ出るノイズもキレッキレのソロも轟音の歪みも、天才的なリズムカッティングも、何もかもがいつも、いつでも、サイコーだった。

日本のギターヒーローは、そりゃあ、たくさんいるんだけれど、内海さん(ウッチー)も山口富士夫(フジオちゃん)も、チャーもチャボ(仲井戸麗市)も、みんなそれぞれに格別なのだけど、言い表せない程に、鮎川誠という人の存在感は、僕にとって特別だった。
外タレのミュージシャンに近い感じの眩しく神々しい感じ。サンハウス、シナロケの音と出会ってしまったので、ルースターズにハマったのも当然といえば当然だ。


 僕の東京デビューは、社会人とはいえ、
RCサクセション、ルースターズ、シーナ&ロケッツのLIVE情報を、雑誌のぴあや、LIVEハウスのビラをチェックしまくることから始まった。

 背伸びしながら、ブルースのレコードを買い漁った教材は、殆どが鮎川誠さんの発する情報やその系譜だったと思う。

 歌詞の殆どが、柴山(菊)さんや、クリスモズデル氏のものが多いが、鮎川さん自身が書いた詩は、まさに、鮎川さん流のブルース臭が漂よう。

なまずの唄
だんだん
ロックンロールの真最中
どぶねずみ

あたりがそれだ。どれもたまらない。


 2015年2月14日、最愛のパートナー、シーナが亡くなった。お通夜の下北沢には、沢山のファンやミュージシャンや関係者が集まった。僕もファンのひとりとして、友達と参列し、シーナにお別れをした。
 日もそんなに、経たぬうち、4月7日、下北沢ガーデン「シーナの日」と題して、シーナを愛する沢山のミュージシャンがステージに立った。
 鮎川誠さんは、終始笑顔で、本当に忘れられないLIVEだった。

 あれから、7年… ずっとシーナ&ロケッツとして、休むことなく、LIVE活動を続けてきた。鮎川さん自身がロケットとして、発射した状態だったのだと思う。休むことが、シーナを感じられなくなる、或いは、音を出し、ロックすることだけが、シーナに届けるメッセージか、のように、ずっと走り続けた。
川島さん、奈良さんそして、LUCYと共に。

 
 天国のシーナが、「そろそろ休んでよかよ」とでも言ったのだろうか…。


 シーナと鮎川誠 の2人の物語は、これからもロックを愛する多くの人達に、語り継がれるに違いない。

 鮎川さん、ロックをやり続けてくれてありがとうございます。

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