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【恋物語】蝉時雨/第二章⑶ 雪景色とあの夢の続きのような

あの悪い夢の所為で中々落ち着かない。
胸の奥に夢の跡が残ったままぼんやりと寝室から出る。
僕は思わず目を細めた。

雪の光だ。
キッチンにある窓から小さな街を見下ろす。
空と地上の間は粉雪で煙っていた。

高台にあるが故に階段が面倒だが、景色だけは良かった。
街中の物件と比べれば利便性は劣れど、僕はこの家に一目惚れをしてしまったのだ。

このキッチンの窓は色々な景色を見せてくれる。
この窓から朝陽が登って、黄昏時の街灯が奇妙に輝き、沈む夕焼けを月が追いかけていく。
一枚の動く絵画を、僕は持っているようだった。

足が冷たい。
珈琲を淹れてみたり、お気に入りの映画を流してみたり、楽しみにしていたちょっと良いトーストを焼いてみたり。
休日を、ひとり、よいものにしてみようとする。
それが中々上手くいかず、
すぐにあの夢が蘇ってくる。

チェルベサをひと口飲んで、鼻からゆっくりと息を吐いた。


ぼうっとしていると今度は、大学時代に小春とした会話を思い出した。

「よっちゃん、本当は彼女居ないんでしょ」
当時、僕には高校生の頃から付き合っている彼女がいることを、みんなが知っていた。
「どうして?写真も見せたでしょ。あれが合成だとか言うの?」
「ちがうよ。あれだって高校生の頃の写真だから、だいぶ前じゃないの。しかも、よっちゃんはわかりやすい。」
「わかりやすいかな」
「うん。私にとってはね。でもみんな気づいてないから内緒にしてあげる」
小春は笑ってそう言っていた。
本当に彼女は僕のことがよくわかるようだった。

実際はというと、高校を卒業したと共に、彼女とは音信不通になっていた。
そんな状態が一年、二年と続き、世間的には"自然消滅"ということになったのだろう。
でも僕にはどうしても踏ん切りが付かず「彼女は居るんですか?」の問いにはいつも頷いていたのだ。
彼女には敵わないという意識が芽生えたのは、僕の中で一番と言っていい程にみっともない部分を見透かされしまったあの出来事からだったような気がする。



気がつけばもう昼になっていて、冷めたコーヒーに映る天井にすら何か意味があるような気がするくらいに、僕は思考の海に溺れていた。

その思考の海の泡に手を伸ばしたと同時に、携帯電話が鳴った。
小春からだ。

僕は三回目のコールでようやく通話ボタンを押した。
あの夢が再び蘇る。

「はい」
彼女は三秒程の沈黙の後に口を開いた。
「もしもし?元気?」
声がやけに静かだった。
いつもより少し掠れていて、余計にあの夢と繋がってしまう。
僕は心配になった。
「元気だよ。君の方はなんだか、声がやけに落ち着いているように聴こえるけど」
受話器の向こうでため息が聞こえる。
「そっか。よかった。」
安心したようにゆっくりと、言葉を続ける。
「貴方の夢を見たのよ」
僕は長い時間座っていた椅子から、キッチンの窓の前に立つ。
「どんな夢だったの」

「貴方が死ぬ夢」

正夢にならなくてよかったね、と笑って話して電話を切った。
いつも、雪景色を見ると思い出す。
あの悪い夢と電話。

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