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【恋物語】蝉時雨/第二章⑵ 悪い夢

春一番が吹いた今年二月。

嫌な夢を見た。
その夢の世界で、小春は夜中、酷く泣いていた。
車で猫を轢いたらしい。

珍しく電話が掛かってきたかと思ったらそのような内容で、電話越しに話を聞く僕の心臓も嫌な跳ね上がり方をして、彼女の元へ向かう途中にも動悸が止まなかった。

事故があってすぐに取り敢えず停めたというコンビニの駐車場に僕も車を停めて、彼女の車のドアを開けた。
彼女は靴を脱ぎ、体育座りの様な体勢で顔を手で覆って泣いていた。
二月の夜はまだ冬の静けさを引き摺っている。小春の呼吸が乱れているのがよくわかって辛かった。
「大変だったね」「君は悪くないよ」と言って慰める。
しかし、相手と自分との悲しみの溝があまりにも深すぎる。
この様な時、どのような立ち居振る舞いをしたらよいのか、わからない。
思えば、子供の頃と今では、悲しみの重さがだいぶ違う。
大人になると、目を覆いたくなるような辛い事が幾つもある。
それなのに泣けなくなる。
大人が泣く時は、とても悲しい時だ。
"とても悲しい時"
言葉で現そうとする事すらも耐えられないくらいに。

雑多な沿道の草花の中で咲く椿の花が夜の色と相まって、より深くなり、毒々しくも見えた。

小春の呼吸は徐々に落ち着いてきた様だった。
体育座りの膝に手を置いて、その上に顎を乗せて遠くを見ている。
小春は「これと同じ夢をよく見るの」と、消え入りそうな掠れた声で話はじめた。
「眠りに落ちる時、ここ最近ずっと。猫を轢くあの瞬間が、何度も夢に出てくるの。現実と眠りの狭間ではいつもあの映像が流れていて。止められない。」
「現実と眠りの狭間」
聞き慣れない台詞を僕は自分の口で言ってみた。
「そう。狭間。月と雨の間とか、雨と渇きとか。そういう類のもの。」

彼女の話の途中で目が覚めた。
やけにリアルな夢だった。
朝日が眩しかったが、カーテンを閉める気力も無く暫く動けずにいる。

泣いていたのは彼女の方なのに、自分がさっきまで大泣きしていたような感覚がある。
涙が滲み、体は酷く疲れていた。

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