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自己紹介

現役のケアラーとして、キャリアコンサルタント 起業家として
仕事と介護の両立に悩んでいる皆さんに向けてこのブログを書いています。


きょうだいとして

私は進行性の難病を持つ身体障害者の弟がいる現役ケアラー。
 物心ついたころから「ケア」は家の中にありました。
そのため、「ちゃんと」と「不安感」の中で過ごしていました。
「ちゃんと」は
「お姉ちゃんだから」
「お姉ちゃんがいるから大丈夫ね」
という周囲の大人からの期待に押しつぶされそうでした。
自分はそんな人間じゃないと思っていました。

そして、不安感
例えば、外出した時。高齢の親と障害者の姿を見ると
将来の自分の姿に重なって見えました。
きょうだいとして、弟のお世話をしていくのだという
決められた道に私は応えていけるのかな
私の将来ってどうなるんだろうという
気持ちであふれていました

母の介護

高校生の頃からは母の介護が始まりました。
最初は祖母の手助けもありましたが、じょじょに減っていき、
家族で担うことになりました。

母は晩年になると私にだけ「死にたい」と繰り返すようになりました。
この言葉は私の心に大きな影響を与え、
「母は家族がいるのに死にたいんだ」、
「生きていてごめんなさい」と自分を責めるようになりました。
誰にも相談できず、することの発想がなかったため
体調不良に苦しむ日々が続きました。

そんな中で始まった就活。
家族の介護を中心に考えた結果、就職先が決まらず、
さらに自己嫌悪に陥りました。
 
この時、公共図書館にバイトが決まり
本の中の情報をみて、人生の先輩も介護に悩んでいる
苦しんでいるのは一人じゃないと思えたこと
が大きかったです

22歳の時、母が亡くなり、数日後に体が全く動かなくなりました。このままでは人生が終わってしまうと感じ、やりたいことに挑戦することを決意しました。

学校司書時代の出会い

以前から興味があった学校図書館司書になりました。
子どもたちが本に親しみ、心の居場所となる職場で充実した日々を過ごしていました。
 
しかし、障害を持つきょうだいやヤングケアラーの子供たちの姿を見て、
彼らが複雑な家庭環境に置かれていること、そして親が誰にも頼らず家族で抱え込んで苦しんでいる姿に心を痛めました。
そこには、30年前の私の姿が重なって見えました

そこで、国家資格キャリアコンサルタントがキャリアと人生をサポートできることを知り、資格取得を決意しました。
勉強は難しく、挫折しそうになることもありましたが、子供たちとその家族の幸せのために奮起し、ついに合格しました。

ヤングケアラーの言葉に出会う

きょうだい支援をしている団体や支援者との出会いを通じて、
私自身も「ヤングケアラー」だったことに気づきました。
まだまだ家族で介護をするべきという社会の考えが根強い中、
声を上げられずにいる子どもたちや、大人になっても家族の介護を続けている人たちの気持ちを吐き出す場所と心の居場所を提供するため、
オンラインカウンセリングを始めました。
 
この活動を知ってもらうために、小規模事業者持続化補助金を活用してホームページを作成しました。また、夢に向かって活き活きと活動する起業家たちとの出会いを通じて、私の理想が明確になりました。

起業家としてお届けすること

介護をしている子どもたちとその家族が幸せで
笑顔で自分の人生を生きられる社会をつくることです
仕事と介護のバランスをとりながら
主体的に選んで働くと暮らすを実現すること。
自分を大切にするために
表現できないしんどさを解きほぐして、
自分は何が好きで、欲しいものはこれ、
したいことを自分で発掘して
なりたい自分になるを応援しています

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