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息継ぎの瞬間に「おかえり」と迎えて欲しい【読書日記】

1月15日(Monday)

今日は一日出かける予定がないのでひたすら家で好きに過ごす日とする。まとめてやってしまいたかった掃除を済ませて読書の時間。
まずは有栖川有栖『ミステリ国の人々』を読み終えてしまう。ミステリに疎い私には本当に一部の人物たちしか名前は知らなかったのだけど、最近うずうずと私の中に蠢き始めたミステリへの欲求が膨らんでいく。あと「ミステリ国」という響きがとてもいい。謎めいた予感。

そのままの勢いでエラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を読み始める。エラリー・クイーンは少し前から読みたいと思ってはいたのだけど何から手を出すべきかと調べた時に〈国名シリーズ〉か〈レーン四部作〉がいいと書かれていたので、新訳版のかっこいいエラリーが表紙の『ローマ帽子の秘密』を購入した。



1月16日(Tuesday)

『ローマ帽子の秘密』を読み終わる。面白かった。海外ミステリはあまり馴染みがないので不安だったけれど、新訳で読みやすく、登場人物も最初こそ一覧と照らし合わせていたもののそのうちすんなり覚えていた。犯人についても途中からうっすらと予想がつき始め、「あれ、もしかして私ってミステリの才能があるのでは?」と思ってしまったけれど、解説を読むと新訳のおかげというものもありそう。ぬか喜び。

まだまだシリーズの続きがあるのでゆっくり読んでいきたい。積読も山ほどあるというのに、好きな作品のシリーズがたくさんあるのはやっぱり嬉しい。

夜、新しい仕事についての連絡がくる。オリエンテーションなどは2月からということになりそう。自由に生活できる時間がまだ少し残されたことになるので好きなことをたくさんしたい。



1月17日(Wednesday)

桜庭一樹『ブルースカイ』がとても面白かった。中世、近未来、現代と時代を跳躍する、SF。黒い影──世界の管理者たち──から逃げる「少女」。システムにアクセスし、穴が開き、繋がる。せかいとつながる。

桜庭一樹の書く「少女」が好きだ。自由なのに束縛され、無制限に逸脱し、囲われている。そんな矛盾を当たり前に孕む「少女」の危うさと奔放さがそこにあるから。
巻末の佐々木敦の解説の中で桜庭一樹が描くのは「ジェンダー/セクシャリティを超えた、より純粋な意味での「少女性」なのではないか」と書いてあって、とてもしっくりときた。中世、少女が許されなかった時代。近未来、少女が絶滅した後につるりとした青年が増える世界。そこに飛来するセーラー服の少女。

「君は絶滅危惧種だ。なんだかわかってきたよ。君は少女だ。そしてぼくはいわば、君の文化的子孫。ぼくは君をどう把握したらいいんだろう。君はぼくの対象物なのかな?」
〈対象物?〉
「同じように成長して、ある共通の地点から停滞して、互いに共感する、世代として自己と融合する異性──対象物」

桜庭一樹『ブルースカイ』

夜、夫と芸術や伝統文化の分野へのAIの発展についての話をしていて、将棋好きの夫から将棋界とコンピュータの話をきく。いつか将棋の完全解が導き出されたとして、その手を完璧に人が指せるとは思わないけど、この手は間違ってると答えが出ているのは気持ち的に違うよね、という話。

私の好きな小説だって、いつかはAIがとても上手く書けるようになるよと言うから、でも私は人間が書いたものが好きだと答える。「それなら、行き詰まったときにAIに展開を決めてもらうことが基本となったら? それは人が書いたものと言えるのだろうか」。言葉に詰まったまま「分からない」と拗ねる私に夫は困ったように笑う。



1月18日(Thursday)

新しい仕事のために銀行口座の開設に行く。手続き中に新しい職場の住所を調べようとしてスマホを忘れたことに気づいた。慌てたものの受付で代わりに調べてもらって事なきを得ました。
帰りに本屋に寄ってトーン・テレヘン『 いちばんの願い』を購入する。どうぶつ物語の第4弾。

帰宅後、唯川恵『ヴァニティ』を読み終える。様々な女たちの生き方、虚栄。出来るだけ穏やかに日々を暮らしたいと思っているけど、こうして大人になってしまえば避けては通れない人と人との繋がりがある。誰かから見ればあまりに味気なく退屈で、別の誰かが見たら理想とするかもしれない生活。そこで生きる女たちのヴァニティにあてられるように、ふと生き方みたいなものを考えてしまいそうになる。



1月19日(Friday)

さっそく『いちばんの願い』を読む。どうぶつたちの世界は穏やかで繰り返される安心感がある。その一方で、どうしようもなく残酷なところが好きだ。

どうぶつたちのいちばんの願いは、どれもこれも叶えることが難しいものばかりで冷ややかな淋しさを抱えている。誰も訪れない遠い海の底で、誰にも存在さえ知られていないイカは誰かに訪ねて欲しいと願っている。「だれかひとりだけ無駄に生きなければならない」という願いの犠牲として孤独に生きるイカ。彼の書いた手紙は墨が海水に消されてしまい誰の元にも届かない。その墨が最後の一滴だったとしても。

どうぶつ物語の中でも大好きな『きげんのいいリス』も再読しようと決意しながら、次は青木海青子『不完全な司書』を読み始める。

こういう様子の私の来し方には、いつもそこに「本」と「生きづらさ」が座しています。生きづらい状況を生き延びるために、本を携えてきたようなところがあるので、自分自身の読んできたものと、読書の周辺を紐解くだけで、「この人、よく生きていたなあ」と何やら放心してしまいます。
(中略)
その軌跡は砂漠を歩いている人が、オアシスを見つけて給水し、生き延びてきた線と点のようで、鳥から見ると地を這う星座のように見えるかもしれません。この星座が、後に来る誰かの道標になり、水の湧く場所を示してくれますように。

青木海青子『不完全な司書』

不意に泣きたくなってしまった。そしてどうしようもなくなって本棚を見つめる。
ずっと私の頭の中を押し込めたような本棚を作りたいと思ってきた。私の言葉の代弁者。私が守りたかったもの。いつか私が消え去っても、これを見た誰かが私のカタチを思い描くような。

「私は奥歯は自殺するかもしれないと思っていました。そして、私には止められないだろうと、思っていたんですよ」
声音にあきらめの色は微塵もなく、ただ強烈な苦渋、抑制されつづけた苦渋の残香がありました。
これはあなたのような人を子に持った親の、最高の愛情表現ではなかったでしょうか。(雪雪さんからの手紙 一九九六夏)

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

こんな覚悟を、あきらめの色さえなく持たせてしまうような。



1月20日(Saturday)

トーン・テレヘン『きげんのいいリス』の再読をした。
どのお話も大好きなのだけど一番好きなのは、アリが旅に出ている間にリスがアリの存在を自分が作り出したものもしれないと疑い始めてしまう話。リスがアリを忘れようとしているとき、そのアリはリスが自分のことを忘れないようにと願いながら「もうすぐ、帰るぞ!」「リス!」と叫びながら駆けているのに。

このシリーズを書くにあたって著者が決めたいくつかのルールの中で〈どうぶつたちに過去と未来は存在しない〉〈どうぶつちは入れ替わることができ、固有の個性はもたない〉というのがいつも心に刺さる。〈現在〉しか生きることの出来ないどうぶつたち、彼らには様々な特性があり、だけどそれはどれも彼らだけのものではない。
その場にいなければ、なかったことになってしまう存在の危うさがこの世界の根底にあるのだ。

夜、夫のオススメで映画『泣き虫しょったんの奇跡』を観た。



1月21日(Sunday)

全国都道府県駅伝の日。お昼に餃子の皮でピザを作って食べてからテレビで応援する。オールスター感があってとても楽しい。

『不完全な司書』を読み終わった。繋がるための読書。生き延びるための浮きのような本たち。小さな山村でそうやって本を繋ぐ著書の生活は穏やかで丁寧で、だけどその裏にある切実さが胸に迫った。

私も本と共に生活をしてきたつもりではいる。本に救われたと言ってもいいのかもしれない。だけど、私の「救い」はどこか薄い。どちらかといえば、沈められたという方が正しいような気もする。本を読まなくても、たぶん私は生きていた。だけど、それは今の私とはまったく別の人間だっただろう。本を読む私は本によって救われて、本によって生き延びるぶんだけ孤独になる。

時々、自分の読書はとても内省的だと振り返る。誰かと共有したいというよりは、この感情を残したいから書いているこの日記。私の読んだ本を誰かに勧める気はなく、私は私のために本を読む。本は窓の向こうに様々なものを見せ、飛び立つ夢さえ見せくれる。だけど実際に、そこに降り立てるものではないのだ。現実はこちら側。読書の合間に息継ぎをするたびに少しだけ悲しくなる。

たまに読書会というものに参加したいと思うこともあるのだけど、私の望む読書の繋がりは本を紹介し合ったり、内容を深め合うために語り合うものではないのだと躊躇する。私が望むのは、ただ傍で黙って本を読み、現実に立ち返る息継ぎの瞬間に「おかえりなさい」と微笑みあえるような関係。そういうものを求めています。

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